第4話 怪人

 ウルフガルム・シェイドランナーが、ボスであるモルガナ・ヴェーニア・ヴィンテルグレーデの命で星明町へ降り立ったのは、よくつるんでいた岩の怪人がシャイニングナイトに倒されたという知らせを聞いて間もないことだった。


 岩怪人とは、友とも仲間とも言えない関係ではあったが、ウルフガルムの心にちょっとした空白感を残していた。


 そんな中で上層部から渡されたのは、通信機を兼ねたフレドルカの送信機と片道通行の転送装置を1つだけ。ウルフガルムはそれらを受け取りながら、もう戻ってくることは出来ないのだろうと思った。


 しかし、『悲しい』や『寂しい』といった感情は無い。


 怪人たちは、モルガナによってフレドルカから生み出された、モルガナのための、そしてシャドウオーダーのための道具にすぎないからだ。


 

 転移装置が導いたのは、星明町の中心地から少し外れた住宅街に隣接する駅の目の前。ミニ駅ビルの屋上だった。


 地上を見下ろすと、朝日に照らされた街路を、人々が忙しそうに歩いている。


「狩り甲斐の無さそうなやつばかりだぜ……まぁ、いい。必要なのはフレドルカだ。根こそぎ狩ってやろうじゃねぇの」


 ウルフガルムは余裕綽々と舌なめずりをひとつした。そして、踏み込んだかと思うと軽やかに飛び上がり、くるりと体を前方に一回転させてから、地面に蹴りを入れるようにして着地した。


 着地と同時に、足裏から衝撃波が広がってゆく。それは歩道に敷かれた赤やオレンジのレンガを歪ませ、街路樹の根を露出させた。周囲の人々は驚きの声を上げ、慌てて逃げ惑う。


 蟻の子を散らすように恐れ慄く姿を嘲笑しながら、ウルフガルムは声を張り上げた。


「俺はウルフガルム・シェイドランナーっ! てめぇらのフレドルカは、全部俺が奪ってやる!! ギャハハハハハハーーーーッ!!!」


 ひと吠えすれば、周囲5メートルほどにいた人間たちがバタバタと倒れていく。


 ウルフガルムは天へと手のひらを掲げた。


 すると、黄金色に輝く霧のようなエネルギー体――フレドルカが、気を失った人々の身体からふわりと抜け出したではないか。


 フレドルカは、まるで意志を持っているかのようにウルフガルムの頭上へと集まりだし、手から腕へ、肩へ、そして全身へと染み渡るように吸収されていく。


「ッハ! 上の奴らが言う通り、確かに星明町ここはフレドルカが充実してるみてぇだな」


 単に量が多いというだけではない。全身を駆け巡るそれは、今まで味わったことがない。


 まさに至福の感覚だった。


 ウルフガルムは、恍惚の表情を浮かべながら、天高く吠えた。


 まるで勝利の雄叫びのように。


 この星明町を、そして地球全体を支配してやるとでもいうかのように。


 誰も逆らえない。誰にも止められない。

 


 そう確信していた。


 

