第4話



四の区の景色を思う存分堪能した三人は、本来の目的地へと向かっていた。今は先ほどまで車を走らせていた大通りから外れて、閑静なところを走っている。四の区は、トガラに設けられた八地区の中で三本指に入るほど栄えている地区である。そのためビルや商店が所狭しと並んでいたのだがここは違う、主に住宅が建てられている。そのほとんどが一軒家で、一目見ただけで裕福な人間が住んでいるのだとわかるほどの大きさをそれぞれ持っていた。


「聖兄さん...。本当にこっちであってるの?なんだか僕たちには場違いな気が...」


数分前まで「お城だ!」とその景色に見とれていた達也も生温い居心地の悪さを自認していた。


「間違いない...はずだ。あいつが送ってきたメールにはそう書いてある」


「もしかして遊間さんって人、とてつもなくお金持ちなのかなぁ。なんだかお腹がキリキリしてきちゃった」


「...」


手を胃のあたりに置き摩っている達也を横目に、ジンは窓の外を見ていた。これから起こり得るだろう事象に思考の七割を持っていかれていたのだ。白い悪魔からの解放。渇望していたわけではないが、不愉快からの解放は喜ばしいことだ。ジンは指先で冷たいそれをなぞる。


「それ、取れるといいね」


「...あぁ」


達也はジンの首に付いている物へ無意識に手を伸ばす。昨夜着替えを手伝った時に軽く手があたった程度の接触はしていたが自ら触ろうと手を伸ばすのはは初めてだった。しかしその手は首輪に届くことはなくジンによって阻まれてしまう。


「!」


「触るな...」


爆発するかもしれないのに、専門的知識も何もない達也が無闇に触っても安全安心だと言い切れる確証があるはずもない。口下手なせいで伝えたいことの半分も言えてないが、ジンの意識は自分の身より達也や七聖の身に向いている。


「そ、そうだ、よね...ごめん。気になるとすぐ手をだしちゃうんだ。僕の悪い癖...。直さなくちゃだね...」


ジンの言うことに間違いは無いため、達也はすぐに手を引いた。ぎこちなく笑いながら謝罪をするが、ぎこちない理由は拒否されてしまったからではない。達也の手にジンの手が触れた時、一瞬だけ交じり合ったジンの目が悲壮に濡れているようだったのだ。今はまだ自分が探るべきではない、ジンの顔。きっとジンも知らないジンの顔を見てしまったんだと、達也は心の奥につぶやき小さく息を吐いた。


二人のやり取りが落ち着いたとき、車が七聖の踏んだブレーキに応え動きを止めた。どうやら、目的地に着いたらしい。七聖は運転席から外に出て周りを軽く見回し二人に出て来いと手で伝える。


「くぅっ!はぁ...。腰と背中がバキバキだー」


腕を上へと伸ばし腰と背中を反る達也。


「駐車場が見当たらんが、路駐でもしておけということか?ハッ随分な歓迎だな。迎えぐらい寄こしたらどうなんだ...」


目の前には塀のような大きな壁が連なるだけ。


「古馴染みだと聞いているが...」


「聖兄さん、きっと嫌われちゃったんだね」


車から出た二人は、嫌味を吐く七聖にそれぞれの反応をして見せた。古馴染みのくせに自宅の場所さえ知らないのだから疑われても仕方あるまい。


「しっかたねぇなぁ~。とりあえず行くか。えーっと、門は開けてあると聞いているが...」


「門?...門なんてどこにも...」



七聖を先頭に歩き出す三人。七聖の話を聞くに、門があるらしいが顔をキョロキョロと動かし、あたりを見回すが達也の目には一向に視認できていない様子。そんな達也を見兼ねジンが指を指し示す。


