4-2 猫の絵

 

 レイカと私の細々とした交流は続いた。


 ある日勇気を出して

『大学に通う猫です』

という写真付きのメールを送った。


 まるで恋する乙女のように携帯を気にして、授業の合間に何度も液晶を見た。二時間程経って『太り過ぎ』と淡白なメールが返ってきた時は、くだらない雑談に応じてくれた嬉しさとその文面に、思わず小さく声を出して笑ってしまった。


 レイカは恐らく友人とは呼べないのだろう。あちらも私を友人として数えていないと思う。


 はっきりとそう理解しながらも、私は彼女ともっと話しがしたかった。友人ではないと解っているからこそ、彼女と友人になりたかったのだろう。


 それから私は、空や風景や、料理の写真を撮っては彼女に共有した。メールを送る理由を探す内に、自然と私は写真を撮るようになった。それは小さいながらも、私の生活に変化を齎した。

 今までそんな風に定期的に連絡をとる相手はいなかったが、飽きもせずメールを送る私に、レイカは意外にも律儀に毎度一言返信をくれた。迷惑かもしれないと思った事はなかった。仮に迷惑であれば、それを彼女はハッキリと伝えてくれるだろうと、妙な自信があった。

 


『今日の賄いです』

 バイト先のカレーライスの写真。

『猫の雲です』

 どう見ても猫型にしか見えない雲の形。

 

 私はレイカに送る為に写真のネタを探すようになった。

 普段見ない場所に目を向け、気にしなかった風景を気に留め、面白い物を見つければ携帯で撮ってレイカに送る。

 人生で一度も気にした事のない、世界を感じた。まるでレイカと出会う前と後とで、自分の形が変わったかのように。


 バイト先にも、レイカは変わらない頻度でやってきた。

 いつも通り夕方に一人で訪れ、カモミールティーを注文し、スマートフォンを弄ってはぼんやりと過ごす。あの日以降、アルコールは摂っていないようだった。


『レイカさんがいつも飲んでいるカモミールティー、私も飲んでみました。初めて飲んだけど、コーヒーより癖がありますね』

『蜂蜜を入れると飲みやすいよ』


 私たちは彼女が店に来ても対面では会話をせず、ひっそりとメールでやり取りした。


 暗黙の了解のように、喫茶店で顔を合わせる私達はどちらも口を開かず、顔見知りの空気すら漂わせなかった。店長でさえ、私たちが殆ど毎日のようにメールを送り合う仲だとは知らないだろう。事務的な会話を繰り返しながら、けれど私はこっそりと、適当な理由をつけて夕方のシフトを増やした。


 気付けば二月に入っていた。暦の上では春になり、長い春休みを目前にしていたが、三度目の招きはまだなかった。


 大学でいつも通り講義を受けていると、いつも私から送るメールが、その日は珍しくレイカから届いた。


『今日からあのキャンバス、描き始めるけど』


 文面を二度読み返した私は、急いで『行きます』と返信した。まさかレイカからメールをくれるとは思っていなかったが、これは自宅への招待に違いなかった。分かりにくいけれど。そうでないならばわざわざレイカが自分から、こんなメールを送ってくる筈がない。


 私は講義が終わると大学から急いで最寄りの駅へと戻り、そこから歩いてレイカの自宅へと向かった。最早早歩きを通り越し競歩の域だったので、いつもは十五分程かかる筈が、今日は十分を切っていたかもしれない。最速記録だ。


 息切れしながらも、急いで母へメールを送る。


『今日はこの間のお姉さんの所に泊まります』。


 送信ボタンを押してすぐに着信があり、歩きながら確認すると、『ご迷惑にならないようにしなさい』とだけ表示されていた。

 確認したメールに返信はせず、そのまま携帯を握り締めて真っすぐ進み続ける。無事に母の了承も得た。これで、前回のような事態にはならない。

 安心した頃、マンションのエントランスに到着した。私は急いでレイカのマンションの部屋ナンバーを押そうとし――慌ててレイカに初めて電話をかけた。数回のコール音の後、電話が繋がる。


