第5話 再会
きらめく陽光が降り注ぐ、休日のショッピングモール。人々の活気と笑顔が溢れる中、
その名は、ウルフガルム・シェイドランナー。悪の組織の手先でありながら、衣奈の心を惹きつけてやまない存在だ。
数日前、衣奈は自宅の最寄り駅前でウルフガルムと出会った。忙しい月末業務期間の真っ最中、憂鬱な出勤途中のことだった。
疲労困憊に加え、ウルフガルムというリアル獣人を目の前にして、衣奈の思考は完全に停止していた。フレドルカを奪われ倒れる人々を目の前に、彼女の頭の中では、理性と本能が仲良く肩を抱き合っていた。
この機会を逃したら、獣人と触れ合える機会は二度と無いぞと。
結果、目を付けられたのを良いことに、衣奈はウルフガルムに触りまくった。
このオオカミ怪人に殺されるなら本望とさえ思ってしまっていた。
激闘の最中も、衣奈はウルフガルムにしがみついたまま離れようとしなかった。しかし、彼の猛烈な動きに翻弄され、ついに振り落とされそうになった。
コンクリートに叩きつけられる恐怖が襲う。絶望的な状況に、衣奈は目を閉じた……その時。
背中に衝撃を感じ、衣奈は宙に浮いた。振り返ると、ウルフガルムの尾が、彼女を弾き飛ばしていたのだ。
偶然なのか、それとも意図的なのか。真意は分からない。しかし、そのおかげで衣奈はコンクリートの直撃を免れ、植え込みに柔らかい着地を果たした。
痛みはあったものの、大した怪我はなかった。衣奈はその場で立ち上がり、戦いの行く末を見守った。
最終的に、ウルフガルムはパワーを使い果たしてしまったようで、覚えてろ! と吠えると、どこかへ撤退してしまったのだった。
衣奈はそんなウルフガルムのことが忘れられず、生まれて初めて録画したニュース番組を繰り返し見ながら、この数日間を過ごしていた。
「また会いたいな……」
ショッピングモールのような人の多い場所へ行けば、もしかしたら……などと考えながら、しばらくウィンドウショッピングをしてみた。1階から順に昇って行き、普段立ち寄らない店も覗いてみる。
しかし、一番上の3階まで一周してみたが、ウルフガルムが一向に現れる気配は無い。
それもそうか、と小さくため息を吐く。そして、帰路に就くため、下りのエスカレータへと乗り込んだ。
すると突然、吹き抜けの真下がざわめき立ったではないか。
「ギャハハハハハハーッ! 逃げ惑え、人間ども!! てめぇら全員、狩り尽くしてやるぜぇーーーーっ!!」
轟音のような哄笑が、ショッピングモールに響き渡った。
衣奈は2階まで降りると、急いで近くのガラスフェンスから下を覗き見る。直後、視線は人混みの真ん中に釘付けになった。
二等辺三角形にピンと立つ耳。鋭い牙と赤い舌を覗かせ、先端にツンとした鼻先のあるマズル。黒い毛皮に隠れている発達した太腿。優雅にゆらゆらと揺れる太く立派な尾。
2本の脚で立つ、闇夜のような黒い毛を持つ大きなオオカミ……紛れもなく、ウルフガルムだ。
「ウルフガルム!」
衣奈は思わず声を上げた。
ウルフガルムの表情が引き攣り、驚きの混じった猩々緋色の瞳が衣奈を捉える。
「げぇ!? てめぇは、あの時の!」
「覚えててくれたの? 嬉しいっ!」
満面の笑みで手を振る衣奈に、ウルフガルムは顔を歪めて呟く。
「なんでここに……!? くそっ、ここならあの女に邪魔された分も取り返せると思ったのに……!」
ウルフガルムは困惑しながらも、背を向けるやいなや、襲撃を再開し始めた。
「えっ、ちょっと!? なんで気付かなかったフリするの!?」
悲鳴と叫び声が響き渡る中、衣奈は停止したエスカレーターを駆け下りた。
「待って、ウルフガルム!」
逃げ惑う人々の波を逆流するように、ウルフガルムの背中を追いかける。フレドルカを貪るように奪い取りながら進むその背中は、漆黒の悪夢そのもの。しかし、衣奈の瞳には、恐怖ではなくある種の決意が宿っていた。
「ウルフガルムっっ!!」
その力強い呼び声に、ピンと立ったオオカミの耳が微かに震えた。
今しがた若い男女からフレドルカを吸収し終えたウルフガルムは、面倒くさそうに振り返り、衣奈を睨みつける。