 そんな、フレドルカのパワーに満ち満ちたウルフガルムが、ひとりの人間を視界の端にとらえた。


 電柱の陰からこちらをじっと見つめる女。


 太陽の光でこげ茶に見えるセミロングの黒髪に、逃げ惑っている他の女たちと似たり寄ったりの服装をしている。


 しかし、他の人間たちと違う。その眼に恐怖の色はなく、むしろ興味と好意でキラキラと輝いている。


 そして、ウルフガルムの頭にピンと立った形の良いオオカミ耳が、女の言葉をとらえた。


「本物だ……獣人が、存在してる……!」


 ウルフガルムは小さく身震いした。本能的に、身の危険を感じたのだ。


 疾風のごとく、ウルフガルムは女との間合いを詰めた。彼の心を惑わせ、魂を揺さぶり、フレドルカを全て吸い取るような瞳を封じ込めるためだった。


 電光石火の動きで彼女の前に立ち、漆黒の毛皮に覆われた手で首根っこを掴み、ウルフガルムは電柱の陰から女を引きずり出した。


「み˝っ」


 鼻先がぶつかりそうになるほど顔を近づけ、鋭い眼光を向ける。が、女は奇妙な声をあげて赤面するばかりだ。


「逃げねぇのか? あ゛?」


「に、逃げません……! こんな、美味し……いこと、」


 何が美味いんだ? ウルフガルムは頭を捻る。


「逃げねぇと、あそこに転がってる連中と同じにしちまうぜ?」


 逃げても同じことなのだが、あえて口にする。


 女は少し黙り、もじもじしながら小さく答えた。


「……構いません。ど、どうぞ」


 ウルフガルムは口をぱかんと開け、呆然と立ち尽くした。まさかフレドルカを奪おうとしている最中に、相手から快く「どうぞ」と言われるとは思いもしなかったのだ。


 予想外の展開に苛立ちを覚え、低く唸りながら牙を剥き、主導権を握るのは自分だと示すように言い放つ。


「よぉし、てめぇの望み通り、無様に転がしてやる!」


 鋭い爪が生えた大きな獣の手が、女の頭を鷲掴むかの如く額へと当てられた。


「肉球……じゃないんだね」


 女の言葉はもちろん無視だ。ウルフガルムはフレドルカの吸引に集中した。


 女の額から、キラキラと輝くフレドルカが流れ出す。


 始めの一握りがウルフガルムの手のひらから腕を伝い、身体に入ってきた、その瞬間。


「!!!?」


 とんでもない量のフレドルカを摂取したかのような感覚に襲われたのだ。


 全身の暗黒色の毛が空気を含んで逆立ち、血液が体中を駆け巡り、筋肉のひとつひとつに力が漲る。


 そして、任務さえ忘れそうになるほどの強烈な幸福感。


 あまりの出来事に驚き、ウルフガルムは思わず女の頭から手を離した。


「な……んだぁ……!?」


 何が起きたのか理解できず、ウルフガルムは目を丸くして固まった。


 目の前の女も何が起きたのか分からないようで、小首をかしげながら心配そうにウルフガルムを見上げている。


「なっ……てめぇ……! 一体、何者だ!?」


「は? え……?」


 シャイニングナイトとかいう、シャドウオーダーの邪魔をしてくるふざけたやつだろうか。


 しかし、女は変わらず目を瞬いたままきょとんとしている。それどころか。


「どうぞ、遠慮しないでくださいっっ!」


「うぉ!?」


 なんと、ウルフガルムの腕にしがみついてきたではないか。


「っ思ってたよりふわふわだぁっ……! もっと剛毛なのかと」


「ぎゃあ!? 離せ! こら!! 離しやがれ!!!」


 振り解こうとするが、上腕二頭筋の裏側を両手でワシワシと撫でられてしまうと、妙に力が抜けてしまう。


「嫌です! だって、獣人との邂逅なんて、もう二度と無いもん! 思い出に!! 思い出にどうかっ!!!」


 何なんだこいつ!!!!!!!!!!


 ウルフガルムは心の中で思い切り叫んだ。


「勝手に思い出作ンな! ぐぬぬ……離れろ!」


 女の頬を手のひらでぐいぐい押して引き離そうと試みる。「むー」と言って一度離れたものの、今度は。


「わぁー♡ 尻尾の毛並みも素敵♡」


「ぎゃああああああああああ!!」


 さわさわと尻尾を撫でられ、ウルフガルムの全身の毛が再び逆立った。


「あっ、すみませんでした。獣人も他の生き物と同じですよね。尻尾、触られたくないか」


「なっ……なな……!?」


 ウルフガルムの身体が、怒りと羞恥で戦慄いている。


「……ふ、ざけた真似しやがって……!! ぶっコロす!!!!」


「ひぇっ!!」


 先の不思議な感覚は引っかかるが、それよりもなによりも目の前のこの女のフレドルカをすべて奪い尽くしてやろうと決めた。ウルフガルムは再び彼女の頭を掴む。


 しかし、ものの数秒後、彼はまた手を離すとこになった。


「ぅぐ……」


 今まで感じたことのない満腹感に、吐き気すら覚える。


「……大丈夫ですか?」


「……てめぇ……本当に何なんだよ……」


 女に背中をさすられながら、ウルフガルムはただげんなりするしかなかった。


 

 その時。

 1つの光が、颯爽と現れた。


 

「悪の組織の怪人め! これ以上星明町の人々を苦しめるなっっ!」


 素顔を隠したマスクの下には、燃えるような意志を秘めた瞳が光っている。ぴっちりとした白いボディスーツに入ったオレンジのラインは、彼の動きを鮮やかに彩る。


 右肩にはドレープの美しいマントが翻り。左腰に携えたサーベルは、ピカピカに磨かれた銀色。足元のブーツにも銀の装飾が施され、自ら光を放っているように見えた。


「シャイニングナイトだ!」


 誰かが叫んだ。


 その名に、ウルフガルムの眉間の皺が濃くなる。


「……シャイニングナイト、だぁ?」


 シャドウオーダーの目論見を邪魔する敵が、早くも姿を現した。ウルフガルムの胸中には、岩怪人の一件もあり、苛立ちと狂喜が入り混じった感情が渦巻く。


 シャイニングナイトは女の方を向き、叫んだ。


「ひつ……いや。そこのキミ! 危ないから逃げるんだっ」


「え? 私は、別に……わあ!?」


 女は逃げようとしなかったが、ウルフガルムは腕で女の身体を引き寄せると、わざとシャイニングナイトに見せつけるように人質にとった。


「攻撃してきてみろ。この女の命はないぜ」


「ひ、卑怯だぞ!」


「っははははは……! どうとでも言えよ。俺はの怪人だからな。卑怯なことくらい簡単に……」


 そこで、ウルフガルムの言葉が止まった。


 女が、ひしとウルフガルムの身体にしがみついてきたのである。


「ぅげぇっ!? 人質のくせにしがみついてくんな!」


「私のことはお気になさらず! どうぞ続けてください!! ……ヤバい。もう死んでもいいかもしんない」


 そんなうわ言を言いながら、女は装甲の無い部分の黒い毛並みに顔を埋めている。



 こんな女を人質にするんじゃなかった。


 

 ウルフガルムは、酷く後悔した。


 しかし、まだ距離のある位置にいるシャイニングナイトには、この惨事は伝わっていないようだ。


「彼女を離せ!」


 シャイニングナイトの言葉に、ウルフガルムは思わず顔をしかめた。


 しかし、こいつが離れないんだ! と言うのは、プライドが許さなかった。


「離せるもんなら、離してみやがれぇっっ!!!!」


 半ばやけくそに、ウルフガルムは女をくっつけたまま、シャイニングナイト目掛けて飛びかかっていった。

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