第6話 魔界の扉

 翌朝早々に二人は出発することにした。宿屋の主人に呼ばれた馬がわざわざ見送りに来てくれた。


「このたびは誠に有難う御座いました。またいつでもいらしてください」

「こちらこそ、丁寧なもてなしを有難う御座いました。ここを通る時は是非伺わせていただきます」


 村を出ると、香風シャンフォンが鱗を取り出して眺めた。これが母のものである可能性は十分にある。まだ見ぬ姿を想像してみる。自分に似ているか、会ったら何を言おうか。


「師父は母様に会ったことはあるのですか?」

「人の姿をしている時に一度会ったことがある。もう何百年も前になるが」

「どんな姿をしていましたか?」

「そうだなぁ」


 李九天リィ・ジウティェンが昔々の記憶を辿る。あれは今よりも神々が自由奔放に暮らしている頃だった。龍神は禍の神で、人間界に影響するのを恐れ下へ下りるのを嫌っていた。


「深い青の髪が美しい人だったよ」

「へぇ、そっか……」


 香風が自身の髪を撫でる。彼の髪の毛は黒々としている。李九天が微笑みかけた。


「瞳の色は、貴方と同じ綺麗な琥珀だったよ」

「同じ」

「うん、同じだ」


 それだけで香風の心は幸せで満たされた。


「次の町まで急ぎましょう!」


 香風が李九天を追い越し走り出した。


「やれやれ、元気な子だ」


 そんな二人を物陰から見つめる男がいた。昨日二人を襲おうとして返り討ちにあった男の一人だ。


「くそ、あいつらめ……せめて一撃、小僧になら食らわせられるだろ」


 短剣を構えた男が李九天から離れた香風に向かって投げつける。それは一直線に香風を狙った。が、香風が左手を後ろに伸ばし、短剣を払い落としてしまった。


「ん? 虫かな?」


 一瞬振り向いただけで行ってしまった香風に男が恐怖した。


「お……恐ろしい……妖怪の類か……!?」


 男は復讐を諦め、急ぎ足で二人とは反対方向に逃げていった。


 二人で進んでいると、一刻もしないうちに香風がちらちら手元を気にし始めた。


「お腹が空いたか? ちょっと休憩しよう」


 外衣を脱いでいいと伝えると、すぐに香風が脱ぎ捨てた。村でもらった食事をたらふく腹に納め、近くの川で水浴びもした。


 水浴びのため上半身裸になったが、羽が完全に解放されるためやはり気持ちが良い。そのまま宙に浮き、空で寝転がった。


「これ、人がいないか確認してから寝なさい」

「すみません」


 そうは言いつつ、李九天の声色は優しい。万が一見られても、法術の一つだと言えば問題無いだろう。


 しかし面倒事は無ければ無いに越したことはない。空での休憩を少しだけ楽しむと、二人は地面に戻り、再度歩き始めた。


 あとどれだけ歩ければ着くだろう。香風が師父を覗き見ると、彼は真剣な顔をしていた。


「どうしましたか?」


 李九天が香風に向き直る。


「いや何、たいしたことではないが、あのような魔物が人間界にいるのは珍しいと思ってな。魔界の扉が開いているわけでもあるまい」

「まさかそんな、扉は特殊な鍵が掛けられていて、人間界側からしか開かないのでしょう?」

「うん。考えすぎか」


 二人して笑ってみるが、それは空笑いに終わってしまった。李九天が頬を掻く。


「ううん……すまないが、扉を先に確認しに行ってもいいかな」

「もちろんです。母探しより、世界の危機の方が優先されなければなりません」

「申し訳ない」


 龍神を探すことは今日明日で見つからないとどうにかなることではない。ただ、生まれてこの方一度も会えていない母にすぐにでも会いたいだろうに、我慢する姿がどうにも愛おしくなる。


「では急ごう。私に掴まって」

「はい」


 おずおず足元に掴まる、李九天が右腕を伸ばし、抱き上げてくれた。まだ甘えたいさかりの年齢だが、改めてされると気恥ずかしくもある。


「振り落とされないように」

「は、あわわわッ」


 返事をしている最中に飛び始めたのだが、予想の五倍は速く、両腕を思い切り李九天の背中に回し、ぎゅっと抱き着いた。本当に気を抜いたら振り落とされそうだ。


 今まで香風に合わせた飛び方しか見せてこなかったため、速く飛ぶのは久々だった。


 扉まで五十里以上離れていたが、ものの四半刻で辿り着いた。地面に下りてもまだくらくらした。


「酔ってしまったか? すまない」

「だ、大丈夫です」


 深呼吸をしたら大分落ち着いた。こんなことで心配をかけていたら、師父の弟子と名乗れない。


 香風が辺りを見回す。岩ばかりで木々すら生えていない。自然豊かな場所で育ったので、香風には異様な光景に映った。


「あそこだ」


 李九天が指し示す先に、扉が浮かんでいた。

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