第4話 大きな魔物

「さて、準備は出来たか?」

「はい」


 漢服の上に外衣を羽織った李九天リィ・ジゥティェンが振り向く。元気に返事をした香風シャンフォンも同じような格好をしている。


「ツノはまだ気を抜くと出てくるから、帽子は被っていなさい」

「はい」


 香風が飛べるようになって数日、二人は龍神を探す旅に出ることにした。


「家はどうするのですか?」


 香風は寂しそうに慣れ親しんだ家を見つめた。


 次ここに戻ってくるのがいつになるのか分からない。もしかしたら戻らない可能性だってある。


「そのままにしても朽ち果てるだけだから、こうしておこう」


 李九天が家に手を翳すと、光の輪が家を包み、家の形が薄ぼんやりしたものに変わった。


「これで他の者には見えなくなった。動物や盗賊が荒らすこともないだろう」

「すごい。これならいつでも帰れますね」

「うん」


 家に別れを告げ、二人は歩き出した。


 山の上に建っているため、半刻歩いて遠くの方にようやく村が見えた。


「少し休むか?」

「いえ、平気です」


 まだ小さな体で歩かせ過ぎたかもしれないと尋ねてみたが、元気な声が返ってきた。さすがは龍神の子どもといったところか。


 その時だ。


 急に雲が現れたかと思って見上げれば、森の木々より大きな魔物がこちらを覗いていた。ごつごつした岩のような皮膚と、爬虫類の瞳を持つ黒い魔物だ。


「キュウウッ」


 生まれて初めて出会った魔物に香風が羽をばたつかせる。李九天が興味深げに観察した。


「このような大きな魔物が人里近くに生息しているとは」

「ししし師父ッ逃げましょッ」

「問題無い」

「ありますぅ~~~!」


 李九天は強い。しかしそれは、まだ未熟な弟子の視点から見たものだ。目の前に現れたわけの分からないもの相手に通用するのかはまた別問題である。


 李九天が香風に微笑みかけた。


「師父が信じられないのか?」

「信じます」

「なら、見ていなさい」

「はい!」


 師父の一言により、たった今までの不安が一気に吹き飛んだ。彼が大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。弟子の役目はその結果を見届けることだ。香風はその場に正座をした。


『グルルルルル』


 巨体が李九天めがけて突進する。その差は五倍にも上った。しかし李九天は涼しい顔で背中に手を当てて姿勢良く立っているだけだ。


『ガァァッ』


 魔物の大きく鋭い爪が李九天に襲いかかる。顔を覆いたくなる光景に、香風は背筋を伸ばし、ただひたすら師父を見つめた。


 爪が当たると思われた直前、李九天が緩やかに避け、飛び上がり魔物の体を軽々蹴飛ばした。


 まるで小さな鞠のように魔物は吹き飛ばされ、大木に激突した。その勢いで大木が倒れていく。香風が瞳を輝かせて拍手をした。細身に見える李九天は実のところ武の神であった。


「おい、あの化け物が倒れてるぞ。もうけもんだ」

「え……?」


 上から声がして見上げると、香風のすぐ近くに見知らぬ男が二人立っていた。


「ひひ、身なりからしてお坊ちゃんか。身ぐるみ剝いでやる」

「こいつごと攫った方が良い金になるかもしれない」


 武骨な腕がこちらに伸びてくる。男たちの会話からするに敵だということを判断した香風が構える。瞬間、男の首に李九天の剣が添えられた。


「この子に何か用かな?」

「なんだお前! おい、やっちまえ!」


 状況を把握出来ていない男が叫ぶが、もう一人の男の助けはやってこなかった。後ろを向くと、すでに倒れた後だった。


「ひッし、失礼しましたぁッ」

「忘れ物だ」

「ぐぇッ」


 倒れた男を放り投げられ、上手く受け取れなかった男が潰れた声を出した。


「大丈夫か?」

「はい、有難う御座います」

「ちょっとこちらに」


 李九天が指し示す先には仕留めた魔物がいた。すでに絶命しているようだが、近くで見ると今にも動き出しそうで足が竦む。


「何をしているのですか?」


 魔物に上って剣を突き刺したため聞いてみると、李九天が中から何かを取り出しながら答えた。


「魔物は命が尽きると心臓が固まり核石かくせきとなる。たまに宝石のように光るものになるから、高額で取引されることもあるのだ。だから旅の資金にと思ってね」

「なるほど、勉強になります」


 その手には光る石があり、凶暴な魔物とは正反対の繊細な淡い青色に思わず魅入ってしまう。


「綺麗ですね」

「うん、これは高値で売れそうだ。あそこは村だから買い取ってもらえる場所があるかは分からないが、いちおう行ってみよう」

「はい」


 李九天が魔物から離れ、そこへ手のひらを翳すと魔物がぷすぷすと灰になって崩れた。


「さて行こう」


 予定が狂ってしまったが、それも旅というものだ。二人は再び歩みを進めた。

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