三
はじめにおれたちは互いが持っている情報を細かく突き合せた。あいつがこの忌まわしい隧道に潜んでいるのは間違いない。生きているかどうかは別として。
問題はここがあまりに広大だということだ。この複雑きわまりない寥廓たる迷宮において、生きているか死んでいるかもわからない男を見つけ出すことは至難の業だろう。しかし、おれにはひとつの光明があった。痼疾ともいえるあいつの蒐集癖だ。
あいつは蒐集物のすべてを置き去りにして姿を消した。だからといって蒐集をやめたとは限らない。いや、やめられるわけがない。この隧道のどこかにあいつの塒があるはずだ。悍ましい蒐集物に埋め尽くされた、冒涜の書斎が。ここがたとえ無辺際だろうと、人間が定住できる場所はそう多くない。そのどこかに、あいつはいる。
そこまでわかっていながら、なにを途方に暮れることがある。女の疑問はもっともだ。おれは正直に、深い階層へ潜る道筋を見失ったことを告白した。
そんなことか。わたしに任せておけ。そう言って女が舌打ちをすると、大蜥蜴はのそのそと歩きはじめた。岐路に差し掛かるたびに先端の分かれた舌を頻繁に出し入れしながら、躊躇うことなく隧道の奥へと進んでいく。
程なくして、下の階層へと続く石造りの階段にたどり着いた。踏面に生えた地衣類の様子から、最後に何者かが通行してからさほど期間を経ていないことが窺える。見間違えようのないヒトの足跡だ。
おれは階段の中ほどで跪き、踏面の足跡に顔を近づけた。不意に鼓動が高まる。判別可能な足跡は三種類――そのうちのひとつに、あいつの足跡があった。
その旨を伝えると、女は無表情に言った。何故わかる。
おれが贈った、人間と馬の革を組み合わせた手製の長靴だ。
間違いないんだな。
あいつに誓って。
女の顔に歓喜とも憤怒ともつかない表情が浮かぶ。彼女は大蜥蜴の眼であいつの足跡をつぶさに観察すると、ゆっくりと階段をくだっていった。その背中には哄笑が張りついているように見えた。
二昼夜歩き続けたところで、足跡を見失った。道は続いているにもかかわらず、あいつの痕跡だけがぷつりと途切れていた。立ち止まり、同道の女と顔を見合わせる。
隠し扉か。
おそらく。
探せるか。
おれは首を振った。残念だが。
女が歯を軋らせ、吐き捨てるように呟く。くそ忌々しい迷宮め。
片手で短刀を弄びながら思案していると、怯えた様子で辺りを窺う連れの姿が目についた。こいつはいつだっておれの気に障る。妙案が浮かんだ。おれには無理でも、こいつなら探し出せるかもしれない。
おい。低く呼ばわると、連れはびくりと体を震わせて上目遣いでおれの顔を覗きこんだ。探し出せ。できなければ殺す。
脅しではないと悟ったのだろう。連れは血眼で周囲の壁を探りはじめた。
連れの推測は当たっていた。おれは本気でこいつを殺すつもりでいる。これといった理由はない。あいつを追う手掛かりがなくなった腹いせだ。
連れは今にも泣きだしそうな顔で、死に物狂いの様子で隠し扉の手がかりを探りまわっている。横目で黒衣の女を見やると、彼女の口の端に歪んだ笑みが張りついているのがわかった。おれは確信した。こいつも同類に違いない。人間の屑だ。
時間切れだ。そう告げると、連れは必死の形相でおれの左脚にしがみついてきた。嫌だ、まだ死にたくないよ。
薄汚れた手で触りやがって。怒りに任せて振りほどく。連れは体勢を崩し、苔むした石壁に後頭部をしたたか打ちつけた。
悲鳴をあげてうずくまる連れにとどめを刺すべく詰め寄ったとき、背後の壁面にぼんやりと浮かぶ一筋のか細い光を認めた。おれは連れの鳩尾を爪先で蹴り上げてから、光の筋にそっと手を触れた。指の腹に、一分の幅にも満たない溝の感触が伝わる。傴僂のように背を丸めて床に這いつくばっている連れの手から松明をひったくり、壁に近づける。その溝は床からおれの肩ほどの高さまでまっすぐに伸びていた。
高鳴る鼓動を押し殺し、壁に半身を押し当てる。意を決して全体重を預けると、耳障りな擦過音と共にゆっくりと隠し扉が開いた。強烈な饐えた臭いが、隧道に立ちこめる悪臭で鈍麻した嗅覚を刺激する。
命拾いしたな。そう声をかけると、地面に顔を伏せたままの連れの体が激しく震えだした。
歔欷していると思しき連れを踏みつけるようにして、大蜥蜴が隠し扉の先を覗きこむ。黒衣の女が声にならない哄笑をあげた。
ぐずぐずするな。おれは過ぎざまに連れの脇腹に蹴りを入れ、女の後に続いて扉をくぐり抜けた。
あいつの痕跡は隠し扉の先まで続いていた。消えかけた足跡をひたすらにたどり、おれたちは隧道の奥深くへと進んでいく。
この先に何が待ち受けているのか。考えるまでもない――地獄のほかに何がある?
あいつに会えようと会えなかろうと、そこにあるのは地獄だけだ。おれにはそれがわかっている。もちろん、黒衣の女も承知の上だろう。
連れはどうだ? 訊ねるまでもない。あいつはひとあし先に地獄へ堕ちている。おれとの道程こそ、連れにとっての地獄に他ならないのだから。
ああ、認めよう。あいつがおれを愛したように、おれも連れを愛している。あいつがおれにとっての地獄であるように、おれは連れにとっての地獄であろう。
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