第33話
事件の対応を吾練に引き継き美玖はホッとしたが、それでも心臓はドキドキ激しく鳴っていた。フロントに移動し、誰もいないカウンターに立って周囲を見回す。
爆弾を仕掛けた犯人がいたらどうしよう?……ロビーにいるのはロビーサービス課の社員と外注先の清掃員ばかりだった。そうわかって初めて、ゆっくりものを考えることができた。
本当に爆弾が仕掛けられているのだろうか? それが爆発したらどうなるのだろう?
呼吸が辛いと感じた。爆破予告の電話を受けてから、とても長い時間が過ぎたような気がする。疲れに負けて腰を下ろしかけた時、大きなガラスドアの向こう、道路に赤色灯を点滅させたパトロールカーが停まるのに気づいた。手足に力が戻り、シャキンと立った。
警察に連絡したんだ。……そんな風に考えたのは、脅迫された企業が犯人と裏取引をするテレビドラマを視たことがあったからだ。……電話の音声は警察に通報するなとは言わなかったけれど、警察が来た途端にドカンとやられてしまうことはないのだろうか?……思わず客室のある上、天井を見上げた。
ビルを爆破解体する映像を思い出す。……もし、あんな爆発が起きたら私はペチャンコになってしまう。ぐちゃぐちゃの遺体を見たら、両親は泣く前に吐いてしまうかもしれない。……そんな想像ができる程度に、現実の死は遠かった。
赤色灯を付けた車両はパトロールカーだけではなかった。黒いワンボックスカーや窓に金網を張ったマイクロバスなど、様々な車種の警察車両が、まるで砂糖にたかるアリのように増えてホテルの周囲の通りを占拠した。
驚いて振り返ったドアマンと視線が合った。大丈夫、そう伝えるつもりで首を縦に振った。彼でなくても、道路に警察の車両がずらりと並んだら驚くのは当然だ。
車を降りた警察官が客を待っているタクシーを追い払った。それから社員通用口へ向かった。正面の出入り口から入るのは遠慮したようだ。
ほどなく裏の事務室に大勢の人間の気配が生じた。そっとのぞくと、そこは警察官でひしめき合っていた。あの音声を再生し、対応を検討しているようだ。彼らに押しやられるように吾練がやってきた。
「非常招集をかけたから、フロント係も全員揃うよ。それまで僕らは通常の対応をしよう。お客様に安心していただけるように」
美玖を安心させるつもりで言ったのだろう。しかし美玖は、帰宅していいよ、と言ってほしかった。
「私、七時あがりなんですけど……」
口が滑ったとでもいうのだろうか。思わず本音を言った。時刻は六時三十分を回ったところで、後三十分ほどで勤務時間が終わるはずだった。
「え?」
案の定、侍を理想とする吾練は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていた。
「いえ、最後まで職務を全うします」
「うん、それがいい」
うなずく横顔に使命感にも似た緊張感がみなぎっていた。
「君たち、ちょっと来てくれ」
十夢に呼ばれて事務室に入った。そこには、警察官以外に夜勤の客室係と警備員の姿もあった。
みんなが緊張している中にあって、都月虎夫があくびをかみ殺しているのが、とても不謹慎に感じた。彼とは中学校が同じだった。どちらかといえば不良少年だった彼が警備員をしているのだから、爆弾魔の正体は真面目なビジネスマンかもしれないと思った。
警察官の制服の種類はいくつかあった。中に機動隊の文字があって目が点になった。学生のころに軽い気持ちで原発反対運動のデモに参加した。そこで無抵抗の中年男性を引きずっていく機動隊員を目撃した。直後に雨が降り出してずぶぬれになり、嫌な記憶が身体に染みついた。それから機動隊には嫌悪感と恐怖心があった。
まさか、彼が?……あの時の中年男性と爆弾魔の影が重なった。
「これから今いる客室係とフロント係の全員で宿泊者の避難誘導を行う……」
十夢は、ホテルの従業員と警察官が二人一組で客室を個別にまわり、宿泊客を近隣にある二つのファミリーレストランに退避させると説明した。爆破予告時刻の午前九時が経過するまでの一時的な措置だ。
「……なお、各階のエレベーターホールには警察の方が立って補助してくださる。爆発物がお客様の荷物に仕掛けられている可能性もあるので、ハンドバッグのような小さな手荷物以外はすべて室内に置いて退避するよう、徹底してください。くれぐれもパニックを引き起こさないように、丁寧な対応をお願いします。では担当を指名します。十七階は……」彼は手元のメモを見ながらホテルマンの名前を読み上げた。一通り担当を指名した後、彼は付け加えた。「……十七階の担当は、そこが終わったら四階に、十六階の担当は五階に下りて、その階の担当の補助に入ってください。高層階は部屋数が少ないですから。他の高層階の担当も同じようにお願いします」
各階を回るチーム編成がおこなわれている間に、各階のエレベーターホールや非常階段には犯人の移動を阻止するために警察官が配置された。
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