第5話
仄暗い室内には錆びついた金属の匂いとむせ返るほどのアルコールの匂いが充満している。ゆらゆらと赤く燃える一本の蠟燭が、寂寥に溺れる人たちの顔を悪戯に照らしていく。
七の区からの唐突極まる襲撃により、ささやかながら人や物で活気を宿していた八の区は瞬く間に混乱の渦に巻かれた。負傷した者、抵抗する術を持たぬ者、その他を含め多くの区民がどうすることも出来ずただ息を潜め続けることで精いっぱいだった。
七の区と八の区の境界には本来あるべき区と区の間に作られるゲートが無く、監視もついていない。故に命の保証は誰にもない。
「いったい何が起こっているんでしょうか...。いままで七の区と八の区は良い関係を築いてきたというのに...目的がはっきりしませんし。死者が出ていないことを祈るばかりですね」
金髪の青年はそう言いながら、大きなリュックに次々と荷物を詰めていく。
「警備隊の坊主から連絡があったが、とにかく早急に来てくれとしか言わなかったからな。わしにも分からん。今は少し落ち着いているらしいが危険な状況には変わりないだろう、尻の穴引き締めていくぞ!大地!」
「うっす!.........尻の穴?」
一般的な医療施設では、日曜日は休診日が多いだろう。押江診療所も例にもれず今日は休日だった。その証拠に、朝まで飲んだくれ、七聖達を送り出した後二度寝をし二時間前まで眠りこけていた辰彦の顔色はくすんでいる。しかし、スペシャルイレギュラーな事件が勃発したおかげで久々の休日を謳歌していた押江診療所で唯一の看護師である中谷大地(なかやだいち)を電話で呼び出し、共に負傷者や避難の遅れた者の対応を目的地に向かいながら努めていた。
「先生、先ほどの電話は達也君ですか?」
負傷した人がいないか周りを確認しながら歩く二人。処置に必要な品物が詰め込まれた大きなカバンを軽々と背負う大地は少し気になっていた辰彦の電話先を休憩がてらに聞いた。先ほどまで、どこかにけが人がいないかと声を張り上げていた大地には、辰彦が誰かからの着信を受けていたことを見てはいたがその内容は知らなかった。気になったことはすぐに聞いてしまう大地の癖だ。
「いんや、五月女(さおとめ)だ。子供たち全員の避難が完了したそうだ。ケガも自分たちで手当てができるほどだそうだ」
「あ~、そういえば今日は寺子屋で生徒さんのお誕生日会でしたっけ...皆さんそろって無事なのはよかったです。それにしても...八の区の警備さんはちゃんとお仕事されているんでしょうか」
「いつもいつも、辺りをハエの如くうろついとるくせに肝心な時には何もできないのは八の区の警備隊だけか、それともどの区も同じか、まあどちらでも構わんが納めた税金分はせかせか働いてもらわにゃ区民に腹をたてられてもしかたないわな」
先生もその区民の一人なんだろうなと感づいた大地は、実際通常の警備隊の働きぶりにそれほど腹を立てているわけではないが、雇い主との関係性を考え「そうっすねぇー」と中身のない空っぽな返事を辰彦へ返した。
押江診療所は、八の区の中でも端に位置しているおかげか七の区からの攻撃を直に受けているわけではなく、付近で負傷している人たちも襲撃された場所からはるばる避難してきた人ばかりであまり被害大きさを感じていなかった二人。しかしゲートに近づくにつれて負傷者の数は増え、ケガの度合いも重くなっていく。
「誰かぁあ!!!助けてぇぇえ!!」
「痛い...痛い...いt...」
爆発の残骸。人の悲鳴。建物が崩れる音。
「医者は!!医者は居ないか!息子が頭に怪我をしたんだ、血が止まらない!誰でもいい!息子が!!!」
「ママ...どこ......うわぁぁぁん!マーマー!」
呼んだところで、祈ったところで、死んでしまった者をどうすることは不可能である。散らばった多くの死体に手を合わせる辰彦は、何度目かと数えることを放棄した結論に眉を顰めた。
現状は悲惨。生きている者と死んでいる者の境界が極限まで薄くなっているこの場を、どれだけ健康な眼差しで直視することができても、大地は自らの意識をこの場に生まれてしまった死に、染め上げられていた。
「ゔっ...っおぇ...ゲホッゲホッ」
