第4話

「チャーさん、もうあの女性ヒトが犯人でしょう。ねえチャーさん!」

「決めつけるには早過ぎる」


 午後の陽光の下を走るアルファロメオのナビシートで興奮している蜜柑を、にがなどうどう・・・・なだめている。刑事たるもの、直感だけで捜査を行う事は厳禁だなどと子供にでも分かるような説教を受けて、若い女刑事はこれ見よがしのふくれっ面になった。

 しかしそうは言いながらも、ついさきほど面会した女性が有力な容疑者であることは、荼も認めざるを得ない。


 捜査一課の戸張とばりがそうであるのと同じかそれ以上に、現場を任される韮崎にらさきにも、各方面から相当のプレッシャーが掛かっているのは想像するに難くない。

 仮にそうでないとしても、捜査に協力したいと強く思えば思うほど「もしかしたら役立つかも」という気持ちから出る憶測混じりの情報は往々にして確度が低く、捜査上の雑音ノイズになる事もある。


 だから、決して人付き合いが良くなかった被害者が良く通ったというスナックの話を、荼はそれほど重視していなかった。

 だが、結論から言って韮崎にらさきがもたらした情報は、捜査の進展に極めて有用なものだった。



◆ ◆ ◆



 春は野山の花が美しく、夏は海水浴とマリンスポーツ。秋の紅葉に冬場の温泉と、一年を通して客足の途絶えない観光地であるD市には宿泊施設も多い。海沿いの国道を挟んで正面に海水浴場を望む山側には、オーシャンビューを謳うホテルや旅館の建物がガラス張りの防風林のように立ち並び、その足元にはそれらの客を目当てにした飲食店がひしめきあっている。


 近藤雅紀が足繁く通っていたというスナック「セピア」は、そんな中の一軒だった。建ち並ぶホテルの一本裏手にある通りで、ラーメン店と居酒屋の派手な看板に挟まれて、その名の通りにセピア色の店構えはいかにも地味だった。

 スモークの入ったガラス戸には準備中の札があったが、中に人の気配があるのを感じたにがなが軽くノックをしてみる。少しの間の後に顔を出したのが、高津久枝たかつひさえだった。


「すいません。今日はウチは休みで……」


 美しい女だった。休業という割には白いシャツと黒のパンツとベストを身に着け、艶のある長い黒髪を束ねて背中に流している。恐らくノーメイクの肌は白く、荼にはそれが少し青褪あおざめているようにも見えた。


「D署の佐藤と申します。こちらは助手の・・・チャー。少しお話をよろしいですか」


 荼をグイグイと押しのけた蜜柑の手に警察手帳を見ると、暗い店内から陽の光を見て細めていた久恵は一瞬だけ目を見開き、黙って体を引いてふたりを店内に招き入れた。最低限の明かりに照らされた内装はやはりセピアトーンで統一され、手狭な店内にはテーブルとソファの二人席が二対と、カウンターの前には五つのスツールが並んでいる。


「警察の方が、何のご用でしょう」


 荼と蜜柑をスツールに案内した久恵は、カウンターに入ってグラスに氷を落とし、ミネラルウォーターを注いでふたりの刑事の前に出した。

 会釈をして水を一口飲んだ荼は、ジャケットの内ポケットから出した被害者の写真を見た久恵が、喉をコクリと動かすのを見逃さなかった。


「この方についてあちこちで尋ねているところでして。このお店に来たとか、またはどこかでお会いになった事はありませんか?」

「……さあ、ちょっと覚えが。お客様にいたかも知れませんが、全員は覚えていませんので」


 久恵は嘘をついた。写真の男がこの店の常連だからという直接の関係をたださず、近藤の名前も、遺体として発見された事も明らかにしない荼の話し方は、相手に敢えて誤魔化す隙を与える罠だった。


 伏し目がちにしている久恵の背後には、スナックらしくボトルキープされた酒の瓶が並んでいる。手頃な価格のウイスキーや焼酎に混じって場違いな高級ブランデーが二本だけ置かれ、付けられたプレートには近藤の名が白のペンで書かれている。それが一番手前に置いてあるという事は、近藤がこの店に頻繁に訪れていた事に他ならない。