「追ってくんじゃねぇよ」
低く唸るような声は、苛立ちと嫌悪を露わにしていた。
「ご、ごめんなさい……でも私、あなたを探してたんです」
「はぁ? 俺をぉ?」
「そう、あなたを! どうしても、また会いたくて」
ウルフガルムの言葉に、衣奈は力強く答えた。その眼はまるで宝物を見つけたかのようにキラキラと輝いている。
そんな真っ直ぐな視線に、ウルフガルムは思わず目を逸らした。
「冗談じゃねぇ。俺はシャドウオーダーの怪人だぜ?」
「えっ、だって……モフモフな毛並みも、理想的なマズルも、立派な尻尾も……それに、悪役ですって感じの笑い方とか……全部、全部、私のツボなの!」
目を輝かせ、迫り来る衣奈。その言葉に、ウルフガルムは言葉を失った。
衣奈は、構わず続けた。
「それにね、あの時、助けてくれたでしょう?」
「はぁ?」
「あの時。私が振り落とされそうになった時、尻尾で助けてくれたでしょう? あなたの尻尾がなかったら、私は地面に叩きつけられて……今、ここにいなかったかもしれない」
「あれは態勢を整えようとして、」
ウルフガルムの言葉に耳を傾けず、衣奈は止まらない。
「あなたは私の命の恩人なのっ! 悪の中に残る優しさ……はぁ……もう、私、キュンキュンしちゃって!!」
両手を胸に当て、目を輝かせながら見つめる姿は、まさに恋する乙女のそれである。
「それに、あの戦闘中の余裕綽々とした態度! どこか憎めない不機嫌さ!! もう、完全に私のドツボなんですっ」
興奮を抑えきれない様子で、衣奈は早口でまくし立てる。
「悪役なのに、どこか優しさが見え隠れする……そんなギャップを持つ獣人が! 実在してるなんて! 信じられる!? 私はもう、完全に心を奪われちゃいました!!」
真っ赤な顔で迫る衣奈の熱意に、ウルフガルムは思わず一歩、後ずさりしてしまった。
「な……何言ってんだ、こいつ……」
ウルフガルムの頭の中は、ぐちゃぐちゃと混沌に包まれていた。まさか自分が人間に好意を向けられるなんて、夢にも思わなかったからだ。
怪人である彼の視界に映る人間は、これまで常に恐怖に支配された者か、敵意を剥き出しにする者ばかりだった。そんな彼らにとって、ウルフガルム自身は、容赦なくフレドルカを奪う恐怖の象徴にしかならないと思っていた。
しかし、目の前の衣奈は違う。彼女の瞳には、恐怖ではなく、熱烈な愛情と憧憬が輝いている。その純粋な眼差しに、ウルフガルムは戸惑いを隠せなかった。
「……気持ちわりぃ」
思わず吐き出すように言葉が漏れた。ウルフガルムにとって、衣奈の好意は理解を超えた異質なものであり、生理的な嫌悪感を覚えずにはいられなかった。
「あ、」
その言葉に、衣奈の瞳から光が消えた。
「ごめん、なさい……私……嬉しくて、つい」
絶望的な表情でウルフガルムを見上げる彼女の姿は、まるで傷ついた小動物のようだった。
ウルフガルムは、そんな衣奈を見下ろし、何も答えなかった。彼の心の中には嫌悪感と、どこか申し訳ないような複雑な感情が渦巻いていた。
すると。
「そこまでだ! 悪の組織の怪人め!」
ウルフガルムと衣奈は、揃って声のした方へ視線を上げた。
2階のガラスフェンスの上に、オレンジのラインが入った白いボディスーツにマントを靡かせたヒーロー、シャイニングナイトが立っていた。
「とうっ!」
シャイニングナイトはガラスフェンスの上から華麗に飛び上がると、美しいフォームで地上に舞い降りた。
「来やがったな、シャイニングナイト」
ウルフガルムが嘲笑しながら対峙する。
「うぅ、もう来ちゃった」
そのすぐ後ろで衣奈が呟いたが、シャイニングナイトの耳には届かなかったようだ。
涙目になった衣奈と目が合い、シャイニングナイトはオオカミ狽えた。
「っ、君は……。怪人め! また彼女を人質にする気かっ!?」
「は? しねぇよ。こいつが勝手におしかけて来やがったんだ」
糾弾され、ウルフガルムは親指で衣奈を指しながら、不機嫌に答えた。衣奈も恥ずかしそうに笑う。
