第4話 掲げる決意

 レインが訓練を受け始めてから3日が経過した。レインはヴェイルとの会話に慣れ始め、現在は杖から魔法弾を放つ訓練をしている。

 レインはこの3日間で魔力の操作を自然に行えるように訓練され、今では集中しなくとも自身の内部に流れる魔力を掴むことができるようになった。そのため魔法を放つ事ができるようになるまでに必要な事は、残るは杖の扱い方のみとなる。

 レインが杖先に魔力を流し、それを訓練用に作られたわら製のマネキンに向ける。白色に輝く玉が杖先から溢れ出し、少しずつ膨らむ。そこでレインは困ったように顔をしかめてヴェイルを見た。

「先生。どうすれば撃てますか?」

 レインは杖に魔力を送り込む事まではできたが、それだけでは杖先に魔力の塊を生成するだけで戦力にはなり得ない。強いてできる事を挙げるとしてもその塊で敵を殴りつける程度だが、初心者がそれをしても圧倒的に不利なのは言うまでもないだろう。

「それもイメージの問題だ。俺の場合は杖の中に渦巻く自身の魔力を切り離す感じで考えているが、その辺りは個人差があるだろうな」

 レインはさらに困った顔をした。そして言われた事をそのまま繰り返して呟く。

「杖の魔力を切り離して発射……」

 レインの杖先の玉が尾を引いて放たれたが、それは明後日の方向へと飛んでいく。マネキンの代わりに結界近くにある木に命中し、炸裂した。木の幹が弾けるようにして分断され、滅茶苦茶になった断面をこちらに向けて倒れた。レインがやや怯えた様子でヴェイルを見たが、ヴェイルは怒りはしていなかった。

「……威力は最初にしては悪くないな。後は狙いの精度と発射までの時間か」

 レインが胸を撫で下ろすと、気を取り直してもう一度狙いを定める。手で支えている杖に魔力を流し、再び杖先に魔力の塊が現れる。再び撃とうとした時、ヴェイルが助言した。

「杖の向きだけじゃない。しっかりと魔力の切り離し方にも気を付けないとまたあらぬ方向に飛んで行ってしまう。速度は気にしなくていい。まずは狙いから対処するんだ」

 レインが魔力の流れを確認する。切り離し方を考えろ、と言っていたがその手段に多くの選択肢を持たせるにはまず魔力の流し込む作法にも注意しなくてはならないと考えた。

 そしてしばらくの調整を挟み、穿つ。今度はマネキンの横をかすり、その背後にある結界にて魔法弾が炸裂し、その場に硝煙を残した。

 レインが一瞬だけ悔しさで顔をしかめた。そしてもう一度狙いを定める。ヴェイルはその光景を黙って眺め、レインがもう一度魔法弾を構える。魔力の流し方は先ほどと同様に、切り離し方に微妙な調整を加えて再び放つ。

 今度は命中を確信する真っ直ぐな軌道で飛んでいく。輝く弾丸はマネキンの中心を捉え、先ほどまでと同じ規模の炸裂を起こす。レインが顔を綻ばせた後、その表情が凍りついた。硝煙が晴れた時、そのマネキンが相変わらず立っていることを見てしまったからだ。レインは思わずヴェイルに視線を向けた。

「最初にしては威力が良いとは言ったが、戦闘用に使うならまだ足りないぞ」

 レインがあからさまに悲しげな表情をするので、ヴェイルが慌てて慰める。

「いや大丈夫だ、威力に関しては魔力の密度で調整できる。今のレインなら間違いなくできる。大丈夫だ、落ち込むのは早い」

 レインが無言で杖に魔力を注ぐ。密度で調整できると言うのは、この場合は魔法弾の中に集約させる魔力量を増やすと言う意味だ。レインはそれを理解して少しずつ調整をする。

「これで……威力は上がっていますか?」

「ああ、調整の仕方は理解したみたいだな。流石だ」

 試しにマネキンに撃つ。だが、それ以前に今回はマネキンの手前の地面に衝突して土煙を上げた。地面が抉れ、芝生の下にある焦茶色の土が剥き出しになった。

 無言のまま湧き出てくる感情を飲み込みながら、レインがまた魔法を放つ。今度は命中したが、マネキンは少しだけ傷ついた程度でまだ壊れない。レインが溜め息を吐いた。落ち込む気持ちを抑え、諦めずにまたマネキンに狙いを定める。ヴェイルはそれを不敵な笑みを浮かべて見守っていた。