たちまち内臓から込み上げてくる不快感に気分が悪くなりその場にへたり込む。子供の泣き声や助けを呼ぶ声が、己の醜態に憤怒し責める声に聞こえ増々体を硬直させていく。その恐怖に目に涙を浮かべながら、自らの役目を果たせず嘔吐くことしかできない大地。しかし、負傷した人のもとへと駆け出していった辰彦の後ろ姿を滲んだ視界で捉えたとき、何かを決意したようにその場にゆっくりと四つん這いになり深い呼吸を繰り返し始める。覚悟を決めて口の中に右手の人差し指と中指を喉の奥まで突っ込み、胃にたまっていた物体をすべて吐き出した。
「はぁ、はぁ...っ。負けるな、大地...がんばれ大地...大地は、できる、大丈夫...。はぁ、よし!俺、復活!」
額に汗をかきながら青ざめた顔で無理やり自分を鼓舞する大地の姿は、先を行く辰彦の視界にも微かに映っていた。しかし意図して何も声を掛けることをしなかった優しさは大地にはきっと伝わっていないことだろう。
「すみません!お待たせしました、先生!」
「あぁ。ワシはこのまま重症者の方に行く。お前はそこらにいる無傷の者や軽傷の人間に応援を頼んで、避難の誘導と救助の助けを頼んでくれ。この通りをまっすぐ行って右手にある赤い看板のかかった店はわしの名前が聞く。店主がいなかったら蹴破ってもいい。頼むぞ」
笑う膝を何とか抑えながら駆け足で辰彦の背を追いかけてきた大地に、負傷者の手当てをしながらあれやこれやと指示を出し始める辰彦の隣は、大地にとってこの場の誰よりも信頼でき、安心できる場所だった。負傷者の治療に追われる中、負傷していない人たちに応援を求め避難の誘導もしていく二人。もはや警備隊と遜色ない、否、それ以上の働きをして見せていた。
残酷ではありながら死んだ人間を生き返らせることは現代の技術では到底できない為、もう動くことのできないご遺体一人ひとりに手を合わせ一つの場所に集めていた時、突然大地の背後からドサッと何かが崩れるような物音が聞こえた。振り返る大地。そこには。
「っ!」
うつ伏せに倒れた成人男性がいた。煤汚れたその服装から見るに八の区の警備隊だろうか。息を荒くしながら顔を歪めている。
「大丈夫ですか!!聞こえますか!」
大地は倒れている男のもとへと急いで駆け出す。男は、大地に差し出された手を力強く握りしめながら上体を起こそうと必死に身を捩る。
「ぐっ!...っはぁ、はぁ、はぁ。た、助けてく、み、水......」
上ずり、かすれた声でか細く囁くように水を求める男。相当喉が渇いているのか、声を出そうとすれば、乾いた喉の粘膜がときどき付きそうになり苦しそうにせき込む男。
「水?水ですね!はい、どうぞ!」
大地は肩から下げていた水筒の蓋を開け、コップのように扱い水を差しだす。重たそうに体を持ち上げ水を一気に飲み干した男。その一瞬で男の顔色に少し生気が返ったように見えた。付近にいる負傷者は大地と辰彦の懸命な働きにより随分と数を減らしていたために、自分はこの男の傍についていようと大地は素早く判断する。さすが、辰彦のもとで働く人間である。
「大丈夫ですか?少しは落ち着きましたか?」
「はぁ...えぇ、どうもありがとうございます。 ...しかし...情けありませんね...」
「え?」
咳ばらいを一つ吐き、感謝の言葉と弱音を溢し始めた男はようやく落ち着いてきた呼吸のおかげで、体中に血液が回っていることを皮膚の奥で感じ取り、この場にたどり着くまでの道のりを嫌でも思い返していた。
「あなた、気づいているでしょう。俺が警備隊の人間だって...碌に働きもせず逃げ出してきた腰抜けだって...」
地面に手を付きながらゆっくりと立ち上がり大地の目を見つめる。よく見ればその瞳は若干緑がかったヘーゼルアイであり(綺麗だな...)と初めて見る珍しい目の色に大地はくぎずけになった。しかし男との会話をここで途切れさせるわけにはいかないとし、男に見下された目を見つめ合いながら言葉を返す。
「やっぱり、警備隊の方でしたか。その服装ですからなんとなく予想はついていましたけど...碌に働きもせず逃げ出してきたどうしようもなく情けない腰抜けなのかは僕には分かりませんけど、今は感傷や自虐をしている暇はありませんよ」
慰めたいのかけちょんけちょんに貶したいのか五分五分ほどの無意識毒舌を発揮させた大地は男の隣に立ち上がる。