「あれだ」


「え.........」


「はぁ...まあ、なんだ。お前の予想はどんぴしゃりだってわけだ。こんなんでいちいち驚いてたら後が持たないぞ達也。覚悟、しておけよ」


ジンが示した門、それは両開きのアイアンゲートで中世ヨーロッパのお屋敷のようなロマンチックな装飾が施されている。が、それ以上に目を引くのがその大きさだった。10mは優にあるだろうか、達也は豪華な門を見上げあんぐりと口を開けている。無理もない、八の区にはこんなに大きな門など存在しないのだ。門を見上げたまま動かなくなってしまった達也に「行くぞ」とジンが声を掛ける。ジンの声に意識が戻った達也はその顔にド緊張の文字を浮かべていた。


そんな達也を気にもせず門を開けて中に入っていく七聖は、目の前の風景に香りにほんの少しだけ懐かしさを感じていた。だがそれは一瞬のこと、足を止めるほどのことでもないと七聖は足を進める。


「来ないなら置いてくぞー」という七聖の声に「はーい!」と応え小走りをして七聖の傍についていく達也、無言でついていくジン。三人は真っ赤な薔薇が美しく咲き誇る豪華な庭の中を歩いていく。


ようやく辿り着いた豪邸の扉を、ノックするでもなくこれが常識とでも言わんばかりに足で蹴り、大声を上げる七聖。


「おい、来たぞ!開けろ!」


「ちょ、ちょっと...そんなことしたら...」


ガンッ!ガンッ!と音を立てる扉。無礼にもほどがあるその行動は見る人が見れば伏見七聖という人間の人格を疑うだろう。見る見るうちに顔が青ざめる達也。何が起きても無表情のジン。この場を治める力を持つ者は残念ながらここにはいない。


少したって扉の向こうからぞろぞろと足音が聞こえてきた。鍵を開けたのだろうかガチャリと音が鳴り、重厚な扉が動き出す。




「やあ、待っていたよ...セブン」


開かれた扉の向こうで三人を出迎えたのは、華奢な体に長い銀色の髪がさらりと揺れ、耳に掛けられたメガネの奥で緑色の目が怪しさに濡れるアンニュイな雰囲気を纏った青年だった。七聖はゆっくりと青年に近づく。


「その呼び方、古傷にしみるぜドクター」


どうやら古馴染みだというのは七聖の虚言ではないようで、二人はお互いだけに伝わる呼び方をして遊んでいる。しかし遊んでいると思っているのは二人だけで、視線の中には独特の生温い圧が混ざり込んでいる。達也とジンはそんな視線で語らう二人の様子をただ見ていた。


「まったく。何年も音信不通だったくせに、急に連絡して来たと思えばお前の力を貸して欲しいって...僕がどれだけ君の心配をしていたか分かるかい?あと二か月連絡が無かったら君のお墓に線香をあげていたよ!」


「分からないねぇそんなこと、分かったところでだ。というか、勝手に墓を建てるな!」


むっとした顔の青年は七聖の言葉に呆れたようで、大きくため息を吐いた。音信不通というよりも、生死不明と言われた方が納得できるような状態だった旧友との突然の再会に、困惑と喜びが渦を巻く心情だった。勝手に墓を作ろうとしたのは嘘半分だったが、あと二か月七聖と連絡が取れなかった場合、出不精なりに行動を始めようとしていたのは事実だった。


すぐに後ろに突っ立ていた達也に近づいていき声を掛ける。


「あ、君が噂の達也君だね?」


「ひゃ、はい!こんにちは!」


急に話しかけられた達也はいきなりのことに口が上手く回らず声が上ずり、あまりの恥ずかしさで庭の薔薇のように真っ赤に顔や耳を染め上げた。そんな達也の初々しさに小動物を見た時に覚える可愛らしさを感じ取り、思わず青年の頬が緩む。


「フフ、こんにちは。で、君が噂の...」


「...」


ジンは青年に目礼をする。


青年は視線を達也からとなりのジンに移しジッとその姿を眺める。ジンにとって気分の良いことではないが、これからずっと警戒されたままではもっと気分が悪いため大人しく眺められている。何か問い詰められでもするのかと思っていたジンだが、青年はその予想に反しあまりにもあっけなく視線を七聖に戻した。


