第9話 隠された兵器

 時は少し遡る。森林の中でヴェイル、パドロ、シモンの3人は迫り来る敵の大軍を迎撃し続けていた。全方位から迫り来る敵の数々を、それぞれが特有の手段で捌いていく。ただしシモンは魔法が使えないので、甲冑を着ている敵にはまともに攻撃ができない。つまりは、今回のシモンの役目は囮だ。死なない程度に、そして自分が背負いきれなくならない程度に丁度良く敵の注意を引く必要がある。時には石を投げつけ、木の枝で殴りかかったり、敵の視界を遮ったりした。

 3人の中で唯一丸腰であるシモンは、一度に相手できるのは2、3人だ。それ以上攻められても手に負えなくなってしまう。そして時々注意を逸らした敵を、隙を見て魔法で撃退してもらうのが役割だった。

 たったの数人。されど数人。少しでも敵が武器を向ける先が分散されれば、それだけでも大きく敵の攻め方のパターンは減る。魔法はスピード勝負である以上、手数で押し切られないように対策するためにも、シモンのような囮役は非常に助けになる。

 ヴェイルが目の前の敵を次々に魔法で弾き出すように吹き飛ばす。多くの敵を戦闘不能にさせつつも、隙を見てシモンの援護も行った。しかし、実際には大軍と対峙してからかなりの長時間が経過している。これ以上はシモンの体力にも限界が来てしまう。それにも関わらず、攻め入ろうとする敵の数を減らしている実感がない。途方もない数の敵をまだ捌き続けるとなれば、抵抗手段もなく回避に専念し続けていたシモンから脱落してしまうだろう。それを懸念している時、ヴェイルとパドロは敵の1人が叫ぶのを聞いた。不穏な単語が含まれていた。

龍撃砲りゅうげきほう、用意!」

 龍撃砲……本来はドラゴンなどの巨大な魔物に向けて放たれるはずの大型兵器だ。大量の魔力を一度に放出し、敵を消し炭にする。そんなものを少人数の敵を相手に——ましてや、その火力が故に空高くへと向けて砲撃するはずのそれを、こんな地上で扱うはずがない。ヴェイルは混乱した。しかし、声がした方角の、遠くの茂みに見えた巨大な黒い筒状の物体を見た瞬間、即座に叫んだ。それは、間違いなく本物だった。

「全員、伏せろォォォーーーッ!」

 筒の中からまばゆい光が発せられる。それが放たれる直前に、パドロとヴェイルが地に伏せる。シモンもわけもわからないままに伏せた。

 轟音が鳴り響く。その瞬間、3人の頭上を閃光が駆け抜けた。その光に飲まれた木々や敵の兵士が、風に吹かれた灰の如く姿を消してゆく。幸いにも反応が間に合った3人はそれに巻き込まれずに生き残った。

 轟音と閃光が止んだ。だが、あまりの事態に耳鳴りが酷く鳴り響き、止まらない。周りの音が聞こえにくく、同時に吐き気も誘発した。三半規管にも影響を受けてしまったのか、立ち上がるのもままならない。ヴェイルが真っ先に立とうと試みたが、足がふらつき、地面にすぐに倒れてしまう。無理に立ち上がれないと悟り、地面に倒れたまま動けなくなった。

「くっ、そ……!」

 シモンは思い浮かんだ言葉を口にしたが、自分でも何を言っているのか、たったの一言も聞き取れない。碌に動けずにいる3人の前に、兵士だったものの残骸を通り抜けて近づく老人の姿があった。杖をつき、魔法陣の目の前まで近づいたところで3人を見下ろした。無表情で、何を考えているのか読み取ることができない。

 やがて全身の感覚が戻り始めたパドロがその姿を見た瞬間、言葉を失った。老人はパドロが平気そうに立っている姿を見ると、耳は聞こえると判断して語りかけた。

「久しいな、パドロ……そういえば、君は分身を使って生き残っていたな。……あの時の状況を思えば、君は懸命な判断をした。もし生身で来ていたのなら、今になって旧友と再開する事も叶わなかっただろう」

