第6話 まずは彼女と対話する③

 琴吹が泣き止むまでの間に、なぜ俺が彼女の浮気を許した上に「いさぎよく身を引く」なんて宣言をしたかについて、説明しようと思う。


 まずは、俺が事実として受け入れなければならないことがある。それは『琴吹には俺に対する想いがもうない』ということだ。


 四日前、彼女から別れを切り出された時にも感じたが、今日改めて確認をとった。彼女は俺に対して異性としての気持ちがない。それは今にでも地団駄じだんだを踏みたくなるような屈辱くつじょくであるが、認めなければ話は進まない。


 それでも俺たちは、曲がりなりにも恋人同士であった。

 多少の情くらいは残っていると思いたい。


 すると案の定、彼女は浮気を起こしたことを非常に気に病んでいる様子であった。自身の身勝手によって、俺へと取り返しのつかない迷惑をかけたと認識している。


 彼女にあるのは俺への負い目。


 それを利用しない手はなかった。できることならば、その負い目を俺に対して常日頃から意識していてもらいたいのだ。

 しかしそのためには、彼女に『ゆるし』を与えておくことが必須事項である。このままフォローも入れずに放置することは非常に危険であった。


 それというのも、人の記憶というものは放っておくと、都合のいいように改竄かいざんされてしまうものだからだ。


 彼女には俺への負い目があるが、それが負担になり過ぎていると、楽になりたい一心で、いつの日かこのように考える可能性がある。「工藤アラタという男は別れて当然のひどい男であった」と、「だからこそ自分は浮気をしてしまったのだ」と。


 いわゆる記憶違いというモノである。「虚偽記憶」や「過誤記憶」なんて言われるそうだが、詳しくは知らない。


 人の記憶というのは非常に曖昧あいまいなもので、時が経つにつれて、自分の都合のいい記憶を創りだすようにできている。下手をすれば「工藤アラタの方が浮気をしていた」などと、有る事無い事をでっちあげられてしまう可能性すらあるのだ。

 ただでさえ、俺という男は彼女にとって恋愛対象でもなんでもない存在に成り下がってしまった。その上で『別れて当然だった男』などというレッテルを貼られることは避けてしかるべきである。


 だからこそ俺は、彼女にとって、物分かりが良く都合のいい男を演じた。


 それにより『別れて当然の男』ではなく『私の我儘わがままで傷つけてしまった優しい人』と印象づける。起死回生の一手をねらう俺にとっては、真っ先に対策するべき懸念けねん事項であったのだ。


──

──


「ごめんなさい工藤くん……そして、ありがとう」


 しばらくして、泣き止んだ琴吹からそんな言葉をかけられる。俺はその言葉に対して、実に複雑な感情を抱きながらも、その全てを飲み込んで「大丈夫だ」と答えた。


 大丈夫なものかっ!

 泣きたいのはこっちだわ!


 と、全力で叫びたい。

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