「おっと失礼、お客様を玄関に立たせたままだったね。客間を用意してあるから、案内するよ。君!人数分のお茶とお茶請けを、この家で一番良いものをよろしく頼むよ」


近くにいた使用人に声を掛け指示を出す青年。使用人から「かしこまりました」と返事をされると三人を先導して客間への案内人を務める。その足取りは軽やかに弾んでいて青年の心の中が手に取るように分かる七聖は、張り切って先頭を歩く青年の少し後ろを付いていく。達也にいたっては目の前に広がる豪華な内装に恐怖にも似た感情を抱え動けなくなっていた。


「これは......ユメ?」


「...現実だ...」


さっぱりとしたジンからの返事をきっかけに、達也は生まれたての小鹿の如くよたよたと何とか足を進ませ、先に行ってしまった大人二人の後についていく。ジンは屋敷の中を冷たい瞳で威嚇するようにぐるりと見回し、達也の隣に並んで広く長い廊下を歩いていく。








「七聖とは久しぶりだけど君たちとは初めましてだもんね。改めて挨拶をしようか。まずは僕から!遊間満(あすまみちる)30歳、独身のおとめ座。好きな言葉は片栗粉、嫌いなものは辛い物。よろしくね」


「なげえよ。地下アイドルかよ鬱陶しい」


「はい!僕は、押江達也です。よろしくします!」


「うん、よろしくしてちょ~だい」


半分以上無駄な情報を提供してきた満に呆れる七聖は、先ほど運ばれてきたお茶請けにしては豪華な菓子や紅茶に口をつけた。会って数分、知って数秒にも関わらず子犬のように懐いてくる達也に満は顔を綻ばせている。そして、こんなにも純粋な目を持つ人間がトガラにもいることを嬉しくも思っていた。


「押江先生から聞いてはいたけど、本当にいい子だね。それから、君の名前も聞いていいかな?」


「...ジンだ」


「ジン。そう警戒しなくともいい。こいつはどっちでもねぇ」


「...」


どちらでもない。翠禪でも緋川でも。それなのに己に手を貸してくれるというのだから警戒をしているのだと、ジンの口から発せられることはないが顔にはしっかり出ている。無表情は変わらずとも、七聖の五感で感じ取れる感情だった。


「安心して...って、僕に言われてもできないと思うけど。君に悪意を持って接することはしないと誓うよ。それに、七聖にはたくさん積んでもらったから、隅々まで大事にするつもりだよ」


「...分かった」


スラッと長い人差し指と親指で輪っかを作りにんまりと笑う満に七聖が言っていた「変態」の片鱗がうかがえる。いったい満はいくら積まれたのだろうか、七聖の表情から察するに...達也が知ったら泡を吹いてしまうほどの額だろうか。


「それで、僕は君に何をしてあげればいいのかな??七聖から詳しくは君に聞けって言われててね、話してくれる?」


「あぁ」


それから、己がなぜ満に手を借りるに至ったのかをジンは簡潔に話した。昨日の七聖の口ぶりから、できるだけ達也の耳に入っても害のなさそうなことを掻い摘みながら。


それでもジンに無償で信頼を向けていた達也には初耳のことが多かった。


「そんなことが...。ジン君が緋川グループのクラッチ...。僕てっきり、ジン君は盗んだバイクで走りだしがちな家出少年だと思っていたよ」


「...」


そんなわけないだろうと突っ込むのは心の中で済ませて七聖は満に問う。


「爺さんが言うことには、無闇に外そうとすればこいつの頸が飛ぶかもしれないらしい。お前に、できるか」


「うーむ。翠禪が絡んでると来たか...。取り合えずちょっと診せてもらうよ」


満は座っていた自分の席を立ちジンの傍に近いた。ジンが頷いたことを確認しジンの首輪にそっと軽く触れる。初めて見る物体に鋭い視線を向ける満はあることに気づいた。


「これは...」


「......?...」


妙に深刻な顔をした満にジンは首を傾げる。何かに気づいたようだが、一向にそれを語ろうとしない満に三人の視線がジッと集まっていく。何かを考えているのか、それともまずいことでもあったのか。顔を俯かせて動かない満に、達也は不安に襲われ思わず立ち上がる。