「……嘘だ。……お前、ランスか?」

「如何にも。今度は敵として会うなど、予想はしていなかったがな」

 遅れて起き上がったシモンが、ランスの姿を見て目を丸くした。

「なっ……。お前は確かにあの時……死んだはずだろう!?」

「私は確かに死んだ。だが、運は味方したと言おうか——彼は、私をこの地上へ舞い戻らせてくださったのだ」

「彼だと……まさか、カルロのヤツか」

「その通り。彼の作り出した蘇生薬……それはまだ試作品の段階であったが、確かな効果を見せた。私は本来死ぬはずが、残り少ない寿命と共に現実にしがみつく事を許されたのだ」

「つまり、お前はこの戦いを勝とうとも結局すぐに死ぬってわけかよ? ……それで一体、何の意味があるって言うんだよ!?」

 シモンは理由も分からずに苛立ちを感じ、恐ろしい剣幕で怒鳴りつけた。ランスは動じる事なく、冷静に、そして淡々とその問いに答える。

「——戦いこそが、私の生きる場所であり、理由だ。私をずっと昔から形作ってきたものを、死ぬその瞬間に捨てる気はない。最後に私を否定して死ぬのは願い下げだ」

 戦う気だ。物事を達観しているかのようであった目の色が、今にも襲いかかって来そうな殺意の色に塗り替えられる。最後に立ち上がったヴェイルがランスの姿を見た時、その様子を見て直ちに臨戦態勢に移った。ランスが杖を持ち直し、構える。3対1の状況、他の兵士は全て龍撃砲の影響でまともに戦闘ができなくなっている。

 この状況でランスに勝機があるとは思えない。魔法を使えない2人を相手に負けたのだから——そんな考えがシモンの頭をよぎったが、前に戦った時とは違う雰囲気を纏っている気がして、その甘い期待は瞬時に消え失せた。

(何だ……? 何かが、決定的に……違う!)

 その瞬間、一筋の光線がシモン達の間を縫うように一直線で走った。どこを狙ったのかは分からない。陽動する事が目的なのかもしれないと思い、次にどう動くかを見たところ、ランスは杖先で円を描くように杖を動かした。

「これくらいで油断するのか? ……今、警告はした」

 ヴェイルの背後に魔法弾が戻ってくる。それに気付いたヴェイルは、瞬時にその場で飛び上がってそれを躱した——はずだった。

「——何!?」

 魔法弾の軌道が捻じ曲げられ、彼の足を抉った。貫通して突き抜けた光線が、空高くまで登って消える。その影響で大きく重心をずらされてしまったヴェイルは、空中で大きく回転して頭から地面に着地し、気を失った。

「……まずは1人」

 呆気なくやられてしまったヴェイルを前に、パドロは歯を食いしばる。自分が敵わなかった相手が、いとも容易く戦闘不能にされてしまった。果たして自分とシモンで勝てるかどうか。その自信は無に等しい。不意打ちとはいえ、これは相手のとっての序の口だ。この先にも想定外の攻撃が飛び続ける事を考えると、勝利する自分達の光景がイメージしづらい。

 シモンがランスに接近しようと、思考をあれこれと巡らせる。まず最初に放たれた魔法弾が操作可能なタイプか否かの判別をつけなくてはならない。そうであれば回避に工夫を持たせる必要があるし、その判断を誤れば追撃を受けるか、操作された弾丸で撃たれて致命傷を負いかねない。今までに見た事のないタイプの魔法を前にしてその場で対策を講じるのは、魔法を身近に経験した事のないシモンにとっては難題だった。

「おいパドロ、聞け——……」

 シモンの意見を聞いたパドロは従うべきか考えようとするが、そんな暇など相手は用意しない。次々に魔法が放たれ、その度に軌道が曲がるか、疑心暗鬼の状態でそれを対応しなくてはならない。明確な見分け方も現時点では分からない。放った直後に操作を始めるわけではないので、真横に来た魔法弾がいきなり自分の急所に向かって飛んでくる可能性もある。パドロが何発か反撃を打ち込むが、それらも的確に結界を張られて防がれてしまう。

 勝機があるとすれば2人が同時にランスに接近できた時だ。それは2人共理解していた。シモンがランスを抑え、パドロが抵抗できなくなったランスを撃つ。その作戦を再び攻撃が始まる寸前、シモンは組み立てていた。

