第4話悪いのは、俺?か

 会社の相談室に呼ばれ、目の前には上司高遠。前の席に腰掛けて深呼吸する。

「で、どうしたの?」

「いえ、別に」

「別にって顔じゃないでしょう。最近仕事も慣れてきて皆ともうまくやってる感じだったのに、やっぱり無理させすぎてたかな」

「そんなんじゃないです。ごく個人的なことで。すみません」

「前にも言ったけど、河野君は怒りのコントロールをもう少しうまくできたら良いように思う」

「はい」

「で、何があったの?」

「いや、高遠さん聞いてました?個人的なことで、仕事には一切関係ないんで」

「そうは言っても河野君の機嫌が悪くて空気を乱すと、長の僕が怒られるからなあ」

 さすが高遠、人の懐に入り込むのがうまい。ついこの男になら話してしまっても良いのかな、と思わせる度量がある。

「高遠さんは奥さんと喧嘩したりします?」

「え?」

 高遠は予想の域を越えた質問だったのか、 呆けた顔をした。それから全てを理解したかのように大きく頷くと詮索はせずに

「あるよ、そりゃ。十年も一緒にいるとね」

「十年」

「うん。一方的に無視されたり、当たられたりもある」

「そういうときはどうしはるんですか」

「特に何もしない」

「一方的に当てられて?」

「うん」

「どんだけ度量があるんですか。男前すぎるでしょ」

 高遠は豪快に笑い声を立てた。

「だって言い合いになったりしてもかえって面倒なことになるからね」

「何やあまり聞きたない話ですね」

「一応話は聞くよ。どうして怒ってるのか」

「でも相手が無視してきたら聞きたくても聞かれへんやないですか」

「うん、それは話しやすい雰囲気を作る」

「話しやすい雰囲気?」

「うん、でもそれは自分で考えないとね。ま、仕事量の問題が私生活に悪影響を与えてるなら教えてよ。とにかく職場ではあまり私情をはさんだ苛立ちを表に出さないようにね」

「はい、すみませんでした。でも仕事のことは本当大丈夫なんで」

「うん、分かった」

 高遠は先に出ていく。

(話しやすい雰囲気、ね)

 まるで果てしのない謎かけみたいだ。


 最近できた友人、山脇耕司に電話を掛けると

「それは河野が悪い」

 と切って捨てられた。

「二人が付き合ってるのは他の人は知ってるの?」

「知るわけないやん」

「だったらなおさら。それだけ噂になってるってことは、小夜子ちゃんは、河野がその女の子に告白されたことを知ってるわけだろ。その相手の面倒をみろっていうのはいくらなんでもひどすぎだろ」

「せやかて俺はあいつ以外の奴と付き合うたりなんかせえへんし」

「その女子高生にはなんて答えたの?」

「それは、答える前に相手が倒れたから」

「はっきり断ってないんだろ」

「しゃあないやん。会議前やったし」

「じゃあ、河野が同じ立場だったらどうなの。小夜子ちゃんが男子高校生に告白されてて、断る前に、その男が気絶して、その面倒をみるっていうのは。平気でできるわけ?小夜子は俺以外の男には見向きもするわけないって?相当な自信家だな」

「お前俺に喧嘩売ってんのか。それに勝手にあいつのことを呼び捨てにすなよ」

 確かにそんな場面考えただけで虫酸が走る。とはいえ、自分の過去の重荷から考えれば、おそらくここだけは私情を棄てて面倒みるかもしれないが、そんなことを出来立てほやほやの友人に言うわけにもいかない。いつかは、耕司にならば、小夜子しか知りえない過去をも話してしまえるかもしれない。そしてそれはそう遠くない日であろう。

 だが自分を罵倒する相手に、今そんな心情を吐露するのはやめておいた。

「俺が例え話で呼び捨てにするのにさえ焼き餅焼くのに、呆れたな。全く河野は女の子の気持ちに鈍感すぎるよ」

 恋愛経験のないわりに恋愛小説を書いているお前に言われたくない、とは思ったが、敢えてここは伏せておく。

「とにかく謝れよ。相手が何で怒ってるのかも分からずに謝るほうが、かえって怒らせるぞ」

「分かったよ」

「耕司」

「ん?」

「お前に相談してやっぱ良かったわ」

 携帯電話の向こうから笑い声が聞こえた。

「それにしても小夜子ちゃんは不憫だな。河野みたいに焼き餅焼きで、自分勝手で、それでいて」

 前言撤回。

 河野は通話ボタンを押して会話を強制終了した。




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