「な、何かまずいことでもあるんですか遊間さん!!...ジン君は、ジン君は無事なんですよね!」


「ここにいるだろ」


ボケているのか本気なのか、いまいち分からない達也の発言に七聖の的確な突っ込みが下される。


すると、突然満の様子が変わった。


「君は!...。君は最高だよ!」


「...?」


「この首輪、無理に外そうとしなくとも君の脈拍が検知できなくなったら、吹っ飛ぶ仕組みになってるんだよ!つまるところ、君の中にある何かを緋川はなんとしても隠そうとしている!そして、それに翠禪も気付いているだろうね」


「そんなぁ...。じゃあ、取っちゃだめってことですか?」


ジンの身体から離れた瞬間に爆発。外したいのに、外そうとすること自体が間違っていると言われているようで、怖くなった達也はジンの方を見ながら満に問う。当の本人である自分より、昨日知り合ったばかりの達也の方が、真剣に話を受け止めていることにいささか疑問を抱くが、首輪を外せないことは困るのでジンも達也にならって満を見る。


「ふっふっふ。僕を誰だとお思いだい達也君?この程度のプログラムで足を取られては【薔薇の機械卿】の名が廃る。それに七聖には随分と積んでもらったと言ったろ?報酬分の働きはさせていただくつもりだよ」


「薔薇の機械卿?お前についた名にしては随分とチープだな」


「そうかい?僕は気に入ってるよ。君もすぐに気に入るさ」


「そうかよ」


揶揄ってやろうと思って発言したのに軽く受け流されてしまった七聖は、面白くなさそうに返事をした。そんなこととは露知らず、満の顔は好奇心と自信で満ちている。早速携帯でどこかへ連絡をしたと思えば、数分後扉をコンコンとたたく音がした。


「満さん、ただいまお持ちいたしました」


「お、さっそく来たね。入っておいで」


「失礼します」という花弁のような柔らかい声とともに扉が開かれる。そこには、女性の使用人に車いすを押されながら部屋に入ってくる少年。足元には、少年の傍をゆっくりと動く台座が三つあり、その台座の上にはそれぞれPCやらなにやら満にしか扱い方が分からないであろう物がどっしりと腰を据えている。


「仰っていた物に加えて、満さんの机の上で暇をしていた物たちも連れてきました。これで良かったですか?」


少年は、青い瞳を満に向け返答を待つ。


「さすがは安住君、僕のことを良く分かってる。あ!紹介するよ。この子は安住悠斗(あすみはると)君、この屋敷で預かってるんだ」


安住悠斗と紹介された少年は、上半身を前に傾け三人へお辞儀をした。その姿には上流階級の御曹司のような気品が溢れ出している。少女のような可愛らしさや綺麗に整った容姿には似合わない黒い車いすのタイヤがゆっくりと回り出す。


「皆さんが、満さんのお客様ですね。初めまして、安住悠斗です。満さんのもとで居候させていただいております。どうぞよろしく」


「預かってる?」


「知人の弟君なんだ。あ、敏子さんは戻ってくれて構わないよ、ありがとね」


七聖の声に応えながらチャキチャキと準備を始めていく満は、悠斗の後ろについていた使用人に声を掛ける。一つお辞儀をして部屋を後にした使用人を見送った。


「この首輪は多分だけど、一の区にある翠禪のルーマで研究員として働いている和久井研究員の物だろうね。名前に覚えはあるかい?」


「ない」


ジンは即答した。そもそもルーマでは研究員の名前など覚えたところで意味はなく使いどころもない。研究員の間では、被験者であるクラッチを自分たちと同じ人として対等な関係を築いてはいけないという暗黙の掟も存在している。ジンは自分がルーマで過ごした期間を思い出そうとすることもなく無表情で答えたのだ。


