第7話 窃盗事件

 黒い、まるで影だ。しかし、風が吹けば消し飛んでしまいそうに透けている。


「この扉はここに存在しているが、人間には触れない。水面に映ったものだと思えばいい」

「なるほど……」


 難しくてよく分からなかったが、あまり理解する必要も無いだろう。魔界人に知り合いもいない。


「ふむ」


 扉の様子を李九天リィ・ジウティェンが観察する。


「異常無しだ。鍵も開いていない。魔物がここから入り込んだのかと思ったが」


 人間界と魔界を繋ぐ扉は常に鍵が掛けられており、それは人間界からしか開けることは出来ない。位の高い魔界人は術を持って扉をすり抜けられることが出来るが、位が高いということは知性も高く、人間に悪さをする者はほとんどいない。そのため、この鍵は悪さをする魔界人か魔物を人間界に来させない役割を担っている。


「そうなると、誰かが間違えて魔物を召喚してしまったか、あるいは新たな扉が出現したか……」

「扉はこの一つだけなのですか?」

「今のところはな」


 李九天が服から札を取り出した。それを両手でこねると小さな紙人形に変化した。


「とりあえず、この子を見張り番として置いておこう。何かあったら知らせてくれる」


 紙人形を扉の前に下ろすと、うろうろ歩き始めた。目も鼻も無いのになんだか可愛らしく見える。


「戻ろうか」


 人が住んでいる場所までは飛んで、その後は歩きで元の町を目指した。


東林とうりん、ここですね」


 大きな門に大きく町の名前が書かれていた。寄り道をしたためすでに陽は落ちかかっているが、どうにか東林に着くことが出来た。


 東林は想像以上に大きな町だった。まず、入口の門が大人二人分以上の高さがある。門をくぐると、あちこちから活気のある声が響いた。


「うわぁ」


 店の店員が商品の宣伝をしたり、実演販売をしている者もいる。客はその何倍もいて、気を抜くと迷子になりそうだった。


「手を繋いで行こう」

「はい」


 李九天の手を香風シャンフォンがぎゅうと握りしめた。知らない土地で一人になるのは絶対に嫌だ。


「公子、新鮮な果物がありますよ」

「こっちは肉料理だ」


 出店の近くを歩いているだけで、いくらでも声がかかる。香風が顔をせわしなく動かして商品を眺めた。


「ふふ、何か買うか?」

「いや、あの、まだもらった食べ物が沢山あるので」

「なら、日持ちしないものを先に食べて、それが終わったら買おう。日持ちするものは取っ手おいてね」

「やったぁ!」


 あまりに嬉しくて大きな声が出てしまった。しかし、周りの喧騒でそれは掻き消されたらしい。よかった、あまり目立つのはよくない。

 何を買おうか物色する香風を見守りながら、李九天が通行人に話しかけた。


「すみません、この町の役所はどちらにありますか?」


 これだけ大きい町ならば、役所があるに違いない。予想が当たり、通行人が丁寧に道を教えてくれた。


 通行人に礼を言い道を進む。どうやら、町の一番奥にあるらしい。


「役人なら鱗伝説のことを知っているだろう」

「楽しみです」


 香風が鱗を入れている胸元を触る。こうしていると、まるで母と一緒にいる気分になる。

 会ってみたいけれども、なんだか気恥ずかしく、きっと師父の後ろに隠れてしまうだろう。


 歩くうちに大きな建物が見えた。言われなければ貴族の家だと思う。


「は~~」


 顔を上げ過ぎて香風が倒れそうになるのを、李九天が背中に手を置いて防ぐ。


「よし、入ろう」


 入口には警備の人間が一人立っていた。近づくと話しかけられる。


「用件は何ですか?」

「ここに龍神の鱗伝説があると伺ったので、話を聞きに参りました」

「少々お待ちください」


 一度中に入った男が戻ってきて扉を開いた。許可が下りたらしい。


──ずいぶん厳しいのだな。


 そんなことを思ったが、李九天が世間知らずなだけで、案外大きな町はこうなのかもしれない。


 ゆっくり扉を通ると、役人が数人慌ただしく動いていた。そのうちの一人がこちらに歩いてくる。ふくよかな中年の男だ。


「お客人ですね。こちらへどうぞ」

「お忙しいところ恐縮です」

「いえいえ」


 椅子に腰かけるとお茶を出してくれた。男の表情がやや暗い。


「お越し頂いたところ申し訳ありませんが、只今少々混み合っておりまして」

「そうでしたか。こちらは急いでおりませんので、お手隙の際にまたお伺いする形でも宜しいですか?」


 すると、男が上半身を乗り出して小声で話し出した。


「というより、あまり大声では言えないのですが、ここ最近盗人が町を荒らしておりまして。鱗も先日盗まれてしまったのです」

「えぇッ」


 思わず声を上げた香風が口元を手で覆う。


「すみません、続けてください」

「大丈夫だよ。驚かせてごめんね」


 男がにこやかに答えた後、盗人の続きを話してくれた。


「警備の人間はいたのですが、誰も入ってきていないのにいつの間にか鱗が無くなっていたそうです。他のも同じような状況だったらしく……」

「……なるほど、奇妙な事件ですね」

「そうなのです。我々も頭を抱えておりまして」


 すっかり意気消沈した男を見て、李九天が眉を下げる。


「警備の方は何人いらっしゃいましたか? 別の出入り口があるとか。もし全員の証言が一致していて、内部犯でもないとすると、人間の仕業ではないかもしれません」


「出入口には一人ずつ配置しております。夜間は警備以外はおりませんから、内部犯も考えにくいです。それに、役所以外でも起きていますから……動物が犯人ということでしょうか?」


「魔物の類の可能性も」

「魔物……!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る