第14章 三村剛史
第54話
――イテッ……、三村剛史は生爪をはがされたような激痛を覚えた。その時に目にしたのは、カレンの放った二発目の弾丸が頭骸骨を割る瞬間だった。ミンチになった脳が飛び散ってテーブルクロスを赤黒く汚し、力を失った久能久門の肉体がズルズルと椅子から滑り落ちて床に転がった。
剛史は床に崩れ落ちた遺体を見て衝撃を覚えた。
「まさか!」
眼をむいたままでピクリともしないその顔は自分のものだ。頭部はパックリ割れて、脳がウニのような姿を覗かせていた。
僕が死んだ!
ふと疑問が浮かぶ。撃たれたのが自分なら、それを見ている自分は誰だ?……猜疑は眼を曇らせるものらしい。目の前の世界が色を失い、やがて世界そのものが失われた。
自分が寝ている間、世界がなくなっていると感じることがある。世界は、自分が目覚めているから仕方なくそこに存在しているのだ。……その日もそうだった。目覚めは、沼の底からひとつの気泡がブクブクと浮き上がるような感覚だった。それが水面でポンと弾けると意識が明瞭になり、世界が再構築される。……今もそうだ。目覚めたのと同時に撃たれた記憶が蘇った。
恐る恐る頭に両手をやる。ごわごわした髪の毛の触感……、その先に地肌がある。撃たれた傷も、傷跡に触れる痛みもなかった。しかし、生爪をはがされたような強烈な痛みの記憶があるのも事実だった。
「生きている……」そのことに深い失望を覚えた。
精一杯気力を振り絞って瞼を持ち上げる。網膜に映ったのは、展望レストランからの景色ではなく自宅の書斎だった。新聞紙、衣類、精神安定剤、……ものがちらかった部屋はいつものままで、パソコンのディスプレーは黒かった。壁一面を占める書籍は、剛史が生きていようが死んでいようが構わないといった様子をしていて、その前の床にはゴルド紛争に関する書籍や資料がうず高く積まれ、チトラオーガ民主共和国のない古い地球儀が転がっていた。
カーテンの隙間から射す晩秋の陽射しが眩しかった。どうやら朝のようだ。机の電気スタンドの灯りを消してカーテンを開けた。ガラスに弾丸が貫通した痕跡はなかった。
「あれは何だったんだ?」
窓ガラスを貫通した弾丸が頭に命中し、レストランの床に崩れ落ちた自分……。その経験はとてもリアルだ。死んだのが自分なら、その様子を見下ろしているのも自分だった。その確固たる二つの記憶に理性が混乱していた。どちらかが現実なら、どちらかは夢のはずだ。記憶の中の夢と現実が錯綜していることが受け入れられない。
「すべて妄想だ」
理性はそう結論付けたが、感情は納得しなかった。痛みの記憶があまりにリアルだからだ。もう一度、頭に手をやって傷がないことを確認した。
窓を開けて空気を入れ替える。流れ込むのは晩秋というより冬の空気だった。
緑色の看板に眼が行った。信用金庫のビルに掲げられた看板だ。それから、更に遠くの少し高いビルに眼をやった。それで思い出した。あそこにスナイパーがいて自分の頭を狙っているはずだ。
「朧、いや、カレン……。撃て!」
そう声にして両腕を広げた。眼を閉じると十字架に磔にされている気分だった。キリストのように人類の罪を背負うことはできない。ただ、自分の死が多くの人々の記憶に残ればいいと思う。
「さあ、殺せ。金を受け取っただろう!」
闇の時が重い。
――いくら待っても弾丸に撃ち抜かれることはなかった。腕を上げているのに疲れて眼を開けた。
「何故だ……」
スナイパーの眼にも自分は映っていないのかもしれない。会社員時代、同僚の目に映らなかったように……。力が抜けて腕が下がる。それは他人のもののように感覚がなかった。
商社での経験を忘れたことはない。営業で業績を上げて役員の目に止まり、経営企画室に異動した。入社四年目のことだ。そこで新規事業立ち上げのリーダーに抜擢された。同僚は先輩社員ばかりで、剛史は二の足を踏んだ。そんな彼に役員が言った。「……村おこしに大切なものが何か、知っているか?……古い体質に切り込める、よそ者、若者、馬鹿者の三つの力だよ。会社も同じだ。会社を活性化するのは若者の力だ。会社に馴染んでしまっては、よそ者の資質を欠くことになる。我武者羅に走る君だからこそ、できることがあるはずだ……」そう説得されてリーダーを引き受けた。
新規事業立ち上げは役員肝いりの仕事だ。当然、経営企画室が一丸となって取り組むものと考えていた。ところが、そこの四十名の社員は冷たかった。入社四年目の若造がその仕事に成功するということは、在籍していた彼らの、特に室長の無能さを証明することになるからだ。彼らは剛史を空気のように無視し、成果の芽をことごとくつぶした。一対四十という厳しい環境に剛史の心は病んだ。それでも役員の期待と後押しがあって働き、いや、闘い続けた。
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