第48話

「スナイパーは主犯じゃない。トカゲの尻尾だ。そのトカゲの頭が雨宮だというのなら、それはそれで証拠が必要だろう。……だが、動機は弱い。暴力革命はもちろん、五年も前に逮捕されたことを恨んで国家公安委員長を暗殺するなんていうのも馬鹿げている。動機なら、次の委員長の椅子を狙う伊賀議員こそ濃厚だ。彼なら警察に顔が利くが、同等かそれ以上に、裏社会にも通じているはずだ。阿鼻委員長もそのあたりを案じていたようだが……。今となっては死人に口なしだ……」

 征義の話に、真幾が苦虫を噛み潰したような表情を作った。

「なるほど。参考にします。それで公安部の刑事の勘は、爆破予告については何と言っているのです?」

「さっき話した通りだ。ただの悪戯ではないだろう。女房が姿を消したところを見るとセルゲイとの関係も疑われるが、彼ら自身がしたことではない。むしろ、彼らと利害の対立する何者かによるものだ。あくまでも想像だが、利害の対立する誰かは、爆弾騒ぎを利用してミラージュを逮捕させたかったのではないか?……もしそれがミラージュに阿鼻委員長狙撃を依頼した者の仕業なら、ミラージュはその裏切りを許さないだろう」

「対立するふたつの組織が関わっているというのですか?」

 真幾は難しい顔をしていた。

「組織か個人か、それはわからない。現象を見る限り、個人でもできる仕事だ。何らかの国際組織がからんでいるのなら、内調内閣情報調査室の方が詳しいかもしれない。お宅で内調、公安、警視庁を集めて情報を出させてみることだ。全容が見えるかもしれない」

「フム、縦割り組織の弊害というやつですね」

「それは槻田さんのほうがよく知っているだろう。皆、自分の地位と仕事を失いたくないだけさ。それより頼みがある」

 征義は阿鼻委員長が撃たれた現場を見せてもらえるよう、手を回してほしいと頼んだ。今のところ、セルゲイがミラージュだというのは飛躍した推理に過ぎない。現場を確認し、自分の推理を補強できる根拠を発見したかった。監視対象の雨宮譲治が留置所にいる今なら、それをする時間がある。

「雨宮が真犯人でないと、お宅らは困るかもしれないが、後になって冤罪だったと分かるよりいいだろう。私に現場を見させてくれ」

 真幾は、嫌味な奴だと言わんばかりの表情を作ったが、口にはしなかった。

「わかりました。私としても先輩が真犯人を見つけてくれるのなら好都合です」

 彼は眼鏡の奥の瞳を光らせると立ちあがり、礼を言って部屋を出て行った。


 征義が阿鼻邸を訪ねたのは、その日の午後だった。真幾は現場に入る許可を取っただけでなく、担当刑事まで待機させていた。身長は征義と変わらないが、割り箸にスーツを着せたような若い女性だった。その胸元に赤いバッジが光っている。手には銀行員のような黒い鞄を下げていた。

 彼女は威圧感のある征義に抵抗するかのように張りのある声を発した。

「刑事部捜査一課の諸角もろずみ楓香ふうか、階級は巡査長です。主任に命じられてお待ちしていました」

「公安の鏑谷、……警部補です。お手を煩わせて申し訳ない」

 雑用を押し付けられた彼女を怖がらせないように低姿勢で話した。

 彼女に案内されて建物に入る。昭和時代の木造住宅だろう。手入れは行き届いているが、室内は薄暗く床がギシギシ鳴った。

 階段を上がった廊下の奥まった右側の部屋が、阿鼻委員長が撃たれた書斎だった。南向きの部屋には柔らかな日差しが降り注いでいる。網入りガラスの一枚に弾丸の貫通した穴があり、放射線状に亀裂が入っていた。机と床に血痕があった。すっかり乾いている。机にそれが多いのは、彼がその前に座っていたからだろう。開きっぱなしの洋書が赤黒く染まっていた。

「本を読んでいるときに撃たれたのですね」

「そのようです」

 楓香が短く答えた。

 それなら標的は静止している。スナイパーにとっては絶好の機会だっただろう。……征義は手袋をはめ、本の表紙を確認した。〝Capital〟と印刷されたそれに血痕はなかった。〝資本論〟を読んだことはないが、商品の価値はそれに投じられる労働量によって決まり、やがて資本が資本を生み、人間を疎外していく。そうしたことが書かれているという程度の知識はあった。

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