第34話

 美玖は五階の担当だった。下の階ほど部屋数が多い。その日の五階は、ほとんどの部屋に宿泊客がいる。それが分かっているので気が滅入った。

「あのう、いいですか……」

 気を取り直して手を挙げると、隣にいる吾練ににらまれた。美玖が七時に帰ると言い出すのではないか、と考えているようだった。

「質問なら、どうぞ」

 応じたのは四十代のスーツ姿の刑事だった。彼が全体を取り仕切っているようだ。

「お客様が、すぐにチェックアウトしたいと言われたら、どうすればいいのでしょう?」

 吾練がホッと息を吐くのがわかった。

「その場合でも、荷物は爆発物の確認が済むまで、移動させるわけにはいきません。今のところ爆発物が個体か液体か、その威力、起動方法がタイマーか遠隔装置かもわかっていない。何らかの衝撃で爆発しないとも限らないのです。スーツケースやゴルフのキャディバッグといった大きな荷物はその場に置いていくように指示してください。空いた部屋から爆発物処理班が調査に入ります。よろしいかな?」

「あ、はい」

 結局、全員拘束するということのようだった。

「では、フロントに移動して鍵を受け取ってください。すべてのドアを解放状態にして、捜索がしやすい状態にしておくことを忘れないように」

 十夢の声に美玖と吾練が反応した。真っ先にフロントに戻り、キーボックスから予備のルームキーを出した。時代は電子錠やカード型の鍵が主流だけれど、ホテル・ミラージュでは重厚感のある金属製の鍵を使用していた。

 空き箱にルームキーを並べ、最上階から順に配った。下層階ほど部屋が増えるので、徐々に箱が重くなる。受け取った担当者からエレベーターに向かった。皆、緊張で顔を強張らせていた。

「あとは僕たちだけだ。君はマスターキーを持って行くといい」

 吾練の配慮で、美玖は二つあるマスターキーのうちのひとつを持った。残りのひとつはフロントで待機する十夢が握った。

「行きましょう」

 名前も知らない機動隊員に促される。彼はドアチェーンを切るための大きなチェーンカッターを持っていた。美玖と吾練、二人の機動隊員がエレベーターに向かって走った。エレベーターホールを監視する機動隊員がエレベーターのドアを開けて待っていてくれた。

 四人を乗せたエレベーターが動き出す。誰も口を利かず、エレベーターの駆動音だけが鼓膜を震わせた。

 ――ポーン――

 四階で電子音が鳴りドアが開く。

「落ち着いてやるんだよ」

 吾練がそう言って降りた。ドアが閉まり、機動隊員と二人きりになると心細く、空気がとても重く感じた。

 五階のフロアに立つと、そこにも機動隊員がいた。

 美玖はゴミ箱のふたがはずされているのに気づいた。警察は客室以外の場所に爆発物が仕掛けられている可能性も念頭に置いているようだった。

 501号室のチャイムを鳴らす。返事がないのでタブレットのアプリから内線電話に掛けた。――ルルルルル……、室内で呼び出し音が鳴った。宿泊客は熟睡しているのか、電話に出る気配がなかった。

 ――トントントン――

 ノックをして声をかける。

「お客様! お休みのところ申し訳ありません……」

 精一杯の声をかけても返事がない。

「開けてください」

 機動隊員の声が頭の上から降り注ぐ。

「はい」

 美玖はマスターキーを使った。

「お客様、失礼します」

 ドアを開けて声をかける。ドアチェーンは掛かっていなかった。

 機動隊員が美玖の背中を無遠慮に押して室内に踏み込む。

 美玖は慌てて押しとどめようとしたが、彼の巨体には逆らえなかった。

「お休みのところ失礼します。爆発物が仕掛けられている可能性があります……」

 機動隊員は、速やかに着替えて荷物を置いたままロビーに降りるよう、太い声で命じた。

 宿泊客は寝ぼけ眼で話を聞いていたが、事の重大さに気づくとバネ仕掛けの人形のようにベッドを飛び降りた。その様子を、機動隊員が冷徹な目で観察していた。宿泊客の中に爆破予告をした犯人がいると考えているようだ。

「申し訳ありませんが、扉は開けた状態にしておいてください」

 美玖は着替える客に背後から声をかた。

「次の部屋へ……」

 宿泊客に不審なものを感じなかったのだろう。機動隊員がさっさと廊下に出た。美玖はドアをストッパーで止めて彼を追った。

 502号室と503号室で同じことを繰り返した。504号室はチェックアウト済みだった。他の部屋同様、ドアを開けて固定した。

 505号室は常連客の久能久門が長期滞在していた。彼の生活が昼夜逆転していて、客室係が清掃やベッドメイクのタイミングで困っていることは美玖の耳にも届いていた。

 ちょうど彼が眠りに就いたところではないだろうか? 下手に声をかけて怒りを買ったりしないだろうか?……想像をめぐらし、どきどきしながらチャイムを押した。

「開けてください」

 機動隊員の指示は徐々に早くなっていた。作業に慣れたのか、お客様を軽んじるようになったのか、どちらにしても失礼だと思った。

「早く……」

 彼に催促される。

 久門は休んだばかりなのに違いない。そう思うから一層、躊躇われた。とはいえ、機動隊員に立ち向かう勇気はない。何かあれば警察が責任をとってくれるのだろう。そう安直に考えてマスターキーを鍵穴に刺した。その時、内側でドアノブが回った。

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