  * * *


 同時刻。ジェノとシモンがキッチンで飲み物を調合している。ヴェイルの要望で、訓練を終えた後にたしなめられる程度の度数の低い酒を作る事になっているからだ。なお、酒を飲めないレインに何も作らないのは悪いので、レインにはオレンジジュースを絞る事にしている。何もしない居候になるのも気が引けたので、ジェノもシモンもその要望を受け入れていた。

 酒はシモンが、そしてオレンジジュースはジェノが担当して、2人揃って黙々と作業を続ける。間も無く作業を終えた時、ジェノとシモンは互いの作品を見て感嘆の声を漏らした。

 シモンはジェノが思いの外上手くジュースを作り出した事に、ジェノはシモンが生み出した作品の美しさに見惚れた。シモンの作った酒は普通の酒ではなく、芸術が含まれているようなものだった。ジェノは年齢の問題で酒を飲むことができない事を少し残念に感じた。

「……初めてだろ? 上手いな、ジェノ」

「隣でそんな凄いの作ったお前に言われても虚しくなるな……でもありがとう」

 ジェノがまじまじとシモンの作った酒を見た。ほのかに苦味のある香りがする。曇ったワイングラスに注がれた半透明の液体の中を、白い粉砂糖がきらめいている。それは何となく遠目から見た時のルシェロを思い出す光景だ。

「そういえば、なんでこの砂糖は溶けないんだ? 俺のに入れた方は簡単に溶けたと思うんだけど」

「これは魔力でコーティングされた特殊な砂糖だ。外部の水と触れても溶けないようにされているんだぜ」

「シモンがコーティングしたのか?」

「既にコーティングしてある奴が売ってるんだ。その辺にな。……さて、こいつらはしっかりと冷やしておかないとだ」

 ジェノが魔法についてわからない事が大量にある事を自覚している間に、シモンがホルダーを手に取って2つの飲み物をホルダーに差し込み、冷蔵庫に入れた。そしてやる事を全て終えた二人が雑談を始める。

「そういえば、ヴェイルとはどこで知り合ったんだ?」

 シモンが思い出すために軽く上を向きながら記憶を探った。そして思い出した事をできるだけ時系列順に並べ替えながら話始めた。

「確か、あいつと出会ったのは俺のバーでだよ。今じゃ考えられないが、あいつ結構俺の店に通ってたんだよな。ビリヤードやらダーツやら、色々俺に勝負を挑んでは楽しんでた」

「今はご隠居って感じがするけどな。昔は何をしていたんだ?」

 シモンがリビングに移動し、ソファに豪快に座り込む。ジェノは相変わらずソファの隣にある椅子にゆっくりと腰掛けた。

「確か衛兵をやってたらしいな。何年も続けていたらしいけど、突然俺にはそぐわないって言いながら……大体俺と出会って半年くらいでやめちまったみたいだ。今は貯金が十分あるからって事で一人でここにいるんだとよ」

「へぇ。何があったのか気になるところだけど……何か知らないのか? シモンって一応探偵なんだろ?」

「一応って言うな。まぁその辺は調べられなかったから、真相は闇の中ってやつだ。……正直に言えば、調べるリスクとリターンが釣り合ってなかったし、調べる気になれなかったって言う方が正しいか」

「何で?」

「何でって……そりゃ、ルシェロの政治に関わる事だぞ? 好奇心で俺の命を捨てる事になるなんて、バカみたいだろ?」

 ジェノが納得した様子で頷く。ジェノにはそれ以上の質問は思い浮かばず、シモンも自分から進んで話す事でもないと判断していたので、その場に沈黙が流れた。

「……俺、なんか疲れたから寝るよ」

「じゃあ俺も寝るかな……最近眠る機会が少なさすぎた……」

 ジェノが机に突っ伏し、シモンが背もたれに首を乗せて上を向くようにして目を閉じる。無自覚の内に意識がおぼろげになり、2人は間も無く眠りに落ちる——といったところで、窓の外に見えるレインが放った魔法がマネキンを粉砕した。レインが喜びよりも驚愕とようやく達成できたという安堵の感情が勝り、その場にへたり込む。諦めずに魔法を撃ち続けるレインをずっと横で見ていたヴェイルはその持続力に驚きながらもレインを労った。

