第2話 妄信者

 パドロと言う名の男が一人で雨の中を歩いている。ジャケットについているフードを被り、雨で頭部が濡れないように保護しており、衣服全体に防水加工も済ませてあるので身体中を冷やす心配もない。多少は風向きの影響で雨粒が顔に降りかかる時もあるが、さして気にする程の事でもなかった。

 パドロはとある酒場に向かっている。ただし、それは昼間から酒を飲むためではない。その店主に用があるのだ。

 店の前に立ち、木製の扉を軋ませながらゆっくりと開ける。カウンターに立っていたシモンがパドロの来訪に気付くと、パドロが席に着く前に、そして扉が閉まる前に神妙な顔をして言った。

「注文は?」

 パドロがフードを外し、カウンターに近づこうともせずに答える。

「シンプルなコーラを一杯」

 それを聞いたシモンが何かを思い出したかのように、静かに笑う。パドロは普段とは違う挙動を見せたシモンを不審に感じ、それを問うた。

「何かあったのか? 急に笑うなんて珍しいな」

「なんて言うべきかねぇ。……運命ってのを信じたくなったんだ」

「何を言いたいのか分からないな」

 パドロの言葉に対して返す言葉を探し始めるシモンに、「いや、答えないでくれ」とパドロは釘を刺した。そして言われた通りシモンはそれに関して考えるのをやめた。

「で、何を聞きに来たんだ? わざわざそれを頼むなら、相当大事な事なんだろ?」

 パドロが席に着き、シモンの問いに対して真剣な表情で答え始める。

「ああ。ある人を探しているんだ。前々も言ってたかもしれないが」

「あ? あいつに続いてお前も探しものかよ。全く、同じ系統ばっかじゃあこの仕事もすぐに飽きちまうぜ」

「だから、何の話だ?」

「気にするな。意味もない独り言さ」

「……まぁいい。で、探してるのはこいつだよ。俺の力じゃこれが限界だった」

 パドロがシモンに写真を複数枚見せる。どれも同じ人物が別々の角度から写されており、雨の中で撮影されたようだ。周囲の明るさから察するに、別々の時間帯で撮られているのもわかる。それも、正当性を感じない——いわば、尾行や盗撮の類だろう。

「おいおい。自分でそこまで写真撮って容姿も把握できているんだろ。それだけ十分に……いや、それ以上に追跡できるのに、そこまでした後に俺に頼む理由は何だ? しかも今まではずっと輸入品のルートを知りたいとかその程度のことだったのに、突然主題が変わりすぎだ」

 シモンが完全にパドロを怪しんでいる表情をして、その目を睨む。パドロは怯む事なく、逆に威嚇し返すように鋭い視線をシモンの目に送る。

「一筋縄じゃ行かなかったってだけは言っておく。シモン。お前がやっているのはただのサービス業だ。ただ客が求める物に応えれば良い。俺にそこまで話す義務があるのか?」

「そう言われりゃそうだが、俺だって金のために誰彼構わず客にする主義じゃないんだよ。お前が手に入れた情報を完全に悪の方に向けるって言うのなら、俺は絶対に渡さない」

 パドロが不満そうにシモンを見た。

「今まで何度も情報を売った相手だろう。今更何をそこまで警戒する必要がある?」

「はっ。一度裏切らなかった人間がずっと裏切らないとでも思うかよ。普通の社会も相当似たような事が言えるだろうが、人間を簡単に信用できる世界じゃねぇんだよ。俺の専門分野じゃあ尚更な」

 空気が張り詰め、互いが互いへの威圧感を高める。その時、酒場の扉が勢い良く開いた。一気に二人の表情が落ち着いたものに切り替わる。新しく入って来た客に対して、シモンは愛想よく笑みを浮かべた。

