5-2 反抗
ハムエッグとサラダを二人で食べた後、私はレイカの部屋から大学へ向かった。レイカはいつも通りの澄ました顔でハムエッグを食べて、相変わらず見送りはなかった。
携帯を確認すると、母から一通のメールが届いていた。案の定どこにいるか問うメールに『鈴木さんのところに泊まった』と謝罪付きで返したが、いつまで待っても返事はなかった。
心配をかけて申し訳ない気持ちと、もう大学生なのだから少し位放っておいて欲しい気持ちがないまぜになり、私は電車に乗りながら溜め息を吐いた。
レイカの「心配性」という言葉や、優里亜の「お嬢さん」という言葉が蘇り、じわじわとやり場のない苛立ちが募っていく。
以前までは、こんな事を考えなかった。
母の厳しい制約も、少しでも遅くなると来る連絡も、当たり前の事であり、不満もなかった。
今になって母のそれが過剰に感じてならないのは、レイカの壮絶な生い立ちを聞いたからだろうか。自分が自立できない事を、母のせいにしているのか。
『ボーダーラインを引く事』。
レイカの声が不意に脳裏に蘇った。私が母に引く境界線は、一体どこになるのだろう。私はどこまでの干渉を許し、どこからは許さないでいたいのだろう。
講義とバイトを終え、自宅への帰路を進みながら、私の気持ちは未だ晴れなかった。
いつも通りバスに乗り、窓の外を眺める。流れていく家々の窓の灯り一つに家庭を感じた。この家では何人が暮らし、誰が幸福で、誰が不幸なのだろうか。
「ただいまぁ」
キッチンから母が顔を出し、「おかえり」の代わりに私の名前を呼んだ。
「絢音……こっちに来なさい」
「……お風呂に入ってからでもいい?」
私の言葉に、母は一瞬驚いたように目を見張った。まさか抵抗されるとは思わなかったと、言わずとも表情が物語っている。そう思うと痛快で、思わず上がりそうになった口角を抑えた。
「だ、ダメよ。今来なさい」
「……わかった」
渋々頷いたが、声は不満が滲み、鋭く尖った。今は、母の前に立つことが嫌だった。
「どうして無断外泊をするの」
「……ごめんなさい。飲んだ後鈴木さんのお家にお邪魔したら、楽しくて、連絡するのを忘れたの」
「昨日は飲み会に行くって言うから、日付が変わる前に帰ってくると思ったのに。本当に鈴木さんの家に泊まったの? 男の人の家に泊まったんじゃないの?」
「違うよ……」
溜め息を吐きつつ返すと、それに苛立ったらしい母が、今にも叫ばんと大きく息を吸い込んだのがわかった。このままではいつものようにヒステリーを起こす予感がした。それなのに何故か、母に謝罪するのは嫌だった。『自分は悪い事をしていない』という、今までに感じたことのない反抗心があった。
母は俯いた私に何を思ったのか、大きな溜め息を吐いた。
「鈴木さんの家にいくようになってから、アナタおかしいわ」
苛立ちを露わにしたその言葉を聞いて、一瞬で腹の奥が煮えるように熱くなった。
私は無言のまま母を睨みつけた。何か言いたかったが、咄嗟に何も言葉にならない。
『うるさい』だとか『お母さんのせいで』といった、意味のない暴言が飛び出そうになる。
母は常とは違う私に驚きつつも、そんな私を睨みつけた。その目には僅かな怯えが見てとれた。娘の反抗という、母の人生には起こり得なかったことが、彼女を動揺させているに違いなかった。
「絢音?」
「……もう寝る」
「絢音⁉︎ ちょっと⁉︎」
私はそのまま母に背を向けると、静かに二階の自分の部屋へと上がった。
背後から母が何度も私の名前を呼んだが、一度も振り返ることはしなかった。
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