「お疲れ様。あの2人が飲み物を用意しているはずだから、それで休憩としよう」

「……はい」

 レインが暗い声で答える。緊張が解けた影響で相当な疲労がレインを襲っていた。立ち上がる元気も足りていなかった。立ち上がる気配のないレインにヴェイルが手を差し出す。

「立てるか?」

「はい、自力で立てます」

 レインはヴェイルの手を見たあと即答した。数秒前の暗い声が見る影もない、そんな気がするほどだった。レインは倦怠感を無視して、宣言通り自力で立ち上がる。そして重い足取りで家のリビングへと向かっていく。2人が部屋に到着した時、ヴェイルは完全に眠っている2人に軽く平手打ちをした。

「んがっ。……あ、ヴェイルか……」

「寝ようとするな。起きろ」

 ジェノは素直に起きたのだが、シモンは無視して寝続けようとしたのでヴェイルは先ほどよりも強い力で顔面に平手打ちをした。

「うぐっ! ……わかった、起きる。マジで起きる。うん。あれ? どうした?」

 シモンは未だ寝ぼけているようなので、ヴェイルは諦めてジェノに話を聞くことにした。その時、ジェノが要件を察した。

「あ、飲み物なら冷蔵庫に冷やしてありますよ」

「オーケー、ありがとう」

 ヴェイルが冷蔵庫を開け、ドリンクホルダーを2つ取る。オレンジジュースの入っている方をレインに手渡し、ヴェイルは自分の酒を見た。興味深そうにそのドリンクを観察し始めた。

「……相変わらず、こういうセンスはあるんだな」

「4日前までは現役だったんでな。それとオレンジジュースを絞ったのはジェノだ」

 何気ないシモンの発言にレインが反応を示した。ジェノに確認をとるように視線を向けて言った。

「本当?」

「うん、本当だよ。俺だけサボるのも悪かったし」

 ヴェイルは酒を一口だけ口に含む。味も問題はなく、シモンに向けて称賛の意を示した。

「最高だ。やっぱりシモンの酒が俺には良い」

「そりゃよかった」

 シモンが軽く笑う。レインも一口だけジュースを口にした。それを飲み込んだ後、ジェノに優しく、そして自然に笑いかけた。

「……美味しい。ありがとう」

 ジェノはその笑顔に少し驚いたが、それを誤魔化すように笑った。

「ああ、どういたしまして」

 和んだ雰囲気の中でシモンがヴェイルに尋ねる。

「あ、そういえば。レインが使ってたあの杖って有料か?」

「いや……あれはもう昔の杖だからな。そのまま持って行って良い」

「……なんかあるのか? かなり状態も良さげで、手入れも行き届いているのに?」

「決して他意はない。使えなくなったものを俺が持ってても仕方がないだけだ」

「でもレインは使えてるぞ? それに、お前も使えないものをわざわざ手入れするような奴じゃ——」

「……バカが。それ以上訊くな」

「えぇ……?」

 突然の罵倒にシモンが本気で困惑する。ヴェイルはわずかな嫌悪感を抱いてシモンを睨んでいたが、それはすぐに呆れや諦めの類の表情に変わった。

 そんなヴェイルの様子を見て、レインは自分の手にある杖をまじまじと見つめ、本当にこれを貰うべきかを迷った。今見てみると、その木製の杖には使い古された跡が所々に残されている。

「あの、先生……本当に良いんですか?」

 ヴェイルはレインではなくその杖を何処か物悲しさを感じさせる眼差しで見つめている。それから静かに頷いただけで、言葉で返答する事はなかった。ジェノはその事情に関して詳しく知りたいという好奇心が湧いたが、残った理性が聞くべきではないと判断して黙る。

 雰囲気がどこか重くなり、何かを話す雰囲気ではなくなった。ヴェイルは席を外す旨だけを伝えた後、リビングから立ち去っていく。テーブルに置かれたグラスにはまだ酒が残っていた。シモンがわけもわからないままその背中を見送った。

 ジェノはヴェイルの後を追いかけようとしたが、その背中を見るとそんな気も失せてしまった。普通じゃない、何か大きな理由がある。それも、恐らくあの杖は誰かが遺した遺物の類だ。少なくとも厄介な呪いが付与されているから押し付ける、といった理由ではなく、彼なりの何らかの思いがあるのだから、レインに託す決断をしたのだろうと思った。