「あれ?でも...」


「そう。ジン君のいたルーマは五洋商事のパトロンである翠禪じゃなくて、緋川グループが五の区で秘密裏に建てたものだった。翠禪の人間が、敵対しているグループに関わろうとするなんておかしな話なんだよね。それに、関係あるかはまだ分からないけど二週間ぐらい前から彼にチャットを送っても既読されないどころか彼のPCにも届いていないようなんだ。不思議だろ?」


ジンが生活していたルーマが、翠禪に雇われた傭兵により襲撃されたのは二週間前。そして、ジンを縛る首輪を作ったと思われる和久井研究員と満のチャットから、和久井研究員のレスポンスがなくなったのも同じ時期。関係ないと言い切れるほど単純な話ではないだろう。しかし、七聖には素直に納得できず、引っかかる部分があった。


「なぜ、その首輪を作ったのが和久井って奴だと分かる」


自分に聞いているのだと理解した満は準備をしていた手を止め、七聖の方へとゆっくり顔を向ける。


「彼は、自分の作品には必ずサインを残すんだよね。画家みたいで笑えるでしょ?それを知ってるのは彼と親しい仲の人間だけ。間違いはないよ」


「さあ、始めようか」と手を一度叩き、作業を始めだした満の顔は何でもないような、しかし水に濡れることを諦めた紫陽花のような憂いの香る顔をしていた。首元で忙しなく、もぞもぞと蠢く満の手が肌触りの悪いタオルで首を掠められているように感じ不快な気分に溺れているジン。無意識に首を竦めようとする。すると、近くに寄ってきた悠斗に手で顔を固定され拒まれてしまった。今まで見たこともない機械から出てきた青いコードを首輪とパソコンに繋ぎ、キーボードを素早くカタカタと打つ満のタイピング音が静かな空気を切りつけていく。


「その和久井さんって人は、遊間さんとお友達なんですか?」


「満さんと和久井さんは、数年前にアジムで執り行われた第76回アマチュア研究発表会でお知合いになられてから、少なくともひと月に一度は必ず長通話をなさるほど親しい間柄なのですよ」


パソコンの画面に意識を集中させているせいで達也の質問に気づいていない満に変って悠斗が詳しく話し始める。四の区では商業が盛んなためトガラとアジムの行き来はそう珍しいことではない。それは、商人ではない一般の人間も例外ではなく自分の戸籍やIDを証明できれば行き来は可能なのだ。


「あの出不精な満が、外に出たのか?はぁ~珍しいこともあるもんだな」


「最近はめっきり外出なさっていませんけど、私がこのお屋敷でお世話になり始めた時は頻繁に外出されてましたよ。えっと...」


「伏見だ」


「伏見さんですね」


「あ、僕は押江達也です。ね、年齢とか聞いてもいいですか?」


「十七歳です」


「あ!同い年だ!嬉しい!」


ここに来たばかりの緊張した表情は解けたようで、今は達也の人懐っこい笑顔がきらきらと輝いている。


達也のあまりにド直球な感情表現に、達也の性格がよく表れている。達也と悠斗に挟まれながら会話をされているジンは、さっさと終わってほしいと願いながら目を閉じてその時を待つ。

















「まあ、そんな簡単に彼らをお迎えできるわけないよネ」


中堅社員の新井さくらにとって今回の事の顛末は容易に想像できることだった。


「そもそも、彼を保護できなかったのは僕たちの責任ではないというのに、会長は相変わらずノーと言えないお人柄で...」


「っははは!仕方がないサ。太一君だってお偉い方からのプレッシャーやクレームに怯えながら日々業務に勤しまなければいけないんだからネ。判断が上手くいかない時だってあるサ」


