第41話

 狙撃部隊に配属されたセルゲイはオリガと組んだ。彼女の狙撃を助け、無事に逃がすのが主な任務だ。彼女は身体の大きな彼の陰に隠れて歩き、ピンチの際には彼と反対の方角へ飛んで隠れた。セルゲイは彼女のために盾やおとりになるわけだが、それに不満を覚えることはなかった。

 彼女は基地にいても影を潜めていた。仲間と交わらず静かに本ばかり読んでいた。当然、自分の身の上話などもしない。

 行動を共にするようになって半年ほどしたころだった。二人は国軍の戦車隊の指揮官を狙撃した。任務が成功し、戦場を離脱するために狭い通りを走っていた時、突然、目の前に国軍の兵士が現れた。

 ――ドドドドド――

 セルゲイは「先に行け!」と彼女に命じて機関銃を乱射した。

「死ぬなよ」

 オリガが左の水路にネズミのように滑り込む。彼女が隠れた後、セルゲイは右の通りに折れた。

 追手は水牛のようなセルゲイを追ってくる。通りの角を二つほど曲がった時、追手の弾丸が太腿に命中して転倒した。敵は五人、セルゲイは死を覚悟した。

 ――ドドドドド――

 やけくそになってありったけの弾丸をやみくもに撃ちこんだ。命中あたるとは考えていない。〝死〟までの時間をかせぐだけの悪あがきだ。その時間で、オリガが戦場を脱出できればいい。

 ――ターン、ターン、ターン――

 自分と追手の銃声に混じって、ひどく軽やかで呑気な銃声が聞こえた。オリガのスナイパー・ライフルの音だ。

 オリガ、どうして逃げない。俺の死を無駄にするつもりか!……セルゲイは、機関銃を乱射しながら、胸中で叫んだ。

 ――カ・カ・カ・カ――

 機関銃の弾丸が切れて撃鉄が空転する。

「クソッ……」

 逃げようにも、弾を受けた太ももが痺れて動かない。

 ここまでか。……死を覚悟したが、神に祈る気持ちにはなれなかった。この世に神がいたら、両親は死ななかっただろう。

 熱を持った機関銃を抱きしめた時、その時はそれこそが神だったのだけれど、背後から声がした。

「のろま、何を寝ている」

 振り返ると、オリガがそこに立っていた。彼女は五人の追手を残らず始末していた。

「オリガ、すごいな……」

 セルゲイは、その時はじめて、神の存在を信じた。ミラージュという神を……。

 その時に受けた弾丸はまだ大腿骨に残っている。それの摘出手術が難しいというわけではなかった。手術に割く時間を惜しんだ。今では骨に食い込んだ弾丸はお守りだと信じている。

 傷がふさがるまでの間、彼女が毎日、見舞いに来た。そうしてお互いの生い立ちを話すようになった。

 オリガの父親は内戦が勃発した初期に死んでいた。母親は村を襲ったゴルド兵に犯されて殺された。その兵士は、次に十二歳のオリガを襲った。彼女はその兵士の拳銃を奪って撃った。それが男を知り、人を殺した最初らしい。

「驚いた?」

 彼女は少し得意気に、そしてとても悲しげに訊いた。

 セルゲイは驚きも同情もしなかった。彼もまた似たような経験をしていたからだ。


 内戦は九年続いた。三つの民族は戦闘に疲れ、荒廃した祖国は餓死者を出すに至った。そうした中、三部族のリーダーたちは会談し、国家を分けることで矛先を治めることにした。居住地域による分割ではなく、地図上の経線を境にして国土を分ける政治決着だった。そうしてチトラオーガ民主共和国とゴルド共和国が生れた。

 セルゲイにとって元々小さな祖国が、さらに小さくなった。

 国民の多くがそれぞれの新しい国に移住したが、一部の者は慣れ親しんだ土地にそのまま残った。セルゲイが生まれ育った家はゴルド共和国の側にある。二つの国家のどちらが本当の祖国なのか、セルゲイには分からなかった。今となれば、どちらが祖国でもいいと思っている。そうした混乱の歴史があったからこそ、今は外交官を名乗っていられた。見合った額の金を払えば、どちらの国でも外交パスポートを手に入れることができた。

「ぼんやりしないで」

 オリガの声で我に返った。機動隊員とすれちがい、エレベーターに乗り込む。他の客はおらず、肩の力が抜けた。

「見たか?」

 セルゲイは閉じたドアに向かって話した。

「爆発物探知機ね」

「爆弾が仕掛けられたという話は、どうやら本当らしい。ホテルなど爆破して、何の役に立つというのだ?」

「殺したい相手が宿泊しているとか?」

「すると、犯人の計画はすでに失敗しているということだな」

 思わず笑うと、オリガが不快そうな顔をする。

「そんな幼稚なことはしないというのだな。なら、経営者に対する脅迫か?」

「金を得るために資本家を脅迫する。実に資本主義的だわ。強い者が得るのではなく、得た者が強いという理論通り……」

「資本主義社会では、常に資本を持つ者が勝つ。負ける資本家は、ただのバカだ」

「そんなことより、荷物が心配だわ」

 取り上げられたリュックには、彼女にとって貴重なものが入っていた。

「見つからないことを神に祈ろう」

「神様なんていないわよ」

 彼女はセルゲイと違って神を信じていなかった。もちろん彼女自身やスナイパーライフルも、彼女の神ではなかった。

「そうだったな。しかし問題ない。この国の科学は進んでいるが、意思決定はそれによらない。人間関係や情緒の安定を優先するからな。俺たちが外交官を名乗る限り、火薬成分や硝煙を探知したところで、彼らが荷物を開けることはないだろう。この国は真面目なのさ。表向きは……」

「だといいけど……」

 励ますために楽観論を並べても彼女は信じない。それが長い内戦を生きぬく秘訣だった。セルゲイは、楽観論によりかかりながら、敵の存在を誇張して国民を惑わす政治家を沢山見てきた。そんな政治家が内戦を引き起こし、国民を殺してきた。

 ロビーに下りるとドアマンにバスまで誘導された。

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