第3話 羊ヶ丘さんと同僚

 お昼休憩を告げるチャイムを聞いて、私は社内にある休憩室へと向かった。窓際のカウンター席がまだ空いていたので腰掛け、持ってきたお弁当のフタを開けた。


「いただきまーす」


 手を合わせながら小さく言い、たこさん型のウインナーをお箸でつまんで口に運ぶ。先日ウルフガルムと買い物をした際、彼が物欲しそうに見ていたちょっとイイお値段のソーセージ。奮発して買ってしまった、そのうちの一本だ。さすが、ちょっとイイお値段なだけあって、冷めても美味しい。


 休憩室のテレビからは、星明町ほしあかりちょうで起こった事件の報道が流れていた。


「――――まずは、こちらのニュースから。今朝、星明町ほしあかりちょうに現れ商店街の人々を次々に襲ったシャドウオーダーの怪人ですが、今回もまた、シャイニングナイトによって倒されたました。目撃者によると、怪人はタコのような姿をしており、数十本の触手を使って人々から精神エネルギー、フレドルカを奪っていたとのことです。専門家によると――――」


 画面に映る、シャイニングナイトと怪人が商店街で対峙する姿。周囲には警察官や消防隊員が取り囲んでおり、市民たちはその様子を見守っている。右上に映像提供者の名前が書いてあるので、居合わせたひとが撮影していたんだろう。


 またか、と休憩室に集まった社員たちの中からため息まじりの声が漏れる。何度も同じような事件が起こっているため、驚きよりもむしろ日常化してしまっているふしがある。


「シャイニングナイトって、すごいよね」


「いったい誰なんだろうね? 正体、まだ分かってないんでしょう?」


「案外、知ってるひとだったりしてー!?」


「まさかぁ!」


 すぐ後ろのテーブル席に座る女性社員ふたりが、そんな話題で盛り上がっていた。私はその会話を聞きながら、卵焼きを口へと運び考え込む。


 シャイニングナイト。


 星明町で事件が起こるたびに、必ず現れるヒーロー。その正体は謎に包まれているが、その活躍ぶりには多くの人々が勇気づけられてきた。


 しかし、私にとってのシャイニングナイトは、ただのヒーローではない。彼の話題が取り上げられるたびに、私の心には複雑な感情が渦巻いている。


 なぜなら、彼はウルフガルムを倒そうとした張本人だからだ。いや。たしかに、かつてのウルフガルムは人々からフレドルカを強奪する悪の組織の手先だったわけだけど。


 いわば、シャイニングナイトは私の推しの敵なのである。


 けれど、ウルフガルムとお近付きになれたのもまた、シャイニングナイトのおかげだった。彼がウルフガルムを撃破したと思いこんでとどめを刺さなかったから、私はウルフガルムと同居するに至ったわけで。


 感謝はしているけど、応援は出来ない。そんな複雑な気持ちになる。


 

「羊ヶ丘さん、お疲れさま! 隣、座っても良い?」


 ふと掛けられた朗らかな声に、私は思考から引き戻された。


「あ。赤居あかいさん」


 声の主は、私の同僚である赤居あかい 竜騎りゅうきだった。いつも元気で、彼がいるといないでは部署内の雰囲気がガラッと変わるムードメーカーだ。


 赤居さんの存在は、周囲の空気を明るくする。彼の周りにいると自然と笑顔になり、気持ちが明るくなる。まるで太陽が昇ったような、そんな感覚になるのだ。


「どうぞ、どうぞ」


 私は笑顔で彼を迎え入れ、空いている隣の席を勧めた。


 赤居さんは「ありがとう」と言いながら着席し、手に持っていた袋からファストフードをひとつずつ取り出していく。ビッグサイズのハンバーガーに、ポテト、ナゲット、それから飲み物。以前、好きだと言っていたバニラシェイクだろうか。まるで高校生のようなチョイスなのが微笑ましい。


「赤居さん、午前中お休みだった?」


 私はお茶を一口飲み、さっきまで執務室で見かけなかった彼に問い掛けた。


「そうなんだよ。急な用事が入っちゃってさ」


 赤居さんはそう答えてから大きく口を開けてハンバーガーにかじりついた。


 なんてわんぱくな。


「そっか、大変だったんだね」


「んー……ちょっとだけ?」


 最後のクエスチョンマーク、何? と心の中でツッコミつつも、私は相槌を打ちながらマヨネーズのついたブロッコリーを口へと運ぶ。


 

 しばらくたわいもない話をしてから、自然と会話が途切れた後。少し間を置いて、ポテトを食べていた赤居さんが、声のトーンを落として切り出してきた。


「そういえば、さ……羊ヶ丘さんに、あの、聞きたいことがあって」


「え、なに?」


 赤居さんがソワソワと落ち着かないことはたまに見かけるが、聞くことをためらっているような気まずい雰囲気をまとっているのは初めてだ。 私は何となく身構えて、彼の次の言葉を待つ。