 もしブランデーの持ち主がくだんの男では無いとしても、この種の店の従業員が常連の顔を覚えていないという話には無理があった。


 荼はそれからも質問を続けた。カウンターに肘をついていた体を起こし、それはそうですよねと人好きのする微笑を浮かべ、店と久恵自身に関する事に話の内容を移した。

 リラックスしたと装った荼は、雑談を仕掛けてとにかく久恵に喋らせた。相手に黙る隙を与えず、早く帰って欲しそうな態度も無視し、ストレスを与え続けて観察した。

 その先輩刑事の横で、こけしのように座っていた蜜柑は、最後まで一度も笑顔を見せなかった久恵に頭を下げて店を出るまで、結局ひと言も喋らなかった。



◆ ◆ ◆



「彼女が事件に関係しているのは、どうやら間違いなさそうだが……」


 高津久恵は二十九の独身で、このD市の出身。進学を機に上京して大学を卒業すると銀座の名のあるクラブにホステスとして勤め、母親の病気を切っ掛けに帰郷してスナック「セピア」を始めたのは昨年の事だった。

 銀座時代の常連からの応援も厚く、持ち前の美しさと確かな接客技術で店はそれなりに流行っているらしい。趣味は飼い猫と花の世話で、夜の仕事なので昼間に出歩くことはあまり無い。

 以上が、荼の雑談によって引き出された情報だった。


「だから、あのヒトが犯人ですってば!」


 荼の運転するアルファロメオは、ホテルや旅館の並ぶ一帯を抜けて海岸沿いの道を走っている。まだ時刻は昼過ぎだが、日差しの届かない山の陰に入ると、薄く開いたウィンドウから入り込む風がわずかな涼気を感じさせた。


「だから、どうしてそう決めつけるんだ」


 店を出てからもどことなく不機嫌で、かたくなに久恵が犯人だと断定する蜜柑の態度に辟易へきえきした荼が問い返すと、その声に棘を感じた蜜柑は叱られた子供のように「だって」と口ごもった。


「ガイシャがあの店に行っているのは間違いないのに、あのヒトが事件に関係ないなら、知らないなんて嘘を吐く必要がないじゃないですか」


 もし久恵が事件に無関係なら、近藤が客だったと認めるだろう。仮に何らかの関与があるとしても、荼の口からは殺人事件と言っていない以上、行方不明や事故の捜査―――近藤が生きている可能性があると思えば、近藤がどうかしたのかと疑問を持つのが自然だ。


「あの場で無関係を明言できるのは、ガイシャが死んだ事を知っている人だけですよ。つまり犯人です。仮に複数犯だとしても、その内の一人には違いないと思います!」


 それが何ですか、と蜜柑は言い募る。


「あっさり話を切り上げたと思ったら、美人だからって鼻の下を伸ばしてダラダラ、デレデレとお喋りなんかして!」


 どうせ男はみんなああいう長い黒髪ではかなげな女の人が好きなんでしょうと、何故か腹を立てている蜜柑を、荼は意外なものを見るような目で見ていた。

 久恵が犯人だと主張するのは単なる勘かと思っていたが、思いのほか相手を良く見ているし、話もよく聴いている。あらかじめの打ち合わせもなく、またあの短時間の会話から荼と同じ推論に辿り着いたのは、中々の観察眼だと思わざるを得ない。

 しかしその割に、荼が会話に仕掛けた意図には気が付かずナビシートで憤慨ふんがいしているのだから、どこに目をつけているのかと言いたい気にもなった。


 やはりこの後輩は苦手だ。改めてそう思った荼は誤解を解こうと試みたが、蜜柑がそれを受け容れる様子は無い。苦し紛れに「ぼくの好みはショートヘアだ」と言うとそれはそれで気に入らないのか、今度は顔を赤くしてそっぽを向いて、何やらぶつぶつと呟いている。

 何をそれほど怒ることがあるのかと不思議に思いながら、荼は次の目的地への道順を頭に思い浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る