 レインもその可能性を考えていた。大事な人の遺した大事な物を託す、そんな決断が裏にあるのだとしたら、それまでの間にどれだけの苦悩や後悔があっただろうか。レインは同じく大切な人を失った者として、その悲しみを誰よりも早く察知していた。そして、自分も自分なりに前へ進む判断を下す必要があると人知れず思った。

 その上で、2人は深入りしない事にした。


  * * *


 ヴェイルは長い間入る事のなかった部屋に入った。掃除もされていない証拠に、窓から差し込む灰色の光に照らされて、埃が舞っているのがうかがえる。そしてそこに放置されていた家具の全てが埃をかぶっていた。

 ヴェイルが軽く咳き込みながらも、部屋の奥にある棚に着いている引き出しを開ける。その中には、レインに持たせた物とはまた違うデザインの木製の杖が置かれていた。手入れ用の布を使い、杖の表面を拭っていく。金属製の装飾が光沢を取り戻した。元からそれほど使われていなかったのか、その装飾には目立った曇りもなければ傷一つすら着いていない。

 ヴェイルはその杖を真っ直ぐに見つめながら呟いた。

「……魔法なんて、やめるつもりだったんだがな」

 その杖を軽く握る。その握り心地をしばらく味わい続けた後、その杖に向けてどこか物悲しい雰囲気で微笑んだ。

 ヴェイルが引き出しを閉め、その部屋を立ち去った。杖はその手に握られたままだった。リビングまで戻ると、3人が変わらずの立ち位置でいた。どこか雰囲気は重く、誰も一言も発しなかった。ヴェイルがシモンの酒の残りを飲む。そこでシモンが、ヴェイルがほぼ新品同様の杖を持っている事に気付きそれを追及しようとする。

「お前、その杖——」

「手本があった方が射撃訓練もやりやすくなると思っただけだ」

 シモンが言い終える前にヴェイルが答えた。自分の意図した質問とは違う返答が返ってきたのだが、それを指摘するのも面倒に感じてきたのでそれ以上は深掘りしなかった。

「レイン、まだ体力は残っているか?」

 先ほどとは一変した雰囲気にレインは狼狽ろうばいしたが、小さく頷いた。

「良し。なら最後の訓練の説明をしよう。また中庭に来てくれ」

 レインが空のグラスを机に置き、不安げにジェノを見る。ジェノは中庭へと早歩きで向かうヴェイルの姿に注目していたので、すぐにはその視線に気が付かなかった。不意にレインの方を見た時にそれに気付き、優しく微笑みかける。

「大丈夫だ。今日まで続けられたんだろ? 今から怖気付く事はないと思うぞ」

「……うん」

 ジェノの意見に肯定はしたものの、レインの不安は拭い切れていない様子だった。結局、ジェノも中庭まで向かう事になった。ヴェイルはジェノの姿を見て怪訝けげんそうな表情を浮かべた後、何も感じていなかったかのように説明を始める。

「最後の訓練は1分以内にマネキンをどれだけ破壊できるか、というものだ。これは魔力操作と攻撃動作の全てを鍛える目的がある。まずは20体を目標にして、そこから次第に数を増やしていく。破壊したのは後々再生するから、破壊するスピードは心配する必要はない」

 レインは周辺にあるマネキンの数々を見た。全部で25体いる。目標が20体なので、3秒に1発、十分な威力を備えた弾丸を命中させる事が前提となるのだが、今のレインにはそれが難しく思えてならなかった。

「とりあえずやってみろ……この砂時計を逆さにしてから、丁度1分で落ち切るようになっている。ジェノ。頼めるか?」

 傍観していたジェノは、突然役目が回ってきた事に一瞬追いつけずにぽかんとしていた。すぐに我に帰るなり、驚愕の表情でヴェイルに確認する。

「え? 俺がやるんですか?」

「ああ。ちょっと別件があるんでね」

「あー、ああ。わかりました」

 ヴェイルが中庭から立ち去った。ジェノが砂時計を持ち、レインの顔を見る。レインが杖を構え、頷いた。ジェノが砂時計をひっくり返し、同時にレインが魔法弾を構えて放つ。マネキンが1つ壊れた。レインがまた次の魔法弾を準備するが、威力を加えるために時間をかけなければならない事をわずらわしく感じたが、それでも諦めずに撃ち続けた。