『――何?』


 機械越しのレイカの声は肉声よりずっと低く、私は乱れた呼吸もそのままに

「お部屋、何号室でしたっけっ?」

 と尋ねた。ぜえはあ、という私の荒い呼吸も彼女には丸聞こえだっただろう。僅かな沈黙の後、レイカが小さく笑ったのが電話越しでもわかった。


『1201。部屋の場所は?』

「わかりますっ! 今から行きます」


 答えながら番号を押すと、レイカがすぐに対応してくれたのだろう。チャイムの音と殆ど同時に自動ドアが開いた。自動ドアを通り抜けるときには、既に電話は切られていた。

 私は急いでエレベーターに乗り込むと、そわそわと落ち着かないままにレイカの部屋を目指した。


「……どうぞ」


 ドアを開けたレイカを見て、知らず知らずの内に心臓の鼓動が早くなっているのに気付いた。


 思えば、この家に一人で来るのも、こうして玄関で出迎えて貰うのも初めてだ。

そう気付くと、急に緊張が押し寄せてきた。レイカは既にこちらに背を向けて、リビングに向かっている。


「お、お邪魔します……」


 玄関に鍵をかけると、私はおずおずと靴を脱いだ。廊下を進んでいつも寝かせて貰うソファを目指す。

 ふと、手を洗った方が良いのではないかと思ったが、その時には完全に洗面台を借りるタイミングを逃していた。そもそも、この家を訪ねてから一度も入室時に手洗いをした事がない事に今更ながら気付いた。意外にも、レイカから勧められた事すらない。私は手を洗う事は諦めて、リュックをおろしながらソファの前へと移動した。

 既に定位置になったソファに腰を下ろそうとして、視線が下がる。ローテーブルの奥にイーゼルが立てられ、先日のキャンバスが設置されているのが見えた。私は中腰になった体を戻し、方向転換してイーゼルに向かって行った。


「わ、よく見るやつだ」

「……流石にイーゼルは知ってるんだ?」


 揶揄うような声を聞いて、私は気恥ずかしさを隠して首を竦めて笑う。存在は知っているけれど、触った事すらろくにない。


「いつもここで描いているんですか?」

「ここで描いたり、上で描いたり。気分によるかな」

「へえ……今日は何を描くんですか?」


 次々と浮かんでくる質問を投げかけたが、レイカは以前のように黙らせようとはしなかった。彼女は少し斜め上を向いて、黙る。何を描くか考えているようだった。

 ソファに座ると、そのままの向きでキャンバスの表面が見えた。ここから制作風景が見えるように配置してくれたのかも知れない。それとも、そんな風に考えるのは自意識過剰だろうか。

 私は嬉しくなって、ひとり口角を上げてレイカの返答を待った。


 レイカは暫し考えるように目を伏せていたが、モチーフが決まったらしい。一つ頷くと白紙のキャンバスに目を向けた。


「……猫かな?」

「猫!」


 意外な返答に、思わず声が弾んだ。


「レイカさんって、動物も描くんですね」

「別に、気に入れば何でも描くよ」


 猫が一等好きな私は喜びの声をあげたが、レイカは無感動に準備を始める。


「何か飲む?」

「……いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 前回飲んだ不思議な味のお茶を思い出して首を振ると、レイカは無言で頷いてキャンバスの前に置いた小さな椅子に座った。その下には水色のシートが敷いてあり、絵の具で家具や床を汚さない為だということが、絵を描かない私でも想像がついた。

 私はソファに座り、キャンバスに向かうレイカをじっと見た。見られるのに慣れているのか、意外にも苦情は来ない。


 鉛筆で大まかに輪郭をとったレイカは、水を含ませた絵の具で、ゆったりと筆を置くように色を乗せ始めた。ぼんやりと滲んだ絵の具の形が、筆を置く度に輪郭を持っていく。徐々に濃くなっていく水色。雲のようにも見えるそれは、進んでいくとあっという間に毛足の長い猫になっていった。見ているだけで、私は呼吸すらも忘れた。 