「体力が底をつくほど必死に走ってきたということは、そうせざる負えないことが起きた。八の区の警備隊に何か予期せぬことが起こったんでしょう」
「っ!」
「その反応は図星ですね」
図星だった。トガラの警備隊はアジムでいうところの警察のような組織である。だが、警察の訓練よりも随分と過酷な訓練らしく恐ろしいほどの統率も取れている。区ごとに少しずつ特性はあるらしいが、良く規律の通った組織だ。そんな組織の人間が汗まみれの薄汚れた姿で一般人に助けを求めるなんて、相当な事件が起きていなければ説明がつかない事態だった。
「何があったのか聞きたいところですが...とりあえずここを離れましょう。負傷者の手当てもすべて済みましたから...」
「しかし...」
男は申し訳なさそうに話す。
「しかしでもたかしでもないですよ。立っているのもやっとな状態の人を、看護師の僕が見捨てるなんて言語道断!それに、先生ならあなたの助けになってくれるかもしれないですから!さぁさぁ行きますよー」
大地は男の腕を自分の肩に回して無理やり引きずるように導いていく。はたから見れば恰幅のいい男に幼気な少年が絡まれているようにしか見えないけれども...。
「そういえば、自己紹介が遅れましたね。僕は中谷大地です。年齢は23歳。八の区の押江診療所というところで看護師として働いています。どうぞよろしく」
「俺は...トガラ専属警備団、八番区域坂本隊所属の竹葉綜一(たけばそういち)です。年は28です。改めて、助けていただき感謝します。大地君」
「いえいえ。お礼を言われるようなことなどしていませんよ。竹葉さん、助けられるということはけして情けないことではありません。むしろ、あなたを助けたいと思い行動する人間がいることを誇りに思っていただきたいくらいです。あなたの助けができてよかった」
身長の差が10㎝ほどあり、どうしても綜一が大地を見下す形になってしまうが大地の言葉に心がホカホカと温かくなり、大地のたくましさに感銘を受けた綜一は大地の心の大きさと自分の心の大きさを比べたら、自分の方が何割も小さいのだろうと確信を得た。つい先ほどまで地に這いつくばりくたばっていたというのに、今は初対面の青年に励まされている三十路の自分に妙に笑えてきてしまい、思わずくつくつと笑ってしまう。
「ン?なにか面白いことがありましたか?」
不思議そうに綜一の顔を下から覗き込み、そう問う大地。
「いや。ふふっ、何でも」
「はぁ、そうですか」
数時間前_______
エレベーターから降りた二人が向かったのは、緋川グループのネズミ部屋こと特別情報管理室。
管理室に入るためには設置された自動ドアを通らなければいけないのだが、あまりにもさくらの歩くスピードが速く、それに加え設置されて日が長い自動ドアは動くさくらを感知できないことが増え、さくらが自動ドアに激突するということを幾度となく繰り返したため、先日撤去されたばかり。そのため今は、通るたびにじゃらじゃらと音がするビーズの暖簾が掛かっている。なお、さくらは気に入っている。
「会長。やはり、№4018の喪失は翠禪にとっても痛手のようですね。我々と同じく勇み足になっているようで...」
同僚たちが共用のデスクに向かい仕事をしている中、一席だけほかの社員とは違い少し離れた場所にデスクを構え、パソコンと向かい合っている人間に声を掛ける心鳥。
「まあ。『我々と同じく』というと ころはなんとも言えないけどね...。とりあえず、さくら君も心鳥君も任務お疲れ様。報告は聞いたよ、ダメだったようだね」
「僕たち自身が現地に行ったわけじゃないけどネ~。太一君もお疲れちゃーん」
だるそうに口を開いたさくらの態度は決して上司に向けるべきではないが当の本人はあまり気に留めていない様子。
「それでも一応任務は任務だからね。それと、心鳥君。僕のことをそろそろ会長と呼ぶのをやめてくれないかな...同じ高校で僕が生徒会長をしていたのはもう何年も前のことなんだよ?そろそろ恥ずかしいよ。今の僕はしがない情報管理室の室長だからさ。あとさくら君も、僕の名前は太一じゃなくて友浩(ともひろ)だから。いったい誰と勘違いしてるのかな?」
「え...ん~。ほえ?」
「あれっ...え?...」