「ほう、私に近づくか。……実に面白い。自ら地獄を味わいたいと言うのかね?」

 虚勢にも思えないその声色は罠なのか、それとも本気で言っているのか。真意は分からないが、とにかくその声を無視して、攻撃を躱し、時々結界で防ぎながら接近を続ける。逆にランスは間合いを保つためか、それに合わせて1歩ずつ後ずさる。無駄に息を使わないためにも、2人はランスの言葉には反応しなかった。

「無駄だと言うのに……」

 いくつも放たれる魔法弾の内の1つが、軌道を曲げる。それがシモンの頭部に向けられ、その光は対象をしっかりと捉えた。命中する寸前、シモンが何かを取り出し、それで魔法弾を受けた。光が弾け、同時に大きな衝撃が伝わったが、それは取り出された鎧の欠片によって大分吸収されていた。

(こいつらの鎧、2人の魔法を喰らっても壊れてなかったからな! もしかしたらと思ったが、予想通りだ!)

 シモンが鎧で防げるということに気付いた時、同時にパドロも何かに気が付いていた。

「分かったぞ……お前の魔法弾……操作中は次の攻撃が撃てないんだろう?」

「……気付いたか」

 つまり、連撃の最後の1発——それが、ランスが操作されるタイプの魔法弾を放つタイミングである。それが来ている間は必ず連撃が来ない。互いに防御手段を所持している今、警戒すべきタイミングが分かった今、接近は容易になった。

 2人は走り出し、ランスとの距離を詰め始める。ランスは老人の衰えが故に、その速度に合わせた距離の離し方がなかった。じわじわと距離が詰められ、魔法弾を操作するタイミングもずらしたところで警戒され、実際に奇襲したとしてもそれは見事に防がれる。2人がランスの目の前まで到達したところで、ランスは攻撃を止め、杖を地面につける。

 ありったけの量の魔力を込め、地面にそれを放った。土が炸裂し、塊のままである土壌が2人の視界を奪った。塊で身体の一部分を強打してしまったパドロが標的に選ばれ、背後からランスに取り押さえられる。ここまでの動きをしておきながら、ランスは息を全く乱していなかった。

 押さえられた衝撃で杖を落としたが、パドロは右肘でランスの胸部を殴る。パドロは解放された瞬間に杖に飛びつき、それをランスに向けて魔法弾を放った。しかし、それよりも若干ではあるが早くからランスも魔法弾を放っており、それがパドロのすぐ目の前で衝突し、爆発を起こした。それに巻き込まれたパドロは吹き飛ばされ、背中と後頭部を強打してしまった。パドロはすぐに身体を起こして反撃に出ようとしたが、それを見逃さなかったランスは間髪を入れずに追撃した。パドロはギリギリのところで結界を使って防いだ。硝煙で視界が塞がれた隙に立ち上がり、再び杖を構える。

 起き上がる瞬間を狙って追撃が3発撃ち込まれる。パドロが最初の2発を硝煙に紛れて回避し、最後の一撃のみを結界で防ぐ。パドロを攻撃している間に、シモンがランスの背後まで回り込む。それに気付いたランスは数秒、魔力を溜めた。

 先ほどまでは操作できる時間は少なかったが、魔力の密度を高めた攻撃であれば、操作する時間をより長くする事が可能になる。シモン達はその事を知らない。

 パドロが軽い動きでそれを避けたが、背後から再びそれが光の柱がパドロの胴体を狙う。操作しているタイミングを狙ったシモンが全力疾走で近づいていくも、ランスはそれも見越していた。いきなり高速で軌道を変え、シモンに向けて飛び出してくる。短い間しか操作できないと勘違いをしていたシモンには、意識外に追い出していたその攻撃を再び認知するまで遅れてしまった。魔法攻撃の下側に滑り込むようにして潜り抜けるが、それに合わせて直角に折れ曲がった魔法弾までは躱し切れず、シモンの右肩を掠めた。斬撃を受けた時のような細長い傷が浮かび、それから生じる痛みを感じて表情をわずかに歪めた。

 ランスは油断せずに操作を続けた。地面に触れる寸前のところで魔法弾が跳ね上がる動作で空中に戻り、パドロが構えていた魔法弾に衝突させた。パドロの攻撃は無効化され、さらに硝煙によって視界が悪化した。