 筆をポン、ポンとただ置いているだけのように見えるのに、暫くすると浮かび上がるように輪郭を際立たせる。どんな姿を思い描いて、どうしてそれを紙に写し取れるのだろう。私には全く理解できなかった。


 気付けば冬の空はぼんやりと暗くなり、レイカは一度席を立って電気をつけに行った。けれど、その時の私はそんな事にも気付かない程、彼女の動きや、キャンバスの中で今にも瞬きをしそうな猫に目を奪われていた。


「――完成」


 コトリ、と控えめな音を立てて筆を置いたレイカに、私はやっと自分を取り戻した。

 カーテンが閉められ、シーリングライトの人工的な明かりが室内を照らしている。

 キャンバスには毛の長い白い子猫が描かれていた。メインで置かれた水色は子猫の影になって、全体的に青っぽい印象を受けるのに、紙面にいるのは明らかに真っ白な毛の猫だった。大きな青い瞳でこちらを見ている姿は、猫好きには堪らない愛らしさだ。


 この部屋に多く置かれている人物画や昆虫画のような儚さを、この絵画からも確かに感じる。それが筆のタッチのせいなのか、使われている色使いのせいなのか、美術的な知識や感性に乏しい私にはわからない。


「……すごい……」


 思わず熱い溜息を吐いてそう呟いた私を見て、レイカは微かに笑った。


「……呆れるくらい集中してたね。見てるだけなのに」

「……だって……すごかったです。圧倒されました」

「別に、ただの素人の絵だけどね」


 集中していたのは彼女も同じだろう。肩が凝ったのか、腕を回したり上下に上げ下げしている。余り見ない、リラックスした空気を感じた。

 私はやっとキャンバスから視線を外し、パレットや絵の具を片付けているレイカを見た。


「私、全然詳しくないんですけど……コンクールとか、そういうのには出さないんですか」

「出していた時期もあったけど」


 そこで言葉を切ると、レイカはキッチンへと向かい、そのまま黙ってお茶を淹れ始めた。


「近付いてもいいですか?」


と一言断って、静止の言葉がかからないのを確認すると、私はゆっくりとキャンバスに近寄った。


 写真のような写実的な絵ではない。それなのにこんなにも生命を感じるのはどうしてだろう。私は彼女がしきりに「素人」と自分を卑下するように称する理由がわからなかった。

 ほお……と、胸の内から溢れたような、重たくて湿気を帯びた溜め息が出た。


「気に入った?」

「……言葉に表せないくらい。本当に、素敵です」


 正直に絶賛する私の言葉に、レイカは面白がるように軽く鼻で笑った。悪い気分ではなさそうだった。


 その時、耳障りな虫の羽音のような音がソファから聞こえた。


 一拍置いて、それが自分の携帯のバイブ音だと気づいた私は、慌てて鞄を漁って携帯を取り出した。ディスプレイに表示されている登録名を見て、眉を寄せて電話に出る。


「もしもし? お母さん?」

『絢音? やっぱり今日は帰って来なさい』

「えっ?」


 電話をかけてきたのは母だった。

 随分と機嫌が悪そうで、声は低く篭って聞こえる。私は予想外な言葉に顔を顰めて、つい責めるような声を出した。


「なんで? 泊まってもいいって……」

『大学から家にも帰らないで、非常識だわ。お相手にもご迷惑よ。今何時だと思ってるの。お母さんに紹介もしないで。常識的に有り得ないでしょう?』


 息継ぎもしているのか怪しい母の言葉を聞き流し、壁掛け時計を見ると夜の二〇時を回っていた。私はつい請うような目でレイカを見てしまい、それを恥じて慌てて視線を逸らした。それと同時に、サッと血の気が引いた。


 思えばいつも同様泊まりのつもりでいたが、今日はいつもとは勝手が違う。私はバイトの帰りでもないし、彼女は酩酊してもいない。もしかしたら、宿泊を前提にした誘いではなかった可能性は高い。


