黒衣の女が立ち上がったのは、短刀の完成とほぼ同時だった。

 そろそろ頃合いだろう。

 ああ。調子はどうだ?

 問題ない。それより改めて確認しておきたいんだが、わたしはあの男を殺すつもりだ。構わないな?

 好きにしたらいい。

 おまえはどうするつもりなんだ。

 わからない。あいつの顔を見てから決めるつもりだ。

 そうか。好きにするがいいさ。

 その後、おれたちは無言で歩き続けた。相変わらず生き物の気配はない。ふたりと一匹の足音だけが、果てしない手掘りの坑道にむなしく谺する。心臓の拍動する音がいやに大きく感じられた。

 この頃から、おれは黒衣の女から二十フィートほど距離を取って歩きはじめた。言うまでもなく、女の不意打ちを警戒してのことだ。いまだ彼女の実力を測りかねていたし、なにより二対一では分が悪い。

 空腹で臓腑がきしみはじめた頃、前方――緩い曲がり角の先で重く鈍い衝撃音が鳴り響いた。一拍遅れて、先行していた女の絶叫が続く。思わず背筋が凍りつくような、痛々しい咆哮だった。

 最悪の事態を想定し、壁に体を沿わせるようにしてそっと曲がり角を覗きこむ。暗然たる小径の半ばで、黒衣の女が呆然とした様子で立ち尽くしていた。足元には大蜥蜴と思しき涅色の物体がうずくまっている。

 大蜥蜴には首がなかった。鋭利な刃物ですっぱりと切断された傷口から鮮血が迸るさまを、体から三フィートあまり離れた場所に転がった頭部が無機質な瞳で眺めている。地面には天井から降ってきたと思しき巨大な鉈が突き刺さっている。罠だ。

 おれは内心でほくそ笑んだ。これほど愉快な気分になったのは久しぶりだ。これはただの罠じゃない。あいつが好んで用いていたものだ。おれは確信した。あいつはすぐそこにいる。目と鼻の先に。

 地面から鉈を抜き取りながら、黒衣の女に声をかける。残念だったな。

 女の返答を待たずに、おれは手に取った鉈を彼女の首筋に打ちつけた。視力を失った時点で最期を悟っていたのだろう、女は抵抗する素振りさえ見せずに致命傷を受け入れた。この瞬間、おれは黒衣の女に対してわずかながら愛情に近い気持ちを抱いた。

 鉈は手入れが行き届いていた。身体から切り離された頭部が重い音を立ててごろごろと転がっていく。驚いたことに、女の首から下は絶命してもなお直立した姿勢を保ったままだった。噴出した血潮が隧道の天井にぶつかり、さながら散水装置の様相を呈している。

 おれは血を避けながら、女の生首に近づき手に取った。

 そうして、しようと決めていたことをした。

 それは最高だった。あいつを失って以降、初めて達することができた。

 それは最高だった。おれは二度達した。つまり、ひとつの穴につき一回ずつだ。

 それは最高だった。歓喜に打ち震えながら、おれは女の生首に口づけをした。

 彼女は泣いて悦んでいた。

 その涙は白く濁っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る