#1

 『悪魔』…人間の魂を喰らう卑劣な存在。 

 『天使』…悪魔から人間を守る尊い存在。

 

 悪魔の存在が一般に知られている世界。しかし、この世界には『天使』と呼ばれる人々がいるため、悪魔が人間の目に触れることはほとんどない。そのため、人々は悪魔の存在を忘れ、疑う者まで出てきた。挙げ句の果てには、天使の存在でさえ疑う者が出てきたのだ。

 人間の住まう世界と、悪魔の住まう世界。

 二つの世界の狭間で幸せを守る少年少女たち。

 

 これは確かに存在した、見習い天使たちの物語。




 小さい頃、おばあちゃんがお話ししてくれた『天使』と『悪魔』のお話。

 もうあんまり覚えてないけど、どっちも初めて知るものだったから、とても印象に残ってる。とりあえず、悪魔は悪者で、天使はすごい人なんだって。今じゃアニメの題材にされたり、おとぎ話かのようにされてるけど、私は天使の存在を信じてる。天使も悪魔も、ここじゃないどこか別の世界で生きてるんだ、って。

 だからいつか、天使様に会ってみたいなあって、そう思ってるんだよね。


「…なるほどね」

「なに?文句でもあんの?」

「いや?べつに?」

 教室に2人きり、花笑はなえ水成斗みなと。中学二年生である二人は、放課後、だべって天使の話題を出していた。

 小学生の頃から仲がいい二人は、男女、しかも中二という思春期真っ只中にも関わらず、暇さえあればお互いに話しかけるような関係だ。

 花笑の長いポニーテールが風に揺れて、陽の光にきらめいた。

「僕は信じないけどね、そんな馬鹿げた話。」

「馬鹿げてないし!」

 ぷくっと頬を膨らませた花笑を見て、水成斗がははっと笑った。

 そんな水成斗は、昨日花笑に告白してフラれたばかりだ。こんなにも距離を感じさせず、全く気まずくなさそうに話す水成斗を、花笑は心底尊敬した。

 深く呼吸したくなるような清々しい春の風に、窓際のカーテンがはためき、白い光を反射して教室の中を明るく照らした。

「それじゃ、そろそろ帰るね」

「んー」

「水成斗は?残んの?」 

「あー、うん。ちょっとね」

 そう、と軽く相槌を打って花笑は教室を出た。校庭の桜が風に吹かれて揺れた。

 今日は午前中で授業が終わったから、少しゆっくり歩いた。

 

「いってきまーす」

「はぁーい、よろしくねー」

 母からおつかいを頼まれた花笑は、足取り軽く家を出た。何せ今日は花笑の大好きなすき焼きの日なのだ。おつかいくらい、どうってことない。

 ところどころに花が咲いていて、花笑は「春だなあ」なんて呑気なことを考えながら最寄りのスーパーへと向かった。

 目的地に辿り着いて、ガラガラとカートを引き出し、花笑は中に入った。白菜、ネギ、お豆腐、しらたき、お肉。自分が食べたいものを好きなだけ買えるから、花笑はおつかいが好きだ。一通り見終えてから野菜コーナーに足を戻し、ネギをもう一本カゴに入れた。そのままレジに向かい、ふと目に入った炭酸ジュースを手に取ってそれもカゴに入れた。会計をしたら思っていたより高くて、危うくオーバーするところだった。

 重い買い物袋を持って外に出て、炭酸ジュースを開けた。いつもと変わらない味が、何かを訴えるかのように弾けた。

 

 花笑はいつものように少し早足で帰路を急いでいた。なにも変わらない静寂の中、一人歩く。普段となにも変わらない光景に、なぜか花笑は違和感を覚えた。

(おかしい…?)

 そんなはずないのに。

 何かが起こってしまっているという不安のようなものが胸から這い上がってきた。

 (変だよ、こんなところで何があるって言うの、)

 自分に言い聞かせるようにして道を進んでいく。何もないことを願いながら、どこか花笑は期待をしていた。

 日常が、非日常に変わることを。

 

 ある光景が、目に飛び込んできた瞬間、心臓がばくんっとひとはねした。胸が締め付けられるように苦しく、何もないのに息が上がる。肺が膨らまないのが良くわかる。喉と肺の境目がとても苦しい。

 自分の目が悪かったら、見ることもなかっただろう。

 少し先の道の真ん中、鮮血の色。その中に溺れていく、二人の人。その中心に立つ、一人の…なにか…?

 「はっ、あ、はっ…!」

 声がうまく出なくて、息だけがただただ漏れていく。

 ただそこに立ち尽くしていた。

 

 赤い鏡の上に立つ人のようなものは、おかっぱ頭の少女だった。黒髪なんだろうけど、毛の先だけ白かった。一枚の布を巻き付けたような服は風によくなびき、翻した白い布は天まで伸びて、雲のように見えた。

 こちらに気付いた様子の彼女は、ゆっくりとこちらを向いた。彼女の視界の端に自分が映ったくらいのところで、ふっと前に向き直り、軽く膝を曲げてからまっすぐ上に跳んだ。その瞬間、彼女の頭の上くらいのところに、ぽっかりと穴が開いて、彼女を飲み込んで消えていった。その穴は、本当になににも例えられない、「ここに開いた穴」そのものだった。

 一瞬だけこちらを向いた彼女の目は、濁流を拾ってきたような深緑色だった。瞳孔は縦に細長く、光を反射しない黒だった。確実にこっちを見たのに、瞳孔が動いていなかったものだから、目が合わなかったように感じた。

 

 ー悪魔だ。悪魔が出たんだ。 

 やっぱりいるんだ。悪魔はいる。きっと天使もいる。行きたい。会ってみたい。あの悪魔が帰っていった世界に行ってみたい。花笑は焦がれるように行きたいと願った。どうも自分は無情な人間らしい。でもそんなことよりも夢のように憧れていた場所に行きたかった。花笑のそれからは、まるで希望が溢れているようだった。


 





 一週間後、“天使園”の入学許可書を受け取った花笑は、復讐と残虐に満ちた目を夜空に向けた。

 









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