第5話
「チャーさん! アイツが犯人ですよ、真っ黒ですよホシですよ間違いなくヤッてますよ!」
「言葉遣い!」
つい先程まで高津久恵が犯人だと口角泡を飛ばしていた蜜柑が、今度は大室拓馬こそが犯人だと興奮しきりに
直感のみで犯人を云々という再度の説教を受ける蜜柑のふくれっ面にも既視感を感じながら、しかし荼もその直感を認めていた。
◆ ◆ ◆
スナック「セピア」を出た荼と蜜柑が次に向かったのは、ホテルの立ち並ぶ一帯から二十分ほど走った先にあるダイビングショップだった。
捜査資料に記載があった訳でもなく、
十五台は停められそうな駐車場には、潮風のせいでところどころ塗装の剥がれたフォルクスワーゲンのミニバンがポツンとあり、岩壁に面した国道の脇の広い歩道を、幾人かの観光客が歩き過ぎて行く。
廃業したドライブインを改装したのだろう、長年の風雨に晒されたトタン外壁の白ペンキは劣化して粉をふいたようになり、以前はブルーだった屋根は白化している。入口の両開きのガラス戸の上には、そこだけが新しく「ダイビングショップ・オオムロ」というハワイ風の看板が掛かっていた。
ここでは警察と名乗らないようにと言い含めて、荼が扉を開くと、店内から漏れ出した冷気に蜜柑が「ひゃお」と奇声をあげる。来客を告げる電子音のチャイムが鳴ったが、誰も出てくる様子は無い。
これもドライブインの頃のものをそのまま使った棚には、パソコンで手作りしたような「ダイビング体験」のパンフレットともチラシともつかない紙束が乱雑に積まれている。モルタルにペンキを
荼がハンガーに掛かったウェットスーツを摘んで裏表を確かめている。相棒の意図が掴めない蜜柑が首を傾げて、その荼の前と後ろを覗き込む。
そうしていると、店の奥にあるトイレから水の流れる音が聞こえ、そこから出てきたアロハシャツとハーフパンツ姿の男がこのショップのオーナーの大室拓馬だった。
「あれ、お客様さん?」
無精ひげの目立つ顔はこんがりと日に焼け、上背は荼より低いが体の厚みは二割増で、半袖から覗く腕にはかなりの筋肉がついている。愛想笑いをするでもなく不審そうにしているのは、スーツ姿の荼と蜜柑が客かどうか分からないという以前に、客商売に向いていないように見えた。
「友人が遊びに来るときにダイビングをしたいと言うので。あなたがインストラクターですか?」
「ああ、そういう……」
「来月の初旬になると思うのですが、予約は空いていますか?」
「まあ……ガラガラだよ、ウチは」
荼の話は無論ウソだが、偽りにせよ予約客を名乗る者を相手に、大室はそれでも愛想笑いひとつしなかった。
カウンターの上にある開きっぱなしのキャンパスノートに記入された今月のダイビング体験の予約はほんの数件で、ページを捲った翌月分は白紙だった。
「とは言えね、もう今シーズンは終わりだよ。来月になって潜ってもねぇ」
「オススメではない?」
「ハッキリ言って、そうだね」
店はお世辞にも流行っているようには見えず、また本人も金回りが良いようには見えない。にも関わらず客を遠ざけるような大室の物言いを聞いて、荼は話の方向を変えてみた。
「店長さんみたいな方は、オフシーズンにはどんな事をされているんですか?」
「ああ、近所の漁協に許可を貰ってね、貝やなんかを捕って売ってるんだよ」
これが案外身入りが良くて、今はそちらの方が本業のようなものだと、茶髪の男はここでようやく苦笑いを見せた。ホテルや旅館はもちろん、飲食店でもサザエやハマグリ、アワビなどの食材は、人気の割にそれを捕る人手が少ないから高く売れるのだという。
「正直なところね、素人に一から十まで教えて安全にまで気を配りながら水中散歩をさせるより、そっちの方が気楽でさ」
「ああ、それは確かにそうでしょうね」
開き直りや露悪とも取れる言い分に理解を示されると、重かった大室の口が途端に回り始める。
人に使われるのが性に合わない大室は、親戚がやっていた流行らないドライブインをそのまま貰い受けて、趣味だったダイビングを商売にした。海のある観光地ならではの客を見込んでの事だった。
しかしこの付近は、南国の海とは異なってサンゴも無ければきらびやかな熱帯魚もおらず、あるのはゴツゴツとした黒い岩場と急な流れ、そして泳いでいるのは食えば美味いが見栄えのしない魚の群れだけだ。
設備や装備に掛ける金もなく、接客もサービスも知らず、フレンドリーと思うのは本人のみで、馴れ馴れしいだけが取り柄の男が切り盛りするダイビングショップにリピーターはつかず、客はすべて大手ホテルが付加サービスで立ち上げたダイビングスクールに持っていかれた。
自分の失敗を面白おかしく話しながら、カウンターに肘をついた大室自身が一番笑っている。その卑屈と自虐を荼はうんうんと頷きながら、蜜柑は死んだ魚のような目をしながら聴いていた。
◆ ◆ ◆
「チャーさん! あの大室ってヒト、絶対何かありますよ!」
大室の愚痴とも身の上話ともつかない話をひとしきり聴かされたふたりは、ダイビングショップを出て再び国道を走っている。車内の時計はまだ昼の三時を回ったばかりだが、今日の捜査を終了して署に戻ろうとする荼に、蜜柑が必死の抵抗を見せていた。
「その何かというのは?」
「それは、その……」
署に戻ってしまえば、待っているのは新人刑事ならではの雑用しかない。喉が渇いたからどこかへ寄ろうとか、もう一度現場付近を見てみようなどと蜜柑が提案してくるのは、単にそれが嫌なだけだろう。そう思っている荼は、D市の中心へ向かってハンドルを切る。
「さっきのスナックですよ。あんな儲かって無さそうなヒトが、あんな高いお酒をキープしますかね?」
蜜柑が持ち出したのはスナック「セピア」の事だった。あの安酒の並ぶボトルキープの棚にあった高級ブランデーは二本。その片方には「近藤」と書かれ、もう片方は「オオムロ」のプレートが確かに下がっていた。
「しかもビンは一番手前にあって、中身はそれほど減っていませんでした。これって、あのボトルが入ったのはつい最近という事ですよね。あの高津久恵と大室拓馬には、何か関係があると思います」
ナビシートの蜜柑が振るう熱弁を聴きながら荼は思う。証拠としては弱い。近藤の場合もそうだが、あのボトルがあの大室の物とは限らないし、ボトルが最近の物というのも二本目三本目だからという可能性もある。
しかしそう考えれば、実にこちらに都合よく話が繋がるというのも事実だった。そして何より、自身の勘もそれを認めている。
「分かった。その線でもう少しふたりの関係を洗ってみよう」
荼が捜査の続行を決めると、シートに身体をドスンと沈めて満足そうにした蜜柑は「ところであたし、喉が乾いてます」と笑った。
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