「いらっしゃい——お、あんたか。またビリヤードのリベンジか?」

「それも良いけど、今日はただ喉が渇いただけだよ。新作ができたって聞いたんで、ちょっと気になって来たんだ」

 客とシモンがそんな会話を続ける中でパドロは席を立ち、シモンに向けて言った。

「また後で来る。話の続きはその時に」

 パドロが立ち去ろうと扉に手をかける。客の手前、シモンはその後ろ姿を拒絶するわけにもいかなかった。ただ、返事は最低限だった。

「ああ」


  * * *


 夕暮れに近づいた頃、ジェノとレインはシモンの酒場を訪れた。ジェノはレインが着いて来る事に疑問を感じたが、それを訊いてもレインは沈黙するばかりで何も答えなかった。

 シモンは開かれた扉の先にいるジェノの姿を見るなり愛想笑いをしたが、その顔もすぐに曇ってしまった。会うのはこれで2回目であるはずなのだが、流石に様子がおかしい事はすぐにジェノも察した。敬語は使わなくても良い、と言われた憶えがあるので、敬語を使わずに話しかけた。

「どうしたんだ? もしかして、部外者と話せないとか?」

 シモンは視線をレインに向けている。レインは反射的にジェノの後ろに身を隠した。

「……いや。ジェノ、何の用だ? 取引の返事なら後2日待てるぞ?」

「違う。『白い彼岸花』っていうのが結局よく分からなかったから、それを聞きに来たんだ。勿論タダでとは言わない。現金なり店で働くなりで返すよ」

「なるほどな」

 シモンは長考するふりをして、途中から別の事に関して考え込んだ。仮説をある程度組み立てた後、ジェノに話し始める。

「なあジェノ、少し重要な話になるんだ。ちょっと耳を貸せ」

 ジェノがカウンター席に座り、レインはその右隣に続いて座った。ジェノがシモンに文字通り耳を向けると、シモンが真面目な顔をして言った。ジェノが昨日どことなく感じていた気さくな雰囲気が、シモンから喪失していた。

 横目でそれに気付いたジェノは重要な事態が起こっていると直感してつばを飲んだ。

「いいか、単刀直入に言うぞ。あんたが連れている嬢ちゃん、狙われてる。多分な。理由は知らないけど、とにかく誰かにつけ回されてる」

 ジェノが固まる。驚愕のあまり呼吸を一時的に忘れてしまった。少し息苦しさを感じてからようやく深く息を吸う。

「落ち着け。まだその子の所在とかはバレていない。狙っている奴はその『白い彼岸花』に関係している人物だ」

 ジェノがいぶかしさを感じている事を全面的に押し出した表情でシモンを睨む。

「……何でそんな事を知っているんだ?」

「それに関する話が持ち出されたばかりなんだ。まさかお前が連れているとは思わなかったけどな。もしその子を大事に思うなら、『白い彼岸花』についてはもう忘れろ。探すんじゃない」

「……? 何を言っているのか分からない。仮にそれが本当だとして、今はどうしろって言うんだ?」

「アイツは後でもう一度ここに来ると昼頃に言っていた。しばらくはあの子の身を隠せ。以前から面識があるが、執着心がヤバい。そんな奴がつけ回すなんてするんだから、捕まったら絶対にろくな事にならない。だからお前にビジネスとかそう言う事情抜きで、善意100パーセントで手を貸してやる」

 シモンが真剣な眼差しでジェノを見る。嘘を言っている様子はない。他に何かを隠している様子もない。汗まで垂らしながら、本気でジェノ達に手を貸そうとしている。出会ってから時間も経っていないはずなのに、何故ここまで助けようとするのか、ジェノには分からなかった。それでも彼が言った通り、打算的な何かを企んでいるわけでもなさそうだ。

 ジェノは眉をひそめた。そして少しの思考時間の後に軽く頷く。

「話はわかった……けど、ちょっと待て。安全に隠れられる場所なんてあるのか? そこまで言うのなら相手は相当な奴なんだろ。隠れても見つかるまでは時間の問題なんじゃ?」

「……今からでも確実に間に合うならそこの保存庫だな。今外に飛び出せば最悪バッタリ出くわすなんてこともあり得るさ。『白い彼岸花』に関してはその後に教える」

 ジェノは振り返り、外の様子をちらと見る。外は既に暗くなっており、もう出歩くには夜遅い。こんな時間帯に少年少女が歩いていれば逆に目立ってしまうのではないか。そんな小さな考えがジェノの頭を横切った。