「この前の日曜日、駅前のショッピングセンターに、いた?」


「え、うん、いたよ」


 赤居さんの突然の質問に、私は困惑しながらも正直に答えた。


 しかし、彼の顔がみるみるうちに青ざめていくのを見て、不安が募る。


「やっぱり、羊ヶ丘さんだったんだ……」


 赤居さんは、どこか落胆したような声でそう言った。


「えっ?」


 私は、意味が分からずに目を丸くした。


「実は、先週末、ショッピングセンターで羊ヶ丘さんを見かけたんだ。いかつい男の人と一緒にいたよね?」


 赤居さんは、真剣な顔で私を見つめている。


 そこで、私の脳裏にあの日の出来事が蘇った。


 

 ――日曜日、たしかに私はショッピングセンターに出掛けていた。ウルフガルムと一緒に。


 食材の買い物ついでに、前から気になっていた雑貨店をのぞく予定だった。ウルフガルムは買い物には興味がないと言っていたが、せっかくの機会だからと誘ってみたところ、渋々ながら承諾してくれたのだ。


 そして、私と人間の姿に化けたウルフガルムが訪れた雑貨店で、事件は起きた。


 私がアロマコーナーで香りを楽しんでいた隣で、ウルフガルムがくしゃみをしたのだ。その途端、ウルフガルムの耳だけが、オオカミのそれに戻ってしまった。短髪黒髪の頭の上に、ぴょこんと現れたふたつの黒いオオカミの耳。私は数秒それを見上げてから、慌てて早くしまうように促したのだった。


 

 幸いにも周りに人がいなかったので、安心しきっていたんだけれど……もしかしたら私もウルフガルムも気付かなかっただけで、赤居さんに見られていたのかもしれない。

 

「あ、あー……えっと、彼は、その」


 私は、必死に言い訳を考えようとした。しかし、言葉が続かない。


 ウルフガルムがオオカミ怪人であることを、赤居さんに知られてしまったかもしれない。世を騒がせている悪の組織の怪人を家に住まわせて養っているなんて……やっぱり、世間的にはまずいことだろう。


 赤居さんのことだから、事情を話せば笑って秘密にしておいてくれるかもしれない。


 あぁ、でも、正義感が強いから難しいかな……天然なところもあるから、うっかり誰かに話してしまう可能性もああるだろう。


 どうしよう。


「あ、あのねっ、赤居さんっ」


「っあの人、やっぱり!!」


 私たちは、ほぼ同時にそう切り出した。が、赤居さんの方がわずかに早く次の言葉を続けたので、私は再び目を丸くすることになった。


「――羊ヶ丘さんの、か、彼氏、なの?」


「へっ?」


 かれし。カレシ。KARESHI。


 脳内に、その単語の意味が表示されるまで三拍置いて。


「かっ、彼氏ぃ!?!?!?」


 思わず、休憩室に響き渡る声で叫んでしまった。


 瞬間、訪れる静寂。まるで、時が止まったかのようだ。


 心臓の鼓動だけが、異様に大きく響く。周囲の視線が、一斉に私に向けられる。冷や汗が背中を伝い、息苦しさを感じる。 しまった。やっちゃった。どうしよう。


 頭の中が真っ白になり、思考が停止する。


 ウルフガルム、助けてぇ……!


 私は、心の底からそう願った。


 やがて、何事もなかったかのように談笑が始まり、休憩室は元の空気に戻っていった。


 私一人を除いて。


「~~~っ……赤居さん……叫んでゴメンナサイ……」


「僕は大丈夫だよ。こっちこそ。変なことを聞いて、ごめん」


 いい人だなぁと感謝しつつも、「それで、やっぱり?」と再び真剣な目を向けてくる彼に、この話題から逃れられないことを知る。


 同時に、私が好き好んで怪人と同居していることがバレたわけではなかったということが分かり、ちょっとホッとしていた。


「えぇーっと……」


 なんと答えたら良いのだろう。


 正直、ウルフガルムが彼氏として見られたということに、内心歓喜している。いっそ、そうです彼氏です! と答えてしまえたら、どんなに良いか。


 でも、それがウルフガルム本人に知れたら……嫌悪感MAXの表情を浮かべられてしまうだろう。下手したら、すぐにでも出ていくと言われかねない。それは非常によろしくない。


 兄弟、にしては似てなさすぎる。


 親戚、ではないし。


 ルームシェア、と言ったらツッコまれた時にボロを出してしまいそうだ。


「……お友達」


 悩みに悩んだ末、それだけ答えた。


「友達……」


 赤居さんが射るような視線を向けたまま、整った唇で繰り返したので、私は思いっきり首を縦に振ってみせた。


 しばらくの沈黙の後、先に緊張の糸を緩めたのは赤居さんの方だった。


「そっか……!  友達、か……!!」


 なぜか、ほぉ~っとため息をついてテーブルに脱力する。


「そう!!  友達!!」


 私は念を押すように、もう一度繰り返す。どうやら納得して頂けたようだ。赤居さんの顔にはもう緊張の色はなく、彼特有の思わず心を開いてしまいそうな、ほにゃほにゃの笑顔が浮かんでいた。


「羊ヶ丘さんって、ああいうタイプの友達もいるんだ。交友関係が広いんだなぁ」


「そ、そうかな?」


「うん、意外だったよ。でも、そうか。友達かぁ……」


 赤居さんはそう呟くと、ナゲットをひとつ、指で摘まみ上げる。


「……よかった」


「ん、なんか言った?」


 私は首をかしげて赤居さんを見たが、彼は何でもないと言って微笑んだだけだった。

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