第2話 香風

「さて、まずは名を付けねばならん」


 家へと帰ってきた李九天リィ・ジウティェンが赤ん坊を布団に寝かせて考え込む。自分は親ではないが、育てると決めた以上親代わりとして守る責任がある。


 名というものはその者の体を表すものなので、気楽に決められるものではない。


「どうしたものか」


──人の親というものは何人も子どもを産む。そのたびにこうやって悩み、立派な名を選んでいるのか。大したものだ。


「キュウ~」


 その間も楽しそうに赤ん坊が鳴く。実に愛らしい。何か心が和むような名にしたいと思う。


 その時、開いた窓から爽やかな風が吹いた。李九天が立ち上がる。


「風……春を乗せた……よし」


 赤ん坊を抱き上げて言う。


「名は香風シャンフォンだ」

「キュウ」

「おお、気に入ってくれたか」


 香風が景気良く鳴いてくれたので、李九天が窓から外に出て空に浮き上がる。香風がきゃらきゃらと笑った。


「これから一緒に楽しく過ごそう」

「キュウ」


 その日から李九天の生活は一変した。気ままな一人暮らしにか弱い赤ん坊が増えたのだから仕方がない。しかし、危なっかしい子どもと一緒というのも存外面白いものだった。


 初日から香風はよく食べた。すでに歯が綺麗に生えそろっているので、大人と同じ食事でも問題無い。ただ、腹が空くと鳴くため、空気からでも栄養を取り入れることが出来る神と違い、香風はどうやら人間とのハーフらしかった。


 龍神が誰との子を産み落としたのかは分からないが、分からずとも香風を可愛がればいいだけの話だ。


「李九天。よかったら果物をどうぞ」

「ありがとう」


 たまに沈美響シェン・メイシャンがやってきて、果物をくれたり香風と遊んでくれたりした。


 一か月程すると、香風が歩き出した。まだよちよちと覚束ないが、人間より大分早い成長だ。この分なら間もなく言葉を話し出してもおかしくない。


「今日は食材を買いに行こう」


 香風を片手で抱え、町の近くまで飛んでいく。人気の無い森で地上に下り、二人で町へと入っていった。


「いらっしゃい。あらあら可愛らしい赤ちゃんだこと」


 店の女主人に香風を褒められ、李九天は満更でもない顔をした。まだツノを自由に仕舞えないため、外衣の帽子を被って頭をすっぽり隠しているが、それでも香風の愛らしさは損なわれていないらしい。


「大根とにんじん、それと唐辛子をください」

「はいよ。唐辛子はくれぐれも赤ちゃんの手に届かないところに置いてくださいね」

「わ……かりました」


 李九天が少々顔色を悪くさせ、次に書物を扱う店を訪れた。目についた書物を取り、店主に金を渡す。


「まいどあり」


 書物は子育てについて書かれたものだった。


 どうやら、赤ん坊には辛いものを与えてはいけないらしい。今まであげてはいなかったが、人間の赤ん坊よりはしっかりした味付けになっているかもしれない。他にも与えてはならないものがないか調べなければ。


 いくら天界人の血が入っていると言っても気を付けるに越したことはない。家に帰ると、大慌てで育児書を読み込んだ。


「なるほど」


 書物によると、香風の発達具合からして人間でいう一歳前後に相当することが分かった。


 気を付ける食材が載っていたが、自然のものを食べさせていたため問題無いらしかった。李九天が胸を撫で下ろす。


「蜂蜜もあげていない。よかった」


 これが人間の親子ならば近所の先輩から教わるのだろうが、生憎李九天は一人で暮らしている。人里から離れたところで生活していたことが裏目に出てしまった。これからはもっと知識を付けていこう。


「貴方の母君が早く見つかるといいな」

「キュウ~」


 翌日から書物で覚えたことを参考に、香風の成長をじっくり観察した。


「キュウ、キュウ」

「よしよし、上手いぞ」


 駆け足が出来るようになると、毎日家の庭を駆け回った。兎を追いかけてみたり、飛んだ鳥につられて羽を動かすようにもなった。


「自分の羽で跳べるようになったら、師父しふと一緒に空の散歩をしようか」

「キュウ!」


 香風が両手を挙げて跳び上がった。

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