 大人しく母に従おうと口を開きかけた時、いつの間にか近くまで来ていたレイカが、無言で私の手から携帯を取り上げた。


「?……」

「もしもし、私、鈴木と申します」


 驚いてレイカを見ると、薄く社交的な笑みを刷いた彼女は滑らかに話し出した。電話の向こうで母が動揺している声が、かすかに聞こえてくる。


「いつも絢音さんにはお世話になっております。私の我儘で、娘さんには毎回急に泊まっていただいて申し訳ございません。絢音さんとは彼女のバイト先で親しくなったのですが、私の描く絵画について話が弾んで――いいえ、恐れ入ります。はい。――いえ。ありがとうございます。――いえいえ。それでは、絢音さんに代わりますね」


 レイカが他所行きの声で母に対応しているのを、私は茫然と見上げていた。

 彼女は母と暫く話すと、マイク部分を軽く塞ぎ、無言のまま私に携帯を差し出してきた。その表情は先ほどの声からは想像もできない、全くの無表情だ。


「も、もしもし?」

『絢音? 鈴木さん、素敵な方じゃない。正直、あなたが男の人の家に泊まっていたらと思っていたんだけど……。丁寧な方だし、お母さん安心したわ。ご迷惑おかけしないようにね』

「あ……はい……じゃあ、えっと、今日は、泊まっていくから……」

『わかったわ』


 ご機嫌な声を最後に電話を切られ、私は暫く呆気に取られた。

 レイカは何でもない顔でダイニングテーブルに薄い水色のマグカップを二つ置いて、自分の手元にあるそれを静かに飲み始めた。


「……すみません、母が……ご迷惑を」


 恐る恐る口を開くと、レイカはマグカップをテーブルに戻して、小さな声で「別に」と答えた。


「アナタって未成年だっけ?」

「いえ、二十歳です」

「随分心配性なお母さん」


 その声にバカにするような響きを感じて、私は思わず眉を寄せた。母をバカにされた訳ではない。その声は明らかに、母に逆らえない私を侮っている。


 私は先日、私や父を怒鳴りつけていた母を思い出した。母はいつも、そうする事で私の行動を制限できると思っている。そして、私はその通り、母に逆らう事ができない。


 グッと噛み締めた唇を解いて、言い訳するように言葉にした。


「……母は、私が逆らうとヒステリーを起こすから、……言うことを聞くしかないんです」

「子供を支配しようとする親は、精神的に虐待を行なってると思うけど」

「虐待なんて。そこまでは……」


 躊躇いつつも慌てて否定すると、レイカは長い睫毛を伏せて小さく溜息を吐いた。


「でも、アナタは『お母さん』に逆らえない。これからも、ずっと」

「……どうすればいいでしょうか。あの、レイカさんは、ご両親とは……?」


 彼女のプライベートを尋ねると同時に、緊張から微かに指先が痺れた。冷たく静かに拒絶される予感がしたからだ。

 レイカは嘲笑するように口端を歪め、眉を寄せて立ったままの私を見た。


「さあ? 生きてるのか、死んでるのか……。最後に会った時は東京にいたみたいだけど、今はどこで何をやってるのか。……きっと、どこかで図太く生きてるんじゃない? 個人的には、もう死んでいて欲しいけど」

「…………」


 やはり、両親とは良好な関係ではないらしい。ある意味予想していた返答だった。

 彼女からは、一般的でよくある日常や、幸福の匂いが薄い。冷めた表情からは、いつも他者への拒絶を感じる。


「もし、実家は出られないとか、物理的に距離が取れない上で、支配から逃れたいのなら。解決策は一つだけ。……アナタから母親に線を引くこと」

「……どういう意味ですか?」

「ここからここまでは言うことを聞くけれど、このラインを超えたら踏み込ませない。自分の心を守る為のボーダーラインを決めるの。決して情に流されず、たとえ母親が怒鳴ろうが、泣き叫ぼうがね。そのラインは、自分で決めて」


