第12章 鏑谷征義

第45話

「お待たせいたしました!……ホテルの安全が確認されました」

 爆破予告の時刻を十分ほど過ぎた時、ファミリーレストランの壁を背にしたホテルマンが大声を発した。あらかじめ段取りが決まっていたのだろう。彼はホテル内の捜索を行った結果、爆発物は発見されず、爆発もなかったこと、その後、犯人からの連絡もないこと、しかし警察は犯人検挙のための捜査を続行していること、などを端的に説明した。

「準備が整ったお客様から、順次、バスにご乗車ください」

 ホテルマンが促す声を聞きながら、鏑谷征義かぶらやせいぎは爆破予告とは別のことを考えていた。同じバスに乗って来た外国人夫婦のことだ。二人から感じるオーラは尋常なものでなかった。殺気というのとは少し違う、修羅場を経験した者がもつ静電気のようなピリピリした雰囲気だ。

 二〇世紀後半にソビエト連邦が崩壊した後、東ヨーロッパの国々で民族対立による紛争が多発した。結果、国家が分裂したケースは一つや二つではなかった。それらの国々の治安が回復した後、テロリストの情報交換のために訪ねたことがあった。その時、そうした国々の治安警察には、似たようなオーラをもった警察官が多数いた。彼らと接した時の印象は、今も深く記憶に刻まれている。

 征義がその夫婦を気に留めるのは、彼らのオーラだけが理由ではなかった。金髪の妻はモデルのように美しく、夫はプロレスラーのようなたくましい肉体を持っていた。彼は、しばらく前に県警の刑事と思しき人物に同行を求められ、ファミリーレストランを出たきり戻ってこなかった。妻は、刑事が来る直前に化粧室に入ったままだ。二人が座っていた席には、未だ食べかけの食器と中身の残ったワイングラスが二組残っている。

 夫婦はどこに消えたのだろう?……彼らが戻るのを待とうと思ったのは、公安部の警察官としての職業意識からだった。

 征義は、雨宮譲治を監視するために、数か月前から経営コンサルタントと称し、偽名で宿泊していた。譲治と同じ原発廃止要求デモに参加していた人物が、政府を批判する過激な活動を始めており、譲治もその仲間と疑われたのだ。

 そうしたこともあって、阿鼻委員長が狙撃されると譲治が容疑者のひとりにあがった。警察庁の官僚が、雨宮譲治が濃厚な容疑者だと主張したのだ。

 征義には譲治が破壊活動をするような人物に思えず反対したのだが、下っ端の意見が聞かれることはなく、事件を早く解決したい警視庁によって彼は連行されてしまった。そのことによって征義の仕事がなくなった。爆破予告は、監視対象者を失った征義が、新たな命令を待つ短い期間に発生した事件だった。

 店内から次々と人の姿が消えていく。

「お客様……」

 ホテルマンに声をかけられた時、テーブルについているのは征義ひとりだった。あの金髪美女が化粧室から出るのを見落としたのだろうか?……疑問を覚えながらも、やむなく立ち上がって外に出た。

 送り届けられた時のようにピストン輸送をするのだろうと思っていたが違った。安全確認をする間に手配したのだろう、宿泊客を一度で運べるようにバスが三台も並んでいた。そこで、最後尾のバスに乗り込むあの外国人の姿を見つけて驚いた。不思議なことに、手ぶらだった彼がリュックを手にしている。征義は足を速め、彼と同じバスに乗り込んだ。

 座席は前の方から埋まった。到着した時にさっさと降りてしまいたいのだろう。ざっと見回すと、あの外国人は後方の座席でリュックを窓際の席に置き、窮屈そうに座っていた。妻の姿はなかったが、彼がそれを案じているようには見えなかった。

 征義は通路をはさんだ斜め後ろの座席に掛けた。

 結局、彼の妻が車内に姿を見せることはなく、バスは出発した。その時は夫婦喧嘩でもして、彼の妻は別の車両に乗ったものだと考えていた。ホテルに到着するまでの五分間、彼は誰かと連絡を取るようなことはなく、リュックを開ける様子もなかった。

 自分の勘が外れたのだろうか?……考えながら外国人の後に続いてバスを降りた。他のバスから彼の妻が降りてくることもなく、彼が妻を探す様子もなかった。真っ直ぐ建物に向かっていく。

 ホテルのロビーには会議用のテーブルが設置されていた。そこで支配人たちが出るときと同じように頭を下げていた。

「おかえりなさいませ。たいへん、ご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」

 彼らは神妙な面持ちで宿泊客を迎え、ルームキーを配っている。征義は自分のルームキーをもらうことより、あの外国人のルームナンバーを知ることに集中していた。

「ファイブ、オー、セブン。セルゲイ」

 彼が告げたルームナンバーと名前を記憶に刻む。意外と下層の部屋に泊まっているのだな、ロシア人か?……と想いをめぐらせた。

「633号室の鏑木です」

 偽名を告げると、メッセージがあると教えられた。受け取ったメモには携帯電話の番号と槻田つきだという名字だけが記されていた。槻田真幾まいくは大学のミステリー研究会の後輩で、警察庁の官僚だった。今は内閣府に出向していて、普通なら征義が口を利くこともできないほどの身分……、ではなく立場の違う相手だ。先輩後輩という関係があって就職後も話すことがあったが、年月を重ねるごとに二人の距離は広がっていた。

 部屋に戻って電話を入れると、彼は近くにいると言う。なにやら訊きたいことがあるらしい。征義は承諾した。

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