第3話 空の飛び方

師父しふ!」

「なんだ?」


 それから三年経ち、香風シャンフォンはすっかり大きくなった。人間で言う五歳程度だろうか。

 生まれてから数か月は人間の何倍も速く成長したが、段々と緩やかになってきている。


「朝餉が終わりました。早く修行しましょう」

「分かった。外で待っていなさい」

「やったぁ!」


 本能か何なのか、勧めてもいないのに香風はすっかり武術の修行が気に入ってしまった。


──旅に出れば何かしらと戦うこともあるだろうから、まあいいか。


 普段、誰かにものを教えることがないためどの程度教えればいいのか分からないが、香風が出来るかどうかを見極めつつ毎日の修行に勤しんでいる。


 準備をして外に出ると、香風はたまたまいた熊を追いかけていた。


「これ、熊が怯えている。ほどほどにしなさい」

「はい、師父」


 この山には兎から熊まで様々な動物が住んでいる。二人はその一部を狩り、食材にさせてもらっている。それなので、香風が獰猛な熊も恐れることはなかった。


「さて、組手からしよう」

「はい。宜しくお願いします」


 香風が拱手してから構えた。李九天リィ・ジゥティェンは両手を後ろに組んだまま立って待っている。そこへ香風が突っ込んでいった。


「はぁッ!」


 両手両足を駆使し次々に技を繰り出すが、それを李九天は優雅に避けていく。しばらくして香風が音を上げた。


「だめだッ」


 息を切らして倒れ込む香風に向けて李九天が右手を伸ばすと、そこから爽やかな風が吹いた。汗を垂らした体が癒されていく。


「休憩したら、今度は飛ぶ練習をしよう」

「はいッ」


 すぐに香風は立ち上がり、上着を脱いだ。そこから隠されていた羽がばさりと広がる。まだまだ小さなそれだが、生まれたばかりの頃を考えればだいぶ立派になった。


「ふぬぬぬぬ」

「これ、力を入れ過ぎだ。もう少し楽にして」

「はいッんんんッ」

「ううん……」


 なかなかコツが掴めないらしく、今のところ羽をほんの少し動かすことが出来るに留まっている。


 一方、李九天も羽を持たないため、どう教えたらいいのか分からずにいた。


「天界人に羽を持つ者が他にいればいいが」


 人間界にばかりいる李九天は、顔を知らない天界人もいる。あと一年程しても飛べないようであれば、一度天界へ連れていって教えを乞うのもいいかもしれない。


 李九天が悩んでいると、香風がおもむろに両手で顔を覆った。


「どうしたのだ? どこか痛いか?」


 ふるふると首を振られる。李九天は香風に近付き、しゃがんでその顔を覗き込んだ。そっと背中に手を触れる。


「ごめんなさい」

「師は何も怒っていない。訳を言ってみなさい」


 殊更優しい声色で伝えると、上擦った声が返ってきた。


「香風が、出来ないから、師父に迷惑が……ッ」

「私は迷惑なんて思っていない。毎日貴方の成長を見守ることが出来て嬉しいよ」


 その言葉に、香風が顔を上げた。想像以上に近くに師父の顔があり、それだけで大きな瞳からぽろぽろと涙が零れていった。


「うわぁぁん師父~!」

「よしよし。今日はおしまいにして、また明日頑張ろう」

「まだやります~!」


 泣いてはいてもまだ諦めていないらしい。その時、ふいに後ろから先ほどの熊が突進してきた。


「グォォォォッ!」

「ぴゃッ」

「おや」


 普段熊を怖がる香風ではないが、意表を突かれて驚いたため勢いよく上に飛び上がった。その勢いで羽がばさりと大きく動く。香風の体は地面に落ちることはなく、宙に浮いたままだ。


「わ、あ、あっ」


 李九天も浮き上がり、香風の横に来て微笑んだ。


「おめでとう。飛べたな」

「師父~~~!」


 香風が李九天に抱き着く。こうして、香風は龍神としての第一歩を踏み出した。

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