 真っ直ぐにこちらを見てくる薄茶色の目を、私もじっと見つめ返した。


 ――レイカさんも、そうしたのだろうか。


 彼女も、母親の支配から逃れる為に戦ったのだろうか。ラインを決めて、物理的に距離を置き、自分を取り戻したのだろうか。


「アナタは誰の所有物でもない」


 静かに、言い聞かせるように、レイカが言った。まるでその言葉を熱い湯にして飲み込んだかのように、胃の辺りが熱くなった。

 胸が詰まった。深呼吸をしたら、きっと泣いてしまう。


「……母は、何故私を支配、しようとするんでしょう。……いつか私が母親になったら、分かるんでしょうか」

「さあ。母親になったことがないから、私にもわからないけど。……でも、多くの娘は母親に支配されて生きてる。道を定められて、抜け出せずにいる。大体の子供は母親を守ろうとして、逆らえない。それが良い結果になる人もいれば、悪い結果になる人もいる」


 ダイニングテーブルに近寄り、レイカの正面に座った。レイカは静かにマグカップを傾け、こくり、こくりと時間をかけて中身をゆっくりと飲み干す。


 暫く、考えるような間が空いた。


 レイカは皮肉げに口端を上げると、「でも」と続ける。


「私の子供が、もし私みたいな女の所に入り浸っているって知ったら、必死に止めるかな。だって、絶対に良い影響がないものね」


 先ほどまでの真摯な言葉とは裏腹に、明らかに言葉で突き放された。私はそれが酷く悲しくて、ぎゅっと眉間に皺が寄ってしまう。

 彼女は言葉や態度は素っ気ないけれど、いつも優しい。今だって、後悔するように慌てて視線を逸らしたのを、私はきちんと気付いていた。


「そんなこと、ないです。レイカさんは、私に知らない世界を教えてくれるから」

「……そうかな?」


 目を合わせないまま、レイカはマグカップに唇を寄せる。不安そうに瞳を揺らして、小さく続けた。


「いつか、……後悔すると思うよ」

「後悔なんて、絶対にしません」


 私の断言に、レイカが呆れたように息を吐く。自分でも、何を根拠に言っているかわからない。それを隠すようにマグカップに手を伸ばす。

 彼女が淹れてくれた草の匂いがするお茶を飲んでみると、ほのかに甘かった。以前より遥かに飲みやすい。


「これ……前より美味しいです」


 驚いて素直に感想を述べると、レイカは少し笑った。


「カモミールも飲みにくいなら、これはもっと苦手なんじゃ無いかと思って、蜂蜜を入れたの」

「蜂蜜が入ってるだけで、こんなに風味が違うんだ」


 私が思わず感心すると、彼女は喉の奥で笑ってまたマグカップに口をつける。中のお茶は温かく、少し舌にスパイスのような刺激を感じる。

 蜂蜜で上手く調和が取れていて、飲み下すと胃がじんわりと温まる。


 蜂蜜入りの癖があるお茶は、まるでレイカのようだと思った。

 口に含むとピリピリと刺激があって、けれど時折柔らかな優しさを、確かに感じる。


「なんで、私にこんなに良くしてくれるんですか?」


 目を合わせる事はできず、視線はテーブルの表面をぼんやりとなぞった。

 自分と関わると悪い影響があると感じているのなら、尚更疑問に思ったのだ。

 レイカは片方の眉を上げて少し考える素振りをして、首を竦めてこちらに問う。


「なんでだろう? なんでだと思う?」

「えっ……わかりません」


 今日は彼女は酔っていない。イレギュラーな逢瀬だ。私の日常を切り取ったような、くだらないメールの返信も毎回くれる。こうしてお茶も工夫してくれて、泊まった翌日は美味しい朝食を食べさせてくれた。

 冷たく見えて、律儀な人だという事を、少ないやり取りの中で私は知った。


「じゃあ、何であなたは私についてくるの?」


 疑問を口にして、レイカは目を細めてこちらをじっと見つめてきた。

 それは、出会った日の事を指しているのだろうか。

 あの深い雪の日、ただ黙ってレイカの後をついて歩いた。いつだって帰る事はできた。

 真っ直ぐに歩く背を、追いかけたのは何故だったのか。

 私は暫く考え込んだけれど、結局結論は出せなかった。


「……なんでなのか、考えておきます」


 肩を竦めた私に、レイカは

「じゃあ、私も」

と言って、静かにマグカップを傾けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る