第47話

「出世などと、……冗談はやめてください」

 心外だ、とでもいうように、真幾は応じた。

「そうかな?……」真幾が出世を望んでいないなどと、彼を知っている人間なら誰も信じないだろう。邪魔になる相手なら殺してでも出世しようとするのが彼だ。苦笑をのみこんだ。「……で、警察庁の方では爆弾騒ぎの犯人の目星がついたのかな?」

 征義は、あの外国人夫婦のことが気になって訊いた。彼らが爆破予告の犯人とは考えていないが、何らかの犯罪の臭いを感じるのだ。それがテロにかかわるようなことなら、真幾にも報告が上がっているはずだった。

「捜査は続けているが、手の込んだ悪戯だと考えている」

「手が込んだというのは、どういう意味だ?」

「爆破予告の音声は録音されている。コンピューターで合成されたものだ。それが送られてきた端末はまだ特定できていない。例のごとく外国経由の通信らしい。今時のオタクは、そんなことをして喜んでいる。もう少し建設的な仕事ができないものかな」

「オタクねぇ……」征義は首をひねった。「……各部屋の捜索では何も出なかったのか?」

「一部屋だけ、爆発物探知機に反応がありましたよ」

 真幾が、外交官の荷物に硝煙反応があって事情聴取が行われたことと、それがモデルガンの火薬だったとことを説明した。

 あの外国人のことか?……征義は確信が持てず考えた。……あの外国人夫婦が外交官とその妻なら逃げ隠れする必要がない。なのに、彼女はなぜ消えた? 第一、彼が外交官なら、満室でもないホテルの下層階に宿泊するものだろうか? 外交官がモデルガンなど持ち歩くものだろうか? そんな外交官が宿泊しているホテルに、手の込んだ偽の爆破予告……。それらは、すべて偶然だろうか?

「外交官が持っていたというモデルガンは、本当にモデルガンだったのか?」

「そう言われても私が調べたわけじゃないからなぁ」

 真幾が顔を曇らせた。

「その外交官、507号室のセルゲイというやつか?」

「ん?」

 彼がスマホを出し、警察庁から転送されてきたメールを確認した。

「確かに507号室のセルゲイ・イワノフというらしい。チトラオーガ民主共和国の外交官だそうだ。どうして知っている?」

「刑事の勘というやつさ。あの男に殺気を感じた」

「先輩、冗談はよしてください」

 彼が冷めた目で言った。

「ファミレスで県警の刑事が彼を呼び出していた。おそらく、その時にリュックの中身を確認したのだろう。そのころから奴の女房の姿が見えない。念のため、県警に女房の居所を確認させてくれ。金髪のとびきりいい女だ。足が悪く杖をついていたから、すぐに分かるだろう」

 話しながら、記憶の中にチトラオーガ民主共和国を探した。印象の薄い国だが、それがゴルド共和国から分離独立した国だと知ってはいた。

「その美人が爆破予告の犯人だというのか?」

「まさか……。自分で予告して、避難のために監視下に置かれるような馬鹿はいないだろう。とにかく確認してみろ」

 征義の命令口調に、真幾の表情が険しくなった。彼は電話を掛けて外交官の妻の所在を確認するよう指示した。

 返事を待つ間、征義はスマホでチトラオーガ民主共和国を検索し、それから自分の荷物を調べた。不在中、機動隊員が荷物の中身をひっくり返したかもしれないからだ。その様子を、真幾が所在なさげに見ていた。彼のスマホの着信音が鳴ったのは、僅か五分後だった。

「なんだと!……行先は?……そうか、なんとしても突きとめろ」

 真幾が電話を切った。

「セルゲイ・イワノフは既にチェックアウトしていた。その時は一人で、妻はいなかった。外交筋も含めて、引き続き調べさせるが……。どう思います?」

 彼の瞳が救いを求めているように見えた。

「ヨーロッパの裏社会にミラージュというスナイパーがいるらしい。ゴルド紛争の生き残りということだが、知っているか?」

「いいえ」

 真幾が首を振った。

「チトラオーガ民主共和国は、ゴルド紛争でゴルド共和国から分離した国だ。……槻田さんが疑う刑事の勘は、彼がミラージュだと疑っている。もちろん確たる証拠はない。相手が外交官では勾留して叩くわけにもいかないし、拳銃が本物だったとしても武器の所持容疑で国外退去が関の山だろう。……いや、そいつが外交官というのも本当のことかどうか……。パスポートが偽物という可能性もある。とにかくライフルだ。それを捜せ。プロが借り物で仕事をしたとは思えない」

「ミラージュというのは凄腕なのですか?」

「一人を殺すのに弾は一発しか使わないそうだ。必ず頭を撃ち抜くらしい。……もっとも一部のインテリジェンス関係者の中での噂話だ。EUの諜報当局も、正式にはミラージュの存在を認めてはいない」

 知っている限りの情報を教えると真幾が沈黙した。彼の沈黙が、自分の話を深刻に受け止めているからか、あるいは、それがリアリティーを失ったからか、征義には測りかねた。それでミラージュというぼんやりした存在を、彼の官僚的な思考につなぐことにした。

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