「この硝煙も狙って出しているな……面倒な真似を……!」

 パドロが煩わしさを感じているが、視界不良の中で無闇に攻撃はできない。最悪の場合、シモンが巻き添えを喰らってしまう可能性があるので、それは避けなくてはならないのだ。逆に相手からすれば、考慮すべき味方がいないので、こういった妨害などの絡め手を存分に発揮させられる。改めて考えると面倒な事になっている事に気づくと、パドロは杖を握る力を強めた。硝煙の奥にうっすらと見えるランスがパドロを狙っているのが見える。同時にパドロが地面を強く蹴り、前方に飛び出す。後ろから奇襲を仕掛けようとしていたシモンは、既にランスが張り巡らせた弾幕によって引き下がらざるを得なかった。

 すぐに攻撃が来ると予測し、右半身に重心を傾ける。それで杖の先端から放たれた魔法を回避したが、直後にランスが杖を薙ぎ払う。パドロが一瞬後ろを向いた。その時を見計らったかのように、ランスが魔法を放つ。

 反応が遅れた。同時に弧を描くように、その放たれた魔法がパドロに向かって飛んでいく。その一瞬の遅れが、パドロが完全に回避するチャンスを潰した。自身の横から飛び込んでくる光を前に、パドロは身体を後ろに逸らしながら結界を張る事で何とか事なきを得たが、大きく体勢を崩して地面に倒れてしまった。

 ランスが追撃の魔法を構える。パドロが飛び起き、それを間一髪で避ける。その上で何度も攻撃を続けるので、パドロに反撃する余裕はなかった。

「俺を忘れてるんじゃないのか、お前! ……やっとここまで近づけたぜ!」

 シモンがランスの背後から掴みかかる。杖先に溜められていた魔力の塊が明後日の方向へと飛ばされる。その上でもランスは冷静だった。逆にシモンは異常な事に気が付き、思考をランスの拘束から脱線させた。

(何だ……!? 異常に冷たい身体をしている……どういうことだ? 雨で濡れているからか? ——いや、違う!)

 掴んだランスの身体は、異様なほどまでに冷え切っていた。身体中に血が通っていないような、人の温かみを何も感じられない身体をしている。……まるで、死んでいるようだ。というよりも、先ほど伝えられた蘇生薬の存在——それは果たして、本当に死者の生命活動を完全に蘇らせるものだったのか。

「油断していたな? 勝利を確信したその時こそ、人は意外性に弱くなる……」

 シモンの脇腹が杖で突かれる。剣山で突き刺されたような痛みが襲う。身体がよろめき、地面に膝をつく。ランスはここで止めを刺しておこうと思ったが、パドロがいるのでその決断に踏み出す事はできなかった。結界を出しつつ振り返ってみれば、案の定パドロが攻撃を仕掛けており、それを丁度良く結界が防いでいた。

「クソ……ッ」

 先ほどから回避や魔法攻撃、防御を繰り返していたパドロは、ついに体力の限界が訪れようとしていた。この一撃は賭けだったのだが、防がれてしまった上にシモンの拘束も失敗に終わった。パドロが内心のどこかで思っていた諦めの念がより強くなったが、それとは裏腹にシモンは諦めずに再びランスを掴んだ。パドロは首を振るって気を取り直すと、また杖を構える。しかし、既に攻撃に回せるだけの魔力は使い切っていた。

「この辺りでやめておけば良いものを……お前はとっくに限界だ。シモンも興奮状態だから分からないだけであって、本来であれば動けないほど疲弊しているだろう」

 シモンが脇腹を手で押さえ、歯を食いしばりながら立ち上がる。ランスが言う通り、息は完全に上がっていて動きも鈍い。身体が「動くな」と言っているようだが、その抗議を押し除けて無理に立ち上がった。

「……だから何だ。俺は絶対に諦めないさ。……あいつにはまだ借りがあんだよ」

 ランスが呆れ気味に溜め息を吐く。

「君はあの少年に何の義理を感じているのだ? たった一度、戦いを共にしただけの関係よりも優先すべき事項があるのではないか?」

「……俺は、あいつに一度命を救われてんだ。……行動を共にしてから色々あった。それでも楽しかったんだ。義理しかねぇだろ」

「馬鹿な事だ……その人情深さが、己を滅ぼす事でさえあるというのにな」

 シモンの息がある程度整い、周辺を詳しく把握する余裕が生まれた。まず、パドロが魔力切れを起こしているため、当初の拘束中に攻撃する作戦はもう使えない。自分も相当な消耗をしてしまったが、多少の動きの鈍化があるだけで活動自体に限界は来ていない。

