第53話

 カレンは、フェンスに設置された防犯カメラの下に車を停めると、グレーの作業着に着替えて電気工事の作業員に扮した。腰に巻いた様々な工具を装備したベルトは想像以上に重たかった。

 まだ、陽は高い。忍び込むには不向きだけれど、メンテナンス業者がうろうろするなら明るいうちだ。ゴルフクラブケースを布製の工具袋に入れて背負い、ヘルメットをかぶり、マスクをかけ、軍手をつけてフェンスを上った。

 防犯カメラのレンズの向きを外側に向けてから内側に下りる。管理会社が防犯カメラの異変に気付いたとしても、直しに来るのは明日以降だろう。

「それ以前に、警察が来るだろうけど……」狙撃が成功すれば、射撃地点はここしかないと素人でもわかるはずだ。

 ひとり口ながら、放置されていたトラロープを腰のナイフで手ごろな長さに切る。それを腰に巻き、林業の職人がロープを使って大木に上る要領で梯子のある場所まで上った。あらゆる状況に対応できるよう、ウエイトリフティング、水泳、サバイバル、プログラミング……、普段から様々なトレーニングを積んでいる。

 電気設備のある場所まで上ると、人眼を避けて機械の陰で待った。陽が傾いてから、お天気カメラのある地上、百メートルほどの場所まで階段を上った。

 お天気カメラは塔の対角線上に二台設置されていて、そのメンテナンスに利用するための足場がぐるりと一周していた。そこからホテル・ミラージュの展望レストランは少し見下ろす形になっていた。狙撃にはもってこいの配置だ。しかし、上空の風は地上に比べればはるかに強く、狙撃にはマイナスの要素だ。もうひとつマイナスの要素がある。展望レストランのガラス窓は、強風に耐える強化ガラスだということだ。ライフル弾はそれを貫通できても弾道が変わる可能性が高い。確実にターゲットに当たる保証がなかった。

 多少の横風があっても、ガラスが強化ガラスだとしても、カレンには仕事を成功させる自信があった。不安要素があるとすれば、久門がいつものように展望レストランに現れるかどうかだ。爆破予告事件に恐怖を覚えて家に帰ってしまったり、食事の時刻を変えてしまったりする可能性はあった。

「いや、それはない」

 カレンは確信を声にした。仕事ができる人間は規則正しい生活や仕事のルーティンを大切にするものだ。彼だって、いつもの時刻に食事に現れ、いつものオムライスを注文するだろう。

 一番星が瞬き始める薄暮には心がやられる。すべてがあって、すべてがない、あいまいな世界だからだろう。そうして遠くに見える展望レストランの灯りに恋しさを覚えたその時、眼がくらんだ。電波塔に設置された電飾に灯りが入ったのだ。午後四時を少し過ぎていた。

 目を傷めないようにサングラスをかけて狙撃の準備を始めた。ライフル銃に弾丸を五発装填し、反動を押さえるために二脚を床に固定した。電飾の灯りのおかげで手元はよく見えたが、他人の視線にも怯えなければならなかった。電飾が眩しすぎて、地上はもちろん周囲の建物の人影を見ることもできなかった。

 足場にうつぶせになる。狙撃では一番安定した姿勢だ。スコープを覗くと、いつもの窓際の席にターゲットとウエイトレスが立っていた。

「やっと来たか……」

 席に着いた彼のこめかみに照準を合わせる。……今度はミラージュ同様、頭だ。ライフルマークは刑事の心臓を撃ち抜いたものと同一。ミスター・iが望むように、謎のスナイパーによる三件の連続狙撃事件になるだろう。

「久能久門、君の命は私の手の内にある」

 宣告してボルトハンドルを引く。

「肉体を放棄して逃げるのなら、地の果てまで逃げるがいい」

 ゆっくり息を吸う。彼の脳みそで純白のテーブルクロスが汚れると思うとやるせない。

「九九、私に嘘は通用しないよ。……バイバイ、つまらない人生の幕引きを手伝ってやる。心意気に免じて残金は香典だ……」

 引き金を引くのに躊躇ためらいいはなかった。

 ――ターン――

 肩に衝撃がある。ほぼ同時に、次弾が装填される。照準は久能久門の頭部のまま。すかさず引き金を引いた。

 ――ターン――

 二つの弾丸は同じ軌跡を描く。一発目の弾丸が展望レストランの強化ガラスを砕き、砕けたガラスが流星群のように煌めく。二発目の弾丸は、何の抵抗も受けずに久門のもとに届いた。彼の望み通りに……。

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