池田大陸

第1話

 

 私の会社の部署には三人の男性社員がいる。


 一人はHという、いわゆるイケメンでカッコいいとされる男。私はあまりそう言った観察眼をもっていないのでその評価が正しいのかどうかもよく分からないが……。周囲の話ではどうやらそのような人物らしい。


 次にKというこの部署の部長。

 この人は忙しいらしく常に外回りで出張っていて、私はほとんど会った事がない。


 最後の一人はFという地味な見た目の4〜50代のストーカーみたいな人だ。


 このFさんは中途採用で最近入社したらしく、仕事はよくできる。

 しかし困った事に私の事をじっと舐め回すように見ている時があって正直気持ちが悪い。


 ちなみに今もだ。

 反対の机の向こうから隠れる素振りもなく目を細めて変な表情で私を観察してくるのだ。


 恐る恐る牽制する様にFさんに言った。


「あ、あの……なんですか?」


 するとFはニチャア……という擬音語がよく似合う笑いを浮かべて、ゆっくり私から目をそらす。


 ――なんなの、この人?

 そう思いながら、私は仕事を再開した。



 私は昔から男性が苦手だ。すぐ怒るし、乱暴だし、大声出すし。要するに怖いのだ……。

 正直恋愛など、したいという気持ちにすらなった事がない。

 イケメンだと言われているHに対してもそういった感情を抱くことはなく、自分の事はただ空気の様に思っていてくれればいいな、――と願うだけだった。



『未読のメッセージがあります』



 社内のpcのメール機能を立ち上げるとそんな文が飛び込んできた。


 差出人の項目には社内pcのアドレスが記されている。

 ……いや、微妙に違う。社内のpcなら登録されているので名前が出るハズ……。一体誰が何のためにこんな手の込んだ事を?

 少なくとも会社の私のpcに送られてきている時点で社の、そしてこの部署の誰かからのメッセージだとは思うけど……。



 誰だろ?今までこんな経験はなかったのでちょっと気分が浮ついた。



『傘をさすな』



 は?


 端的すぎるそのメッセージに私は一瞬目が点になった。

 そしてその時まで私が抱いていたほんの僅かな高揚感は一瞬にして消し飛んだ。


 まず意味がわからない。

 今日が雨なのは天気予報を見て知っているし、折り畳み傘もしっかり鞄に入れて持ってきている。

 外を見るとしっかり雨が降っている。


 この状況で傘を使わないなんてありえない!




 ――仕事が終わった後、私は会社を出た。

 するとやはり外は雨で、私の頭の中にはあのメッセージが浮かんでいた。

 私はちょっと悩んだ。


「あんなの無視すればいい」


 それが普通の感覚なのだが、なんとなく占いの様な気持ちで近くのコンビニまで走ろうと思ってしまったのだ。


 そして会社を出た、その時――!



「赤木さん」



 私がその声に振り向くと、Hが立っていた。もちろん傘をさして。


 突然のことに私がポカンと口を開けていると、Hは和かに微笑むと、

「傘ないの?入る?」


 と言ってくれた。


 私は突然の事に頭が回らず彼の顔を見上げるだけで精一杯だった。


 Hに限らず人の顔をこれ程間近で眺めたのは久しぶりだ。

 シャイな私は普段人の足元ばかり見ていたのだから……。


「あ、あ……」


『傘をさすな』


 あのメッセージが思い出され、私はついこう答えてしまった。


「あ、ありがとうございます……」


「赤木さんは○○駅まで……で良かったよね?」


「あ、はい……」


 傘をさしてもらい二人でしばらく駅まで歩いていく。


 私はこんな状況に緊張しつつ、ほんの僅かに高揚した。こんなことってあるんだ……!


 歩いている間に色んな話を振ってもらい、それに答えたりしているうちに少しずつHと話すのが楽しくなってきた。


 そしてしばらくすると駅が見えてきた。


 私はそこで彼と別れ、一人で電車を待っていた。

 その間ずっと彼との話の内容を思い出していた。


 久々に人と話していて楽しかった。もっとお話ししたかったな。……気付けばそんな暖かい気持ちになっていた。



 ――次の日、またも会社のpcに誰かからのメッセージが届いていた。

 その内容はこうだった。



『各駅停車に乗れ』



 ……これは何だろう?