「先輩...そろそろ、名前があやふやになった人のことを総じて太一君と呼ぶ癖は直した方がよろしいかと。最近では女性にまで太一君と呼び始めましたし、いくら多様性の時代と言えど女性に太一君はさすがに...」
さくらは、子供のころから人の顔や名前を覚えることが苦手なおかげで、随分と苦労していた。そのため相手のことを覚え記憶し必要に応じてさくらに伝える役は年の離れた幼馴染である心鳥が長らく請け負っている。
「そんなことより、会長。本題である翠禪の動きですが会長の方で収穫は...」
「そ、そんなことって...。心鳥君、会長呼びをやめる気はないんだね。簡潔に言えば残念ながら翠禪の動きについての報告は無い。気味が悪いほどに、真っ白だね。それに、どうやら僕たちが翠禪の周りを嗅ぎまわっていることをみんな知っているようだったよ。会議中チラチラ睨んできたり、僕の足をわざと踏んできたりするんだよ。あ~あ。緋川も随分と落ちたよね、悲しいよ」
「あんなおじいちゃん達の介護なんて早急に辞めちゃえばいいのサ。ネ!心鳥君」
そうさくらに共感を求められた心鳥はうんうんと本心の赴くまま、首を縦に振る。そんな二人の反応を見て、少々傷ついていた心が優しく癒されていく感覚に嬉しさを覚えた友浩。
「しかし、なぜ上層部はたかがクラッチ一体にここまでの力を入れるのでしょうか。そもそも、翠禪とあんなことがあったというのに、凝りもせずまた五の区にルーマを建てた緋川グループという組織の動き自体、腑に落ちないのですが...」
「それについては、みんな同じ意見サ。8年前、緋川グループの検体が起こした五の区での暴走事故。翠禪が強引にもみ消したようだけど、その時のいざこざは残念ながら今も水面下で長引いているネ。五洋商事と緋川グループはライバル企業と見せかけて、いまや緋川の名前はぺらんぺらんのお飾り。そのうえ事実上の【負け】を自ら望んでいる始末サ」
まさか勤務している会社の愚痴をこれほどまでに堂々と吐き出す社員も、なかなかいないだろう。呆れたように話す心鳥やさくらに、本来注意をするべき立場の室長である友浩も口を開く。
「たかがクラッチ、されどクラッチなんだ。我々緋川の所持している...。正確には所持していたクラッチは、すべて五洋商事と共同開発されたものではなく自然発生したナチュラルのクラッチなんだ。その中でも№4018の彼は特出して優秀だった。そんな彼を失ったことは、緋川グループにとって一つのルーマが破壊されたことより恐ろしいことなんだよ」
あまりにも突然の説明口調に、心鳥とさくらは面を食らった。それこそ上司として部下である自分たちがビシッと注意を受けるのだと思っていたのに、堂々と溢した愚痴に対してこれまた真剣にレシーブを打つ姿を見せられたからだ。しかし、さすが特別情報管理室の中堅社員バディ。面を食らったとて、友浩の放った言葉を一言も聞き溢すことなく前頭葉でしっかり受け止めていた。説明されたことを簡潔にまとめれば...『緋川グループと翠禪が追っている№4018は、マジでヤバイってこと!』
byさくらの脳内。
ご親切にもさくらがそんなことを脳内で考えていた時、心鳥は首を傾げがちに「でも...」と話しはじめ、それに気づいたさくらと友浩の視線がじっと見つめる。
「今回の【彼】が緋川グループの特別であることは理解しましたが...その彼がいたルーマを襲ったのは一応ライバル関係の翠禪ですよね。事実上の負けを望んでいるとしてもあまりにも緋川グループにとって不利な戦況です...」
確かに、「言われてみれば...」とさくらがつぶやく。
「それに加え、我々が翠禪に疑いを持つことを過剰な程に嫌がる上層部...もしかしたら」
心鳥はゆっくり友浩の方を見やる。
「もしかしたら?」
それに倣いさくらも友浩を見やる。二つの視線を受け取る友浩の口元はなぜか嬉しそうに歪み始める。
「二週間前に起きた緋川グループのルーマ襲撃事件は、翠禪との共同犯行。もとより緋川は被害者などでは無かった...」
二人の間に生まれたのは、静けさ。それゆえに生まれる耳鳴りとゴウゴウと空調から吐き出される唸り声。両者とも、そんな気はさらさらないのだがバチバチに睨み合っているように見えるのは、この場に他の社員がいればさくらだけが感じることではなかっただろう。
