第44話

 ほどなくセルゲイの前に刑事が立った。

「セルゲイ・イワノフさんですな? 実は……」

 リュックから硝煙反応がでたので中を確認したい、と彼が流暢な英語で話した。

「アフリカでライオンを撃ったからかな?」

「ご冗談を……」

 刑事は笑わなかった。

「まあ、獣を撃つ趣味はないが、暴漢は撃ちますよ。ただし、銃を持ってよい国ならね」

「外国でのことは問題にしません」

「当然だ。……で、私の荷物は?」

「外の車にあります。申し訳ありませんが、足を運んでいただけますか? すぐに終わりますので」

 その態度は、ホテルで対応した機動隊員と違って慇懃いんぎんだった。機動隊員が軍人なら、目の前の刑事はセールスマンのようだ。

「爆弾が仕掛けられている、そう考えて調べたのでしょう?」

 セルゲイは話しながら立ち上がった。

「もちろんです」

「それなら……」

 拳をつきだして腕時計を示す。その針はちょうど午前九時を指していた。

「……今、車は吹っ飛んだでしょう。――ボン――」

 刑事の目の前で拳を開いて脅かした。彼は一瞬目を丸くしたが、冷めた顔に戻ると軽蔑にも似た視線を向けてきた。

 日本の警察官はユーモアを解さないらしい。そう思いながら出入り口に向かって歩いた。

 駐車場に赤色灯を点滅させたワンボックスカーが停まっている。刑事が、その車を指した。

「どうやら私のリュックは爆発しなかったようです」

「良かったです」

 刑事が応じた。

「どうして持ってきたのです? 爆発するかもしれないのに」

 意地の悪い質問だと知りながら訊いた。刑事は口をへの字にしただけで応えなかった。

 ワンボックスカーに近づくと、中央部の扉が開いた。

「エックス線で調べたのでしょう? 安全なものだとわかっても、その事実が信じられなかった。違いますか?」

「とにかく、見せていただけると助かります」

 彼がドアマンのように乗れという仕草をする。中には制服姿の警察官と鑑識員が待ち構えていた。リュックの中身の不審物を確認するためだろう。他には運転席に警察官がひとり。

「やれやれ……」

 セルゲイは車に乗り込み、自分のリュックを受け取った。ざっと見る限り表面に傷はなかった。ダイヤル錠の数字はゼロが四つ並んでいる。勝手に開けようとはしなかったようだ。それに手を掛けて刑事に眼をやると、彼は横を向いた。

 ダイヤルを回す。8、1、0、9、内戦中、オリガに与えられた認識番号の下四桁だ。鍵を外してファスナーを開ける。雑誌とノートパソコンを出して座席に置いた。

「パソコンの中身はお見せできませんよ。外交上の秘密が多い」

「承知しています」

 刑事がうなずいた。彼の関心がもっと奥のものにあるのは明らかだった。

 折りたたまれたスカーフを取り出して広げた。ボタニカル柄が目に優しい。

 刑事が首を傾げた。無駄なことをするな、と抗議しているようだ。

「ただのスカーフです。妻のものですよ。寒がりなのでね」

 答えると彼がうなずいた。その視線はリュックに向けられている。

 薄いウレタンクッションを外すと刑事が眼をむいた。

 分厚いウレタンに、拳銃とカメラ、予備バッテリーなどの形がくりぬかれていて、実際、そこには黒光りする自動拳銃と一眼レフカメラ、望遠レンズ、大型のリチウムイオンバッテリーを装ったライフル銃の機関部が収まっていた。機関部は弾丸の火薬を爆発させて弾頭を銃身に送り出す重要な装置だ。特注のそれは、小型化するために弾丸は一発しか装填できないが、オリガの腕をもってすれば、それで十分だった。小型化したといっても限界がある。それで機関部はバッテリーに偽装し、わざと見える位置に置いてあった。それ以外の細かな部品は厚いウレタンの裏側に隠してある。どうやったところで隠せない銃身は、オリガが持ち歩いている杖と一体化していた。弾丸もその中だ。

 警察の爆発物探知機が機関部に反応したのか、昨日撃った硝煙に反応したのかわからない。それは、スカーフにも付着しているはずだ。いずれにしても、刑事たちが拳銃に注目しているのはセルゲイの思うつぼだった。

「カメラと予備バッテリーです。で、これが見たかったのでしょう?」

 拳銃を取り出して引き金を引く。

 ――ダン!――

 爆発音と共に薬きょうが飛び出し、刑事たちがのけぞった。空の薬きょうがカラカラと音を立てて鑑識係の足元に転がっていく。硝煙の臭いが車内を漂った。

 二人の警察官が拳銃を抜き、銃口をセルゲイに向けていた。

「アハハハハ……」

 セルゲイは両手を上げ、降参の姿勢を示して笑った。あえて撃ったのは、リュックの中身を射撃残渣で汚して証拠を隠すためだ。刑事たちの意識を拳銃に縛り付けるためのトリックでもあった。

「失礼、モデルガンですよ。銃身は封じてあります。危険な国にも渡航するので、お守り代わりに持っています」

 そう説明したが、本物の拳銃をモデルガンに見えるように改造したものだった。少し手を加えれば実用可能なものだ。それを差し出すと刑事が憤りを露わに受け取った。

 彼は慣れた手つきで弾倉を抜き、弾丸を取った。それは筒型の薬きょうだけで弾頭はない。それを鑑識員に渡し、自分は銃口を覗いて貫通していないのを確認した。

「確かにモデルガンです。失礼しました」

 彼が拳銃を差し出す。セルゲイは、彼らがライフル銃の機関部に関心を向けなかったことにホッとした。

「仕事なのですから仕方がありません。それより、ホテルの方はどうです? 爆破予告の時刻は過ぎたはずですが」

 拳銃をウレタンの穴に戻しながら訊いた。もし、爆破予告が悪戯でないなら、どこかで何かが爆発しているはずだ。

「どうだ?」

 刑事が運転席の警察官に声をかけると、何もなかったと返事があった。

「悪戯だったようです」

「お互い、とんだことに振り回されましたな」

 同情を示すと、「本当です」と彼が薄く笑った。強面こわもての外交官と別れられることに胸をなでおろしているようだった。

 本当にただの悪戯だったのだろうか?……胸にわだかまるものを覚えながらリュックのファスナーを締め、ダイヤルをゼロにそろえた。

「リュックは、持って行きますよ」

 断定的に言うと、刑事が了承した。

 オリガ、俺の方が役者だろう! 今度会ったときに自慢してやろう。……こぼれる笑みを刑事に向けて、彼と別れた。

 今からでもオリガに追いつけるだろう。……考えたところにメッセージが届いた。オリガからだ。

【我々は裏切られた。けじめをつける】

「ほう……」余計な仕事が増えたな。……ぼんやり考えながら、ホテル側が用意したバスに向かった。

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