 砂時計の砂が落ち切り、ジェノが合図を送る。レインが放とうとしていたその1発を抑えると、杖を下ろした。

「1分で破壊数17。いきなり目標が近いんじゃないか?」

 ジェノはレインが呼吸を乱している事に気付き、砂時計を置いて駆け寄る。ジェノが声をかけると、レインは笑顔で答えた。

「大丈夫か?」

「うん……でも、息が続かない」


 ——魔力と呼吸は密接に関わっている。


 不意にヴェイルの言葉を思い出す。レインはこの訓練に精密さや威力だけでなく、自身の持久力も同時に問われているという事実に気付き、改めて訓練の難易度の高さを目の当たりにした。

「ジェノ。もう一度お願い」

 呼吸を整え、レインが再び杖を構えた。ジェノもそのやる気に満ちた目を見てから止めるつもりはなかった。そしてジェノが合図と共に砂時計を返し、またレインが魔法を放ち始めた。放たれた魔法弾が何度もマネキンを破壊し、その破片を空中に散らす。しかし一度切らした体力ですぐに再開したのもあり、初めの1回よりも早く息切れを起こし、レインの動きが鈍くなっていく。

 結果は案の定、先ほどよりも目標から遠ざかった成績となってしまった。レインはもどかしさを感じたが、それはすぐに落胆に変わった。ジェノもレインの体力切れには薄々勘付いていたので、これが持久力の訓練である事を察した。ジェノがレインを宥めようと試みる。

「レイン、一旦落ち着いて。体力勝負ならそれこそ十分な休憩を挟まないとダメだ」

 レインは悔しさと悲しさを感じたが、素直に頷いた。ジェノが軽く笑うと、地面に大の字になって転がる。中庭ではヴェイルが結界を張り巡らせているお陰で雨に濡れる事はない。見上げてみると、自分に降りかかるはずだった雨が透明なドーム状の結界の上を流れていくという、何とも珍しい様を見る事ができる。

 レインも何をしているか気になったので、それを真似して寝転がった。そしてその不思議な光景を見て、小さく驚きの表情を浮かべた。耳を澄ませば、雨粒が弾ける音が何度も聞こえてくる。透明な結界の上を雨水が流れ行くその景色は、今考えている感情でさえも全て流してくれるような気がする。それに心地良さを感じて、深くその景色に見入っていた。

 レインがジェノを見る。ジェノもそれに気が付いた。互いに見つめ合う形になったので、ジェノはどこか気まずさを感じてジェノが慌てて空に視線を戻した。

 レインが身体を起こしてジェノに近づく。ジェノの視界の端からレインの顔が覗き込んできた。ジェノが顔をほんのりと赤くして、またレインの顔を見る。

「……どうした? ちょっと、怖いんだけど」

「ううん。何でもない」

 レインが微笑みかけ、小さく首を傾げた。ジェノは意味も分からずにレインのその穏やかな様子を見ていた。何か特別な意図もなさそうに見えたので、ジェノも深く考えるのをやめて微笑み返して、自分の頭を軽く掻いた。そして、ジェノは話題を逸らした。

「……続き、やるか」

「うん」

 レインは楽しそうにしている。ジェノは余計にレインの事が分からなくなったが、あまり気にせずに身体を起こし、砂時計を手に取る。レインも地面に置いていた杖を握り、再びマネキンを視界に捉えて構えた。


  * * *


 シモンがヴェイルと向き合う形で客室の椅子に座り、昔の事を話しながらコーヒーを飲んでいる。再会したきっかけは奇妙であったが、しばらくぶりに出会えた事は互いに嬉しく感じていた。話題が数時間にもわたって尽きる事がなかったのはそのためだろう。

 2人は揃って砂糖やガムシロップなどを入れる事はせず、ブラックのままでそれを喉に流し続けている。ヴェイルがシモンに向けて、カップを置いてから突然真剣な表情になって話し始める。