 確かに私は毎日通勤で電車に乗っているが乗っているのは「急行」だ。

「各駅停車」に乗るとなると20分程出勤時間を早めないといけなくなる。


 しかし私は先日、差出人不明のこのメッセージに従って良い経験が出来たので、今回も大人しく従う事にした。



「まあちょっと早起きすれば良いだけだし」


 そう考えた私は翌日、「各駅停車」に乗るべくいつもより20分早く家の最寄駅に寄っていた。


 そこで先日の記憶を思い出させるような出来事が起きた。


「あれ?赤木さんって急行じゃなかった?」


 またもHに駅で声を掛けられた。正直嬉しかった。


「あ、……Hさん、普段はそうなんだけど、今日はなんか早起きしちゃったから……」


「そうなんだ!いやー、偶然だね。俺はいつも満員電車が嫌だからコレなんだけど」


「私もこれからそうしようかなー」


 などと電車が来るまで話をしていた。

 不思議なことに、男性なのにHとはあまり緊張せずに話をする事ができた。


 そんな私は次第に彼に惹かれていった。



 そして私のpcには続けて何度かメッセージが届いた。

 そのうち私はこのメッセージが届くのが楽しみになっていた。なぜなら、それを実行するたびにHとの距離が近くなっていったからだ。




 ――そうしているうちに、いつの間にか彼とは体を重ねるまでの関係になっていた。


 そして――。彼にプロポーズされた。



「ずっと前から好きでした――結婚して下さい」



 私は嬉しさのあまり、すぐに「はい!」と答えた。そして同時に理解した。


 あのメールは彼が送っていたのだと。

 なぜならあのメールの内容は全て、彼との関係性を構築するキッカケになるものばかりだったからだ。


 私はそのメッセージについて彼に聞いてみた。



「あなたも変わった事するのね?あんなメッセージを送ったりして」


 すると彼はキョトンとした表情で答えた。


「え?何のこと??」


 本当に分からないような仕草だった。

 私はてっきり彼が送り主だと頭の中で決めつけていたので驚いた。


 じゃ、じゃあ一体誰があんな奇妙なメッセージを送ったのだろう?



 翌日、私はHに今まで受け取ったメッセージを見せると、彼は悩ましげな顔をして腕を組んでこう言った。


「これは……もしかすると……いやでもワザワザそこまで……」


 Hはブツブツと独り言のようにつぶやき始めた。


「ごめん、あなたには心当たりがあるかも知れないけど……私さっぱり分からないわ」


 私がそう反応するとHはこう答えた。


「君のpcに送られたメッセージって、全部僕と君の関係性を取り持つ内容だよね?」

「うん。だから私てっきりあなたが私にアプローチするために送ったんだと思ってた」


 それから彼の口から出たのは意外な人物だった――。


「もしかしたら、の話だけどね……。このメッセージはFが送ったのかも知れない」


 ……私は意味が分からなすぎて言葉を失った。

 よりによって私が日頃不気味に感じているFさんが、なぜ……!?



 ガチャッ……。



 その時職場にちょうどFさんが入ってきた。


 Fさんは私やHに注目されるのを避ける様に顔を手で押さえながら席につこうとする。

 相変わらずニヤニヤしているというか……不思議な表情を見せている。この人はいつもこうだ。


 HはそのFさんに駆け寄って早速聞き始めた。


「Fさん。……あの、失礼ですが彼女のpc宛に妙なメッセージを送ったりしてませんか?」


「えっ!?……」


 かなり驚いた様で、いつもの作った様な笑いではない素の表情が現れていた。


 ……あれ?この顔……どこかで見たような……あれ?


