第11章 セルゲイ・イワノフ
第40話
さて、どうしたものか……。
避難誘導に応じ、機動隊員に大切なリュックを取り上げられたセルゲイは、自分たちが置かれた状況を整理しながら、別の機動隊員が監視しているエレベーターホールに向かった。すると一台のエレベーターのドアが開き、さらに二人の機動隊員が現れた。こちらの身分がばれたのなら、場合によっては戦わなければならない。そう判断した彼の全神経がピリピリ音をたて、筋肉が勝手に準備を始めた。肩を軽く回し、拳を強く握る。骨の鳴る音が聞こえてきそうだった。
「落ち着いて」
並んで歩くオリガがささやいた。
「ああ……」
彼女の母国語で
ホッとすると、彼らの制服が内戦で敵対したゴルド軍のそれに似ていると考える余裕も生まれた。
彼が産まれたのは三つの部族がつくる小さなゴルド共和国の山岳部、林業と狩猟を生業とするオーガ族の村だった。
政治的な駆け引きに優れたゴルド族が常に国家運営の主導権を握っており、政府は海外資本の援助を受けて平地に空港や工場を造り、山岳部の河川にダムや発電所を造った。国は豊かになっているように見えたが、造られる施設の利権はゴルド族にあって、土地を提供したチトラ族とオーガ族に対する補償はわずかだった。そうして部族間の経済格差は年々広がった。
チトラ族が他国からの融資の担保に取られた農地の奪還と緑の国家建設を目標に掲げて武装蜂起したのは必然だったのかもしれない。セルゲイが十四歳のときだ。それを政府は反乱と呼び、チトラ族は革命と呼んだ。
二大勢力の間でオーガ族は揺れた。セルゲイの父はチトラ族の側に味方し、新しい国家を造るべきだと息巻いたが、母は違った。どんな理由があろうと、武力に訴えるのは良くないと主張した。
オーガ族の村長たちで作る村長会議は、二つの民族と距離を取る、と決めて静観した。セルゲイはどうでも良かったけれど、父親は失望した。
ところが、紛争は拡大して戦禍が山岳地帯に広がり、林業と狩猟を生業とするオーガ族の生活にまで影響が及ぶ事態になった。
「村長会議が参戦を決めたぞ」
父親が目をキラキラさせて帰って来た時のことを、セルゲイは今も覚えている。十七歳の時だった。オーガ族はチトラ族の側に着いた。
オーガ族の参戦に対して、政府軍の対応は機敏だった。村長会議参戦を表明した数日後、セルゲイの美しい村は国軍の襲撃を受けた。
村には戦争を行うような武器が届いていなかった。村の男たちは熊撃ちの猟銃を手にして国軍に立ち向かった。物陰に隠れて歩兵を撃った。セルゲイもそうした。
すると国軍は戦車を前面に立て、建物を破壊する作戦に出た。その攻撃で、セルゲイの父親は戦車砲の直撃を受け、セルゲイの目の前で粉々になった。その時、猟銃を握った父親の右腕が目の前に落ちた。
そうなると村の男たちにはなす術がなかった。村を、村の建物を守るために降伏した。村人は広場に集められたが、セルゲイは隠れ潜んだ。ゴルド族をというより、大人を信用していなかったからだ。
広場に集められた村人は、男なら老人や子供まで殺された。その様子は虐殺といえた。セルゲイは村はずれの洞窟の中で、銃声と村人の悲鳴を聞いていた。
男がいなくなった村で、ゴルド兵は傍若無人、極悪非道を働いた。民家までしらみつぶしにして金目の物を強奪し、女性をレイプした。
セルゲイの母親はゴルド兵の腕の中で殺せと叫んだ。その声を聞いたセルゲイは、父親の猟銃で母とゴルド兵を一緒に撃ち殺した。村から脱出したセルゲイは、チトラ軍の兵士になった。
チトラ軍も決して道徳的ではなかった。ゴルド族の市民を殺すこともあれば食料も奪い、女性を犯しもした。暴力が人間の本性をむき出しにしてしまうのだろう。
――
――死人に口なし、負けるやつが悪い――それは勝者だけの免罪符だ。
セルゲイは、戦争と虐殺、略奪、強姦が一つのものだと学んだ。勝者がすべてを奪う。それが彼の戦争体験だった。
何も知らなかった少年セルゲイはチトラ軍の少年兵となり、武器の操作を教えられて戦場に送り込まれた。ほどなく特別な任務が与えられた。ゴルド族が支配する都市に潜入し、内部から
オリガは三歳ほど年下だったが、セルゲイなど比較にならないほど優秀な戦士だった。狙撃の才能、判断力、忍耐力……。小柄な彼女は街の様々な場所にもぐりこみ、ターゲットが現れるのを辛抱強く待った。そしてターゲットの頭部を一発で撃ち抜いた。目的を達成した彼女は、その場から煙のように消えてしまう。ゴルドの兵隊は恐るべきスナイパーをミラージュと呼んだ。彼らはミラージュの正体が十四歳の少女だとは知らなかった。
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