「シモン。話がある」

「……何だ。妙に深刻そうな雰囲気だな? 何か悩んでいるのか」

「喋る必要も無いし、喋りたくも無いと思っていたが、そうもいられなくなったようなのでな。お前ら、ルシェロから出るって言っただろう?」

「そうだな。無理に戦うつもりはないし。……それが何かあるのか?」

「……それは無理だ。狙われている状態で門番を抜けられると思わない方が良い」

「唐突だな。何でそう思う? そして何故知っている?」

 シモンも空になったカップを置き、ヴェイルの目を真剣な表情で見る。

「俺は元衛兵だって話はしただろう。あいつらは駄目だ。既に『白い彼岸花』に支配されていると言っても良い。俺が辞めたのは、正式に解雇状を出して貰って辞めたわけではなくてただ逃げただけだ」

 シモンが頭を抱え、ヴェイルに一旦止まれという意図で右手を挙げて見せた。

「待て、色々一度に聴き過ぎた。少し整理させてくれよ」

「要するに『白い彼岸花』に狙われているのは俺も同じである事と、『白い彼岸花』が存在する限りルシェロは奴らの支配下にある事。この2つが分かれば良い」

「でも……じゃあ、待てよ……じゃあ何で通りすがりの人に捕まるとか、そんな事も無く俺らはこの家まで来られたんだ? 俺も、お前も」

「奴らは一般人まで大々的に支配していない。実際、お前らはいきなり民間人に殴られるなんて事はなかったはずだ」

「……つまり、裏で手を引いてるって事かよ。面倒だな」

 ヴェイルがカップを再び手に取ってコーヒーを飲む。一息ついてからシモンに諭すように言った。

「……お前らの目標がルシェロから出る事である以上、戦いは避けられない。無論、今まで隠れ続けた俺もこの先安全にいられる保証はない。その点で考えれば、先に戦闘訓練を受けるよう俺を訪れたのは幸運で、そして懸命な判断だったな」

「マジかよ、クソったれめ……。あんな大人数と戦うだと?」

「安心しろ。軍勢の処理は俺がやる。というより、俺は戦いたいんだ」

 シモンはヴェイルをいぶかしむ様子で睨む。ヴェイルが自分から戦いたいと言い出す事が予想外だった。昔から好戦的な印象はなく、例え仲間が重傷を負ったとしても、相手を恨む様子も無い人間だったのだ。動機が分からないために、シモンが抱いた不信感は今まで親しかった相手と言えど非常に大きなものだった。

 シモンは確認をとろうとしたが、その当惑を隠し切る事はできなかった。

「お前が戦いたいなんて言い出すとは、なぁ? どう言う風の吹き回しなんだ?」

 ヴェイルは何かを睨みつける。今目の前にある現実の物を見ているわけではなく、ヴェイルは思い出してしまった情景を目に浮かべ、それを睨んでいた。

「レイン……あの子と、あの少年があの子を必死に守るのを見て思い出した。俺にも守りたい人がいたんだ。その代わりなどではない事は、自分でもわかっている。……俺は愚か者だ。理解した上でも、その姿を重ねずにはいられなかった。そしてそれを見る度に、こう思う自分がいるんだ——」

 ヴェイルが確かな拒絶を含めた声で、力強くシモンに伝えた。

「『奴らを許すな。忘れるな』……ってな。特にあのイカれたリーダーの『カルロ』とかいう奴は、絶対に忘れられない」

 シモンはヴェイルが放った深い敵意を感じ、心の底から震え上がる感覚を覚えた。その感情は自分へ向けられているわけではない。それにも関わらず、シモンが長らく忘れていた恐怖心が本能としてシモンを刺激した。

 自身の呼吸が無意識の内に震えているのを自覚する。無言のまま、ある種の決意で暗く輝かせた瞳を見ていた。

「……まぁ。お前らがルシェロに滞在すると言うのなら、話はまた変わってくるな。流石に俺1人では太刀打ちできない。その時はそっちが生き残れるように協力する」

 ヴェイルが立ち上がり、思い出したように穏やかな表情を取り繕ってからシモンを見た。それでも、シモンは無表情を装う事で精一杯だった。

「……誰かに思いを打ち明けるのも、悪くはなかったな。この事は今まで忘れていたつもりでいたが、いざ話してみれば少し楽になれた。ありがとう」

「……あー……どういたしまして?」

 シモンは適切な返答を考え出す余裕が無かった。ヴェイルは小さく笑うと、中庭まで歩いて行こうと部屋の扉に手を触れ、最後にシモンを見てからその場を立ち去った。

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