「はぁ。まったく」


畏まったスーツを格好よく身に纏う男二人は、要件がある目的の階数へとエレベーターで向かっている。信頼を寄せる上司への愚痴ともとれる会話に一端の区切りを付け、上へ上へと上昇していくエレベーター内で一面だけ設けられているガラス張りから外の景観を見下すように眺めるのは、右耳のピアスがトレードマークと化している佐藤心鳥(さとうことり)。心鳥にとってさくらは直々の上司ではないものの、仕事のできる先輩として一定の信頼と尊敬の念は持っている。


「我々の提案に会長が首を縦に振るとは思えませんが...先輩は何か策をお持ちででいらっしゃいますか」


さくらに尋ねる。


「ん~。お持ちではいらっしゃらないけど、何とかしないとだよネ。でも、このまま翠禪の愚行を許していてはいけないってことぐらい太一君も気づいている、きっかけづくりにでもなればこっちのものだヨ」


「そうであればいいですけど」


溜め息をつくようにさくらの発言に反応する心鳥。仕事の相談をしているとエレベーターのスピードがゆっくりになり到着を知らせるアナウンスが鳴る。


「まぁ、気楽にいこう。なるようにしかならないんだからサ」


「はあ。分かりました」


貴方は気楽すぎるのでは。とつい吐いてしまいそうな口を意識して閉じ、先を行くさくらの背を追う心鳥の顔は真剣な表情に変わった。




















キーボードを打つ音がはたと止まり、ノートパソコンの画面と睨み合いをしていた満が顔を上げる。


「さ、さすがにこの僕でも骨が折れたよ...。和久井君のプログラムはネチネチしてて好きじゃないんだけど。これで外しても大丈夫になったよ」


満の爛爛とした目に気づかないふりをしたジンは、ゆっくりと首輪に手を掛ける。首輪を掴んだ両手に意識を集中させ力を籠めると、首輪からミシミシと荒々しい音が鳴りだし瞬く間に千切れた。解放されたジンの首には薄っすらと跡が残っているが自分の首を自分で見れないジンには分からない。


「やったね、ジン君!」


「千切ったんですか!?...正気ですか?化け物ですか?」


達也は首輪が取れたことに喜びを見せるが、そんなことより千切られた首輪に驚く悠斗。


「もしかして、ジン君て...脳筋?」


七聖に聞く満。


「俺に聞くな」


あまり自分から発言したがらないジンのことを大人しい子だと思っていた満には、ジンの手中にある首輪だったものの現状が衝撃を受けていた。その華奢な体のどこに強力を持ち合わせているのかずいぶんと不思議なものだが。


「満さん、道具の片づけは私が引き受けますので、皆さんのおもてなしを続けてください」


「え、いいよ。敏子さんに頼むから。君だってもっと達也君たちと仲を深めたいだろう?せっかくなんだからさ」


「でも...」


悠斗が自分で車いすを動かそうとする前に携帯端末を操作して使用人を呼ぶ満。満ほどの金持ちになれば、ベルで使用人を呼ぶことはしない。屋敷はスマート化されている。もう、どうしようもないくらい金持ちだ。


使用人と動く台座たちが何だかよく分からない機械たちを次々に運び出していく。その様子を腕を組み流し眼で見ていた七聖は、ズボンのポケットが振動していることに気づいた。


「ん?...爺さんか」


バイブレーションしていたスマホの画面を確認すれば【爺さん】の字が浮かんでいた。ジンは応答のマークを指で押し電話に出る。


「何の用だ...」


「...」


「おい、爺さん...っ、何があった!」


電話を掛けてきたのにもかかわらず一向に要件を言わない辰彦に、ただならない予感がふと頭をよぎった。焦ったように声を上げた七聖に、談笑をしていた達也たちの視線が一瞬にして集まる。