 これらの事から考えられる最善の策……それを弾き出さなくてはならない。必死に思考を巡らせ、周辺の状況を確認する。そこで、シモンは一つの策を思いついた。

「これだ。これしかない……!」

 ランスはその独り言を聞き逃さず、その言動と不敵な笑みを訝しんだ様子で見た。

(何だ……? 一体、この状況で何をする気だ?)

 考えたところで、理解には及ばなかった。とにかく身構えるだけだ。ランスにとって幸運な事に、まだ魔力量には余裕がある。まだ戦闘を続ける事が可能である上に「奥の手」も残っている。相手にはその存在を察知されていない。まだ状況はランスが有利である事に変わりはないのだ。

 そこまで考えて自らを落ち着けたのと同時に、シモンが走り出した。ランスに向けてではなく、全くもって別の方向に向けての全力疾走だった。

 その動きを追っている内に、今度はパドロがランスに飛びかかった。その手が肩を掴む直前、ランスは紙一重でそれを避けた。

「囮——いや、逃げ出したか。賢い選択だが、判断が少し遅かったな。……さて、君はどうする気だ? まさか、このまま無意味な抵抗を続けるわけではあるまい」

「……そうだ。確かに無駄な抵抗はしない。さっさと逃げるだろう」

 ランスは決着が着いたと考えた。肩の力を緩めて腕を脱力させようとした途端に、パドロが言葉を続ける。その顔は不敵な笑みだった。

「——だが、無駄じゃない抵抗なら、死んでも続ける」

「何……」

 咄嗟にシモンの方を見る。その先にいたのは倒れたヴェイルだった。どうやら彼を起こすつもりらしい。確かに、ヴェイルはこの3人の中で唯一魔力を消耗し切っていない。彼の意識の有無はこの状況において、言わば逆転のための切り札とも言える。ランスはこれ以上の面倒を増やさないためにも、それを阻止しなくてはならなかった。だが、そのように思考を進めている内に、既にヴェイルの意識は回復し始めていた。まだ朦朧としている状態だが、シモンの行動によって完全に覚醒する可能性は大いにある。

 対処するのであれば今を逃す手はない。咄嗟に杖を向けるも、すぐにその腕を掴まれて狙いがずれる。その間に、シモンはヴェイルの元に到着した。ランスの頬に初めて汗が伝う。

 シモンが声を張り上げた。

「起きろ! 起きて早々だが戦闘中だ!」

「う……な、何だ——頭が痛い……シモン?」

「頼む、パドロはもう魔力が尽きてるんだよ! 攻撃できるのはお前しかいない!」

「……思い出してきた。そうか、俺は……。すまない、少し頭を整理させてくれ」

「ダメだ、今やるんだ! もう考えている時間はない!」

 ヴェイルがわけもわからずに杖を持つ。目の前に立っている老人の顔を見た瞬間、その理由の全てを思い出した。曖昧な意識を正確に握り直し、構える。

「思い出した。とにかく、ランス……お前を倒せば良いんだな」

「面倒な事を……」

 ランスが自分の背後に手を回す。それを見たパドロが叫ぶように警告した。

「気を付けろ! まだ何か隠しているぞ!」

 それを聞いたシモンとヴェイルはランスの動きを睨むように観察した。後ろに回されたその手には、一体何を持っているのか。仕掛けられるのであれば、この時点で攻撃を始めているはずだ。だが、何かを手にしてから動きがない以上、恐らく有効な場面や射程距離が限られているのだろう。魔力を残しているヴェイルがいるにも関わらず、それでも動かないという事はその仮説が正しい可能性が高い。