しかし、シャイニングナイトは聞き耳を持たずと言うかのように、腰からサーベルを抜き取り、構えた。
「彼女をまた戦いに巻き込むというのかっ!」
「いや、だからこいつが……うおぉっ!?」
シャイニングナイトがウルフガルムに向かって駆け出し、勢いよくサーベルを振り下ろす。
ウルフガルムは間一髪で回避したが、銀色の剣が彼の左腕ギリギリを掠める。黒い毛が、はらりと散った。
「あぁぁぁ~っ!!」
衣奈が思わず叫んだ。
「やかましい! なんでてめぇがショック受けてんだよっ!!」
衣奈に向かって苛立ちをあらわにしながら、ウルフガルムが吠える。
「だって、私の(憧れの)ウルフガルムの毛並みがっ」
「俺はてめぇのモンじゃねぇっ!!」
そんな二人のやり取りを気にも留めず、シャイニングナイトは猛烈な追撃を仕掛けてきた。
「覚悟しろ! はぁぁっ!」
サーベルが空を裂くように鋭い音を立てて振り下ろされた。
瞬間、ウルフガルムは軽やかに翻り、距離を取る。そして、瞬時に鋭い爪を伸ばすと、牙を剥き出しにしてシャイニングナイトを威嚇した。
「覚悟すんのはてめぇの方だ! シャイニングナイトっ!」
地面を蹴り、ウルフガルムが瞬時にシャイニングナイトとの間合いを詰める。
「っ!」
シャイニングナイトが後方へ跳ぶ。鋭利な爪が白いマントを引き裂いた。
ほぼ同時に銀のサーベルが振られたが、俊敏な動きのウルフガルムがその刃を受けることは無い。
連続で繰り出されるシャイニングナイトの攻撃さえ、余裕の表情で素早く躱していく。
ウルフガルムが身を翻すたび、彼の漆黒の毛並みが美しく靡き、衣奈の視線を釘付けにした。
激しい競り合いは尚も続く。
シャイニングナイトは、まるで光の軌跡を描くようにサーベルを振り回し、ウルフガルムを追い詰めていく。ウルフガルムは、影のような俊敏さでシャイニングナイトの攻撃をかわし、鋭い爪で反撃を試みる。
二人の戦いは、まるでダンスのように軽やかで、一瞬たりとも目が離せなかった。
「はぁ……はぁ……」
しかし、徐々にウルフガルムの動きに陰りが見え始めた。
「くそっ……フレドルカが……」
シャイニングナイトはそれを逃すまいと、サーベルを握り直し、一気に間合いを詰める。
「これで終わりだ!!」
叫び、急所目掛けて突きを繰り出した。
その瞬間。
ウルフガルムは突然方向を変え、衣奈に向かって駆け出した。
「えっ!?」
突然のことに驚き固まる衣奈。
「っしまった!」
シャイニングナイトがウルフガルムを止めるために地を蹴ったが、間に合わない。
衣奈の目の前で、ウルフガルムが跳んだ。
くるりと一回転し、衣奈の真後ろに着地する。
そして、背後から彼女の両目を片方の掌で覆うようにして引き寄せた。
「おい女。そんなに俺を気に入ってんなら、役に立たせてやるよ」
耳元で低く囁く。覆われた衣奈の視界がチカチカと輝き、僅かな量のフレドルカが奪われた。彼女の身体からやんわりと力が抜けていく。
少量だが逃走するには充分のフレドルカを奪い取ったウルフガルムは、すっかり爪をしまった手で彼女の背中を思い切り押しやった。
「わ……っ」
「羊ヶ丘さん!!」
衣奈の身体は体勢を崩して倒れ込んだが、追ってきていたシャイニングナイトによって抱き留められた。
その隙に、ウルフガルムは風のような速さで駆け出し、ショッピングモールから姿を消した。
まさに一瞬の出来事だった。
「大丈夫か!?」
「は、はい……」
シャイニングナイトに支えられながら、衣奈は放心していた。
頬が熱い。心臓が早鐘を打っている。
それは、決してシャイニングナイトのせいではなかった。
衣奈の頭の中をいっぱいにしているのは、ウルフガルムの去り際の行動だ。
視界を覆った掌からわずかに伝わった、彼の温もり。
耳元に感じた、彼の吐息。
まるで口説かれているかのような錯覚に陥ってしまうほど、低く囁かれた、傲慢な台詞。
衣奈は両手で顔を覆い、大きなため息と一緒に唇だけ動かした。
「やばい……好きぃ……!」
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