自分たちが持っている大切な研究施設が襲撃されてから二週間も経っているというのに、トガラの警備隊を動かすことはなく、そのうえ事実を素直に受け入れるかのような姿勢。やられたらやり返すタイプの人類である心鳥には、甚だ理解しがたい状態である。(普通だったら、全面戦争不可避の流れなのに)と本気で思っている。
「......」
「...僕の目はやっぱり間違ってなかったようだね。良かった、良かった。でも、少し違う。まったく~すぐに結果を求めようとするのは現代っ子の流行り病だね。おいおい」
「か、会長っ...やめっ、あぅ...」
そう言いながら、ニタニタと口角を上げ両手の人差し指で交互にツンツンと突いてくる上司をどう対処すればいいのだろうか...。入社当時の新人研修で教育係の先輩は教えてくれていただろうか。否。そんな上司など厳格なイメージが根深い緋川グループにはいない。はずだ。きっと烏川友浩という人間は、教育係の想像を遥かに超える人間だったのだろう。そろそろ鬱陶しいが、高校生の時から尊敬の念を抱き憧れている上司に「やめてください」の一言があと一歩で言えない心鳥。むしろ喜びに似た快楽さえ感じそうだと思ってしまうが、自分の下した考えが少し違うと言われてしまい、正解は何だったのか気になっている自分もいる。どうしようか。どうすればいいのか。分からないまま、ただ困惑の表情をさくらに見せ付け助けを待つ心鳥。それに気づくさくら。
「...ネェ...キモイ...」
ドン引きである。
さくらの眼光が友浩に攻め入る。その目は光りすぎて逆に真黒く見える。
「おっと、失礼。ごめんよ、心鳥く...ん?」
「は、はひぃ...」
「あーあ。友君のせいで、心鳥ちゃんが至っちゃったじゃん!」
「失礼ですね。至ってませんから!というか、至ったってなんですか、至ったって!!まるで、僕が変態みたいな言われよう。誠に遺憾です」
そんな風に自分のことを言われるとは思ってもみなかった心鳥は、顔がどんどんと熱を帯びていくのを感じ、さらに自分が発したあまりにも情けない声を思い出し、恥ずかしさを誤魔化すために下唇を前歯で噛む。
そんな心鳥の姿を見て、何処の政治家だよっ!という突っ込みはさくらの喉仏でつっかかり心鳥や友浩の鼓膜に到達することはなかった。
「ふ、二人とも、その辺でやめとこう。喧嘩は良くないよ」
「誰のせいだと思ってるのサ...」
友浩は、苦笑いをしながらへらへらと謝罪する。
「ごめんごめん。えーと。随分話が道を反れてしまったね。とりあえず、心鳥君の考えと事実のありさまに大差はないよ。ただ...判断を下すにはどうしても証拠が足りない」
「まぁ。とりあえず。今のところ翠禪には打つ手なしってことだよネ。大分長々と喋っちゃったけど、そろそろ本業務にとりかかったほうがいいんじゃない?」
そのとおり、翠禪の周りをうろつくことは特別情報管理室の本来やるべき仕事ではなく、友浩のお願いを従順に聞く心鳥とさくらのアルバイト的業務。これまでのアルバイト業務を時給換算すればそれなりの金額になるほど働いている二人。
いまだ締まらない空気を壊すように心鳥は一つ咳ばらいをし、話を始める。
「今回の調査で、各区域で発生しているアジムからの”お客さん”トラブルが、増加している理由に粗方判断が付きました。やはり、ロイ・クランですね...」
「ロイ・クラン?...。それって確か違法薬物の...。なるほど、政府の動きが鈍いのはそれが理由だね...」
「やはり、我々のような一企業の一社員がこの件について首を突っ込むなんて穏やかではありません。一刻も早く警備隊に掛け合わなければ、トガラの未来はありませんよ。会長。お早い判断をお願いします。このままでは無辜の区民まで巻き込むことになります」
「ネズミに相手ができる事件ではないだろうネ」
真剣な顔で友浩に訴える心鳥。エレベーターから見た景色。たとえ掃き溜めの場でも区民にとってはかけがえのない場所。それは心鳥も、さらにはさくらと友浩も例には漏れない。
「わかった。とりあえず警備隊に伝手がいるから、まずはその人に掛け合ってみっ」
