第13章 ブッシュ・カレン
第50話
ブッシュ・カレンは、ホテルから一キロメートルほどの場所にある電波塔に足を運んだ。四方は高いフェンスで囲まれ、その上部には侵入者を監視する防犯カメラが設置されている。巨大な鉄塔には地上から数メートルほどのところに床面があって、電気通信設備の入った物置小屋ほどもある金属製の箱が複数あった。そこから上に向かってジグザグに階段が続いているものの、地上からその床面まで上る階段はなかった。床面に開口部があって、その下部に折りたたまれた梯子がある。フックのついた棒で梯子を引き下ろす仕組みだ。
梯子をおろす棒が手に入るだろうか?……送電線の管理をする企業になら、それに類したものがいくらでもあるだろうけれど、そこに侵入して持ち出すのはリスクを増やすだけだ。ホームセンターで梯子を買うことも考えたが、それを担いでフェンスをよじ登るのは骨だろう。使用後に梯子を処分するのも簡単ではない。
「どうしよう……」
声になったが、深刻に考えているわけではなかった。山に登るのにルートは一つではない。登山道がなければ、森を切り開いて道を作ってもいいし、崖をよじ登ってもいい。
鉄塔の下に、メンテナンス時に使うバリケードやトラロープが置かれていた。それで上部の床面まで上る方法をいくつか思いついた。
ホテルに戻ると品のよさそうな老人が近づいて来る。
「お嬢さん、実にお美しい。お暇なら、私の絵のモデルになっていただけないだろうか?……いやいや、怪しいものではない。これでも私は日本画協会の会員なのだよ」
その年齢で、ベタなナンパ?……老人を無視して一階のカフェに入った。そこのカフェオレが意外とおいしいからだ。
熱いカフェオレを味わいながら、頭の中で仕事の流れをシミュレートする。万事抜かりはないと確信した後は、ホテルを出入りする人間をぼんやり見ながら熱を持った脳を休ませた。
時刻は午後四時を過ぎたところでチェックインする客が多かった。旅行を楽しむ高齢の夫婦、新婚旅行と思しき外国人カップル、接待の準備に余念のないビジネスマン……。そして不釣り合いな若い女性を連れた紳士や脂ぎった中年男性……、不倫関係か風俗嬢を連れ込んでいるのか分からないけれど、彼らの間にあるのは金と欲だ。
「ん?」
中年男性と共にロビーを歩く金髪の美女に目が留まった。
彼女が杖をついているからか? いや、違う。どこかで見た顔だ!……記憶をまさぐると、一枚の古い写真を思い出した。二十年も前に撮られたそれにはスナイパー・ライフルを肩に担いだ金髪の少女が写っていた。カレンが尊敬する伝説のスナイパー、ミラージュだ。写真の少女は死神に
彼女がミラージュ?……自分の目でミラージュを見るのは初めてだった。
仕事をしているという噂は聞いていたけれど、どうして日本に?……決まっている。誰かを殺しに来たのだ。
憧れの人物を見かけたからと言ってサインをもらいに行くわけにはいかなかった。むしろ、苦いものが胃袋の辺りで渦を巻いた。彼女の存在が明日の仕事の妨げになるかもしれない。
ミラージュを見かけたこともあって、ホテル内のレストランを避けて繁華街の小さな食堂で夕食をとった。
『本日、阿比留国家公安委員長が狙撃され……』
そのニュースに驚き顔を上げた。
ミラージュの仕事だ!……カレンは確信した。
彼女は東京でターゲットを狙撃し、この街に来たのだ。今頃、警察は蜂の巣をつついたような騒ぎで、日本中の公安機関がピリピリしているだろう。ここでミラージュ狩りが始まる可能性もある。明日の仕事を延期するか? いやいやそれはこっちの信用にかかわる。……頭の中で状況を分析するのに時間が要った。なにぶん情報が少ない。結論を出せずに食事をすませた。
さて、どうしたものか?……部屋に戻り、炭酸水を飲みながら知恵を絞った。ほどなく閃いた。
「花火をあげよう」
それに注目が集まれば、ミラージュは人眼を避けるために退散するに違いない。
パソコンを立ち上げ、海外のサーバーを経由して音声データを送るプログラムをつくった。三十分ほどかかった。できたプログラムをスマホに入れる。
「ヨッシ、花火の完成。……私って、天才! これでゆっくり休めるわ」
フロントに連絡を入れ、明日、予定を変更してチェックアウトすると伝えた。当初は翌々日まで滞在するつもりだったけれど、花火をあげる以上、その下にいるのは危険だ。状況が変われば予定の変更は必然なのだ。十二分な計画と臨機応変な行動。それが生き延びる術だ。
ベッドにもぐりこむと金色の雨が降る夢を見た。仕事の前に神経が昂ると見る夢だった。
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