 ここでFさんは言い訳するようにHに答えた。


「い、いやぁ知らないなー……というかなぜ私に聞くんですか?」


 そう問われたHはすぐさまこう返した。


「Fさん。僕が彼女に気がある事、以前会社帰りに飲んだ時に軽くあなたにお話したような記憶があるんです。飲んでたので曖昧な記憶ですが……」


「そ、そうだったかも知れない……」


 Fは曖昧な返事をした。Hは続ける。


「で、メッセージの内容って僕と赤木さんとの距離を縮める意味合いがあるものばかりなんですよね……」


「そ、それならK部長かも知れないじゃないか?……」


 Fはしどろもどろになって目や口を閉じたり開けたりと忙しい……。


 それにしても私はさっきから何となく妙な感覚を覚えるのだが……何だろう??これは……。


 等と私が違和感を感じていると、Hが先ほどのFの意見を一刀両断した。


「K部長は絶対ないですよ。あの人は会社の売り上げをいかに上げるかしか考えてませんから!」


「ま、まああの人はそうかもね……」


「なので社内のpcにメッセージを送れて、僕の彼女に対する気持ちを知っていて、かつこんなメッセージを送る人物ってFさん、あなたぐらいなんですよ。ただ……」


 Hは一呼吸置いた。Fは気まずそうな顔で俯いている。



「そこまでする理由だけが分からないんですよ」



「理由か……」

 Fはポツリとつぶやく。


「赤木さん……君は……君なら分かるかい?」


 突然、Fさんは真面目な顔でしっかりと私を見据えそのように言ってきた。


 ……。


 …………。



「……え!?」


 私はそんなFさんの滅多に見れない真顔を見て、Fという名前と共に全てが繋がってしまった……。


「あ、ああ……そういう……事……?」


「え!?赤木さん。何か分かったの!?」


 当然ながらHは私を振り向いて問いかけてくる。



 私もHの顔を真剣に見つめながら答えた。




「Fさんはね、私の実のお父さん……であってるよね?」




 Hは目を見開いて私とFさんを交互に見る。


「ええ……いや、……でも確かに……!?」



 私は遠慮なくFさんに答え合わせをしていく。


「私の旧姓は確かFだったハズ。そしてあなたの顔も私とよく似てますね」


 するとFさんは観念したように話始めた。



「娘の心配をしない父親はいないさ」



 私もHも黙ってFさんを見つめるだけだった。


 Fさんは続けた。


「君が赤子の頃、私は妻と離婚した。そして私は今までずっと君に対して申し訳ないと思いながら生きてきた」


「……」


「そのうち、君がこの会社にいるのが分かったとき、君がどうなっているのか……どんな人間になっているのか……知りたい気持ちに抗えなくなって、私は今ここにいるという訳だ」


 今度は私の口から確認した。


「そして気恥ずかしさから直接話すのはおろか、顔が似ている事を悟られるのも嫌だった……と」


 Fさんは渋い顔をしてややうつむいて答える。


「ま、まあな。だから毎回変な顔をしてごまかしていたんだ。洋子、お前にはさぞかし不気味な人間に写っただろうな」


「本当だよ!……もう。私のシャイな性格、絶対お父さんの遺伝だと思う」


 私はちょっと怒ったような素振りを見せた。まあ申し訳ないけど実際不気味だとは思っていたしね。



 ここでしばらく黙っていたHがやっと口を挟む。


「い、いやー。しかしこれはFさん、娘さんに対する愛が強すぎますよ!」


 F(お父さん)はHをしっかりと見て彼の肩に手を置いた。


「娘の男性不信はここに転職してきてすぐに分かったよ……。これも離婚した俺のせいかも知れないと自分を攻めない日はなかった。だが――」


 お父さんはHにニッコリと微笑むと、ハッキリした口調で言った。


「H君、同じ職場に君がいて良かったよ。娘をよろしく頼む」


 Hはキリッとした真面目な表情になって、


「分かりました」


 とだけ答えた。



 私は、不器用ながら自分を愛してくれていた父親がこんなに身近にいた事。そして私を大切に思ってあんなメッセージを送ってくれた事に感謝し、同時に少し涙が出た。



「お父さん、結婚式には必ずきてね!」


「もちろん」


 と返したお父さんの顔は、今まで見せた事のないような穏やかなものだった。

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