「鋭いな。しかし、読みはまだまだ甘い」

 ヴェイルがシモンに何かを向けた。その手には、八角柱の黒い石のような何かが握られている。その面には魔法陣が刻まれているが、ジェノが転移する時に使ったそれとはまた違う模様だった。それを見た瞬間に、その魔法陣から光る玉のようなものが射出された。それは瞬く間にシモンの目の前に到達するが、同時に結界が張られる事で直撃は免れられた。

「なるほど。油断していたのはシモンだけだったか」

 表情一つ変えないランスの様子に、ヴェイルが探りを入れようと言葉をかけた。

「手の内を簡単に見せるとは、お前らしくないな。——焦っているのか? それとも他にも策があって、油断を誘って今も隙を窺っているのか? ただの老いで判断力を鈍らせたのか?」

 ランスは答えない。構えを解かずに、相手の動きを警戒し続けている。若干ではあるが息が上がっており、そのわずかな呼吸の変化が身体の揺れから見てとれる。

「だんまりか。まぁ良い、いずれにせよ戦闘は続けなければならない」

 ヴェイルが杖を向けた。冷静に魔力を注ぎ込み、それによる光がランスに向けられるが、それでも彼は動きを見せない。

 ついに杖の先から魔法弾が放たれようとした時、ランスは何の前触れもなく地面に倒れ伏せた。ヴェイルが思わずその手を止め、小さな驚愕の表情を見せながら、杖を下ろしてその姿を見た。

 その一方でシモンは同時に、とある言葉を思い出した。


 ——本来死ぬはずが、残り少ない寿命と共に現実にしがみつく事を許された。


「……寿命……。ここまで戦って、俺らの勝因は——決着は、寿命か」

 シモンが複雑な表情で言った時、ランスの指先にわずかに力が込められた。

「まだだ……まだ……私は……彼の恩に報いなければ……」

 パドロが1歩だけ近づき、しばらく観察を続けて半ば独り言のように口を開いた。

「あれほど戦闘した上で、間も無く死ぬのにも関わらず、未だにそれほどの魔力を保持している……恐らく、俺らがまともに戦ったところで勝ち目はなかった。だが、それでもお前の負けは約束されたんだ。潔く諦めろ」

 ランスがかなり不安定ながらも何とか踏みとどまり、立ち上がる。杖で自分の身体を無理矢理に支えている。戦闘などできる状態ではない。だが、何かをする気だ。

「私の残された猶予はない——……ならば、最後まで私を貫くのみ」

 ランスを中心に、周辺の空間が吸い込まれるように歪んで見える。閃光がその身体の節々から漏れ始め、ついにそれが一気に目が眩むほどの光を吐き出した。それは短時間で起きた事であり、離脱は間に合わない。パドロは魔力をある程度回復させただろうし、ヴェイルは元々の持続力がかなりの高水準だ。しかし、シモンは魔法を使えない。防御する手段も、誰かの結界の背後まで移動する余裕もない。あれこれと考える前に、光に呑み込まれていく。

 死んだ。そう確信してシモンは思考を中断させたが、その意識が途切れる事はなかった。目を見開く。目の前に結界が張られていた。パドロには自分以外に結界を用意できるほどに魔力を回復できないはず。つまり、これを出したのはヴェイル以外にいない。

「ヴェイル——」

 ——ありがとう、そう口にする直前にヴェイルの姿を見た時、シモンは絶句した。身体全体から血を吐き出しながら、足をがくがくと震えさせながら、その場に立ち尽くしていた。彼が用いていた杖は粉々に破壊されている。何故、結界を張るのが遅れたのか。それは、本来であれば間に合うはずだった。シモンを優先的に守ろうと、自衛をするまでに数手遅れてしまった。

 ヴェイルが崩れるように倒れる。2人は酷く焦った様子で駆け寄った。非常に弱いが脈はある。かすかではあるが、確かに呼吸はしている。まだ生きているが、この重傷では長くは持たない。安全な場所を確保するよりも先に止血をしなければ、手遅れになってしまうだろう。

「まだ間に合う……! 畜生、俺なんぞを勝手に庇いやがって、そのまま勝手に死なせるかよ、馬鹿野郎……!」

 2人は止血を急いだ。出血が治った時はまだ身体に温かみが残っており、まだ生きている確信を持てた。それからジェノとレインが薬を持って合流したのは、ヴェイルを彼の家まで移動させたしばらく後、魔法陣まで戻った時の事だった。

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