『七聖!』


「爺さん!」


『よく聞け!いま、八の区で七の区の奴らが暴れまくっておる!理由はよく分からんが投石やら手榴弾やらでドンパチが起こっておる!』


「八の区でドンパチだ?」


辰彦がいったい何を言っているのかを脳内で処理されるまで理解ができなかった七聖だが、スピーカーから聞こえる人々の騒々しい声が遠くにしかしはっきりと聞こえてきたとき、八の区の現状がどんな状態なのかを理解できた。


『警備隊の奴らも突然のことに腰を抜かしてほとんどが使い物にならんし、わしも負傷した区民の手当てで暴れ馬どもの対処がしきれん!」


「すぐに行く!」


『いや、無理だな。下の交通網はあいつらが占拠しておる!どうやら本気で八の区を潰しに来ておるみたいだ。そこで、頼みがあるんだ!」


「何だ」


『そこに、遊間の倅は居るか?』


「満か?いるぞ。おい」


突然自分の名前を呼ばれた満は七聖に呼ばれ、なんだなんだと近くに寄って行く。


「スピーカーにするぞ」


「はいはい、呼ばれて飛び出る遊間の倅で―す!大先生がいったい僕に何の御用がおありで?」


どこかの大魔王みたいな喋り方を始めた満。その様子を見つめる達也は、お金持ちの人はみんなこんな感じなのかもしれないと思い始めていたのをジンだけが察知していた。


『満か!お前さんに頼みがあるんだが』


「何?」


『八の区の安全装置をハッキングして作動させてくれんか』


「いいよ。でもなんで?」


ハッキングできることを前提に話す辰彦に案外あっさりOKをだす満。しかしトガラ内で区ごとに設けられているセーフティ(安全装置)は作動させても碌な働きをしないことで有名だったのだ。区民を守るためにシャッターのようなものがガラガラ地面から出てくるだけで、SF作品みたいにガシャンガシャンとカッコよく動いたりしない。どちらかというと、胡坐をかいていたおじいちゃんがトイレに行きたくて、立ち上がる時にする「よっこらせ」のあの感じによく似た速度でガチで貧弱なのである。


『あれを動かせばトガラの上の連中に信号が行くようになっておる。まぁそれにアイツらが応えるかは分からんが。とにかく、ないよりましだろうて!」


「ふーん...。高くつくけど」


『はっ!いくらでも積んでやるわい!」


「ガッテン!40秒で片付ける!」


途端に駆け足で客間を出ていく満。ハッキングに必要なコンピューターは自室にしかない為、何十段もある階段を目にもとまらぬ速さで駆け上がっていく。素早く起動させたパソコンで八の区の監視官司令塔、通称カンカン塔のセーフティをハッキングしていく。久々の心躍る展開に満の瞳孔が大きくなっていく。そんな中、客間では


「爺ちゃん!大丈夫なの?!ドンパチって!」


唯一の親族が危険な状態だと知って気が気じゃない達也は、七聖の持つスマホに顔を激突させる勢いで辰彦の安否を確認する。


「達也か!大丈夫かは分からんが、わしは平気だ。寺子屋の奴らも皆逃げたそうだ」


「そ、そっか...でも」


今日は日曜日。外出する人間が平日の倍ほどになる日。わざわざそんな日に暴動を起こすなんて常人の所業ではない。しかし四の区に行くために訪れた七の区では、区民が暴動を起こすような様子はなかった、そもそも人がほとんどいなかった。


『すまんが、患者が来た。切るぞ!』


「あぁ。すぐに行く。くたばるなよ」


八の区から四の区に来るまでに4時間かかったのに、どうやってすぐに行くのか。そんな分かり切っていることは誰も言わない。通話が切れて画面が真っ暗になったスマホをまたズボンのポケットにしまう。


「あの...ちょっとよろしいでしょうか」


そう声を上げたのは悠斗だった。気まずそうな表情をしながらあたりを落ち着きなく見回している。


「なんだ」













「さっきから、ジンさんの姿が見当たらないんですけど......」














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