重たい口を開き一つの事件が解決に傾いたその時、友浩の社用カバンに入れたまま存在を忘れていたプライベート用のスマートフォンが微かにprr prrと震えながら鳴き始めた。
「会長のお電話かと」
心鳥の一言に頷くいて、片手でカバンの中を弄ってスマホを手に取る。その画面に表示された名前は脳裏に顔が思い浮かぶ程度の相手。応答と書かれた緑色のマークを指先で触れた後、耳元に近づける。
「もしもし...。あぁ、室長は私だが。七の区で暴動?いったいどいうこと、っ!もしもし?君!返事をしないか!...切れてしまった」
「会長、どなたからの連絡ですか」
友浩の電話相手の声が、スマホのスピーカーからノイズのように聞こえていた心鳥。地獄耳ではないため会話の内容までは聞こえなかったが、友浩の言葉を聞き只事ではないと覚っていた。しかし、会話相手までは分からない心鳥。できる限り、自分で考え自分で答えを導きたかったが、こればっかりはできなかった。
「さっき、警備隊に伝手があるって言ったでしょ。その人のことを紹介してくれた人だよ。元警備隊で今はアジムで家庭を持ったって聞いてたけど」
「七の区で暴動って言ってたけど、何があったのサ」
「僕も、詳しく聞きたかったんだけど、途中で大きな物音がしてそのあとすぐに通話が切れてしまったんだ。1度しか会ったことはないけど、わざわざ僕の携帯に電話をかけて冗談を言うなんてありえない。大至急で向かおう」
「「了解」」
二人の揃った返事を聞いた後、ずっとデスクに向かい業務をしていた他の部下に、数時間後に入っている会議を急用のため欠席したい旨を上に伝えてほしいと指示を出す。この管理室にいつ戻ってこられるか分からない為だ。
本来であれば、暴動が起きている!助けてくれ!なんてこと一企業勤めの友浩へ連絡する前に、警備隊へと連絡すべきこと。しかし、なぜ友浩に連絡をしたのか。それを確かめるためにも現地へと赴く理由があると言える。
三人は駆け足で、管理室の入り口に吊るされたビーズの暖簾を潜り、無駄に長いだけの廊下を進んでいく。数十分後、故障した車の回収やケガの治療で帰還が遅れた部下たちが、上司が一人もいない部屋を見て頭に疑問符を生やすことを三人は露と知らない。ただ、目の前に突如として訪れた事件へと車を走らせ、その現場へと足を向かわせることだけが共通して三人の頭に意識されている。
会社からの仕事として使用する社用車とは違い、友浩のマイカーで道路を走っていく。運転は部下である心鳥。もう一人の部下であるさくらは、二輪車の免許は持っているが自動車の免許はいまだに取っていない。心鳥から散々、オートマ限定でも良いから免許取ってくださいと言われているが、本人のやる気が全くないためあと二年はとらないだろう。そういえばそんなことを先輩に言ったなぁと呑気にも運転席でそんなことを思い出している心鳥。なぜ今、呑気に思い出を振り返っていられるのだろうか。
信じられないだろうが、実はこの男、ちゃっかり道路で200キロのスピードを出しているのだ。
公共道路で200キロのスピードを出している人間がする顔とは思えないほど、春風のように爽やかな顔をしている。
「心鳥ちゃん!!!速すぎ速すぎ!!!!スピードを落としてほしいネ!!!!友君、死にそうだかサ!!」
後部座席から聞こえるさくらの声で助手席を一瞬横目で見れば、絶叫系の乗り物が大の苦手である友浩が白目をむいて気絶している。その様は、男前が台無しな程。
「ふん。しかし、しょうがないでしょう?このくらいの速度を出して進まなければ、七の区に着くころには日が暮れてしまいますから。先輩たちガンバです」
「心鳥ちゃん!!僕たちを殺す気かネ!!!!」
大至急で向かおうと言った友浩からの指示にたいして、忠実に対応しているだけだと思っている心鳥。同じ車線を走る車を華麗なハンドルさばきで追い抜き、車内は豪快に揺れる。ジェットコースターなんて比じゃないほどの恐怖にあとどれほど耐えればいいのか...想像するだけ無駄だと感じ、さくらはアシストグリップを力強く両手で握りしめ目的地に着くまで耐えて待つことしかできない。
SALLY. 巴ミロク @moon-frower191024
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