「レイン」

 不安そうにしているレインを安心させるために、ジェノはその名をできるだけ優しい声で呼んだ。レインがジェノに顔を向ける。ジェノはシモンに確認をとる。

「……本当に、隠れるべきなのか?」

「ああ。できれば早くしろ。いつ来るか分からない」

 シモンがカウンターの奥にある扉を指差す。ジェノはレインの手を取り、その扉の先へと向かう。その時、シモンがジェノを呼び止めた。

「あ。ちょっと待て。嫌なら無理にここにいろとは言わないし、余程心配ならあの嬢ちゃんのそばにいていいんだが、お前はここにいてくれると助かる。……あいつ、他に客がいると冷静になるんだ。筆談か小声になるから、多分ジェノは直接は関与できない」

 ジェノは立ち止まり、少しの間思案する。その時、レインがジェノの服の袖を軽く引っ張った。至近距離でその姿を見てみると、小さく震えているのがわかった。どうしても不安なのだと思った。まるで「行かないで」と言っているような気もしてくる。

 ジェノはそのレインを狙う人物の姿がどんな物なのか、気になってしまっていた。それでもここを離れる決断は下せなかった。

「……ごめん。そっちにいたらこの子が可哀想な気がする」

 ジェノは断ったが、単に可哀想だからという理由以外にも断る理由があった。それはただの杞憂であると信じて、その事に関してはそれ以上思考しないようにしようとしたが、ジェノの頭はその懸念を捨て切る事はできなかった。

「仕方がない。……俺が合図をするまで、物音を立てるなよ」

 ジェノは頷き、扉を閉めた。レインに静かにいるように言った後、音を立てないように慎重に扉に耳を当て、外の声や物音に耳を澄ませた。


  * * *


 それから5分ほど経過した時、パドロが店を訪れた。シモンが表情ひとつ変えずにパドロに視線を向ける。そして強い嫌悪感をにじませた声を発した。

「……宣言通り、話の続きをしに来たのか」

 パドロはその声に怖気付く事もなく、普通の調子で席に着く。今回はビールを注文したようで、グラスの代わりにジョッキが運ばれ、そこに綺麗にビールが注がれた。それを淡々とこなすシモンの顔は不満と疑念に満ちたままだ。

「覚えていたようだな」

「先に言っておくが、どれだけ交渉しても、金を積んでも無駄だ。俺はお前の依頼を受けるつもりはない」

「おいおい。何で俺をそんなに悪く見ているんだ? 前科があるわけでもないのに、そんな偏見で決めつけるなよ」

「お前の性格を考慮した上で言ってるんだ。俺の調べじゃあ、確かにお前には前科がない。だがそれは、これから作る可能性の否定にはならない」

 パドロがジョッキに入ったビールを全て一気飲みした。ジョッキをカウンターに置き、シモンの顔を面倒そうな表情で見る。

「そんな信用を失う事したか? 心当たりが何も無いな」

「そう思うなら、潔白を証明するために答えてくれ。お前があれだけの資料を自力で集めておきながら、今更俺の助けが必要になるなんてあり得るか? 見失う理由なんてあるか? 何があったのか教えろ」

「見失ったものは見失ったんだ。理由を求められても無いものは無い」

 シモンはパドロを凝視している内に、次第に険しい表情になる。シモンには『白い彼岸花』が研究のために何をしているかまでは知らない。そして仮にパドロが知っていたとしても、組織から口止めでもされていれば今の段階で聞き出す事は不可能だと思った。シモンが無理にその情報を知ろうと動けば、組織全体を敵に回してもおかしくは無い。そう思うとそれ以上の深掘りを躊躇ちゅうちょしてしまう。

 パドロは険しい表情のまま自身を見つめているシモンから、視線を空のジョッキに移し、何かを諦めたように溜め息を吐いた。

「納得したか? ——するわけないよな。俺はこれ以上は話せない。……結局、お前に協力を求めるのは無理だったって事か」

「そう言う事だ。悪いが諦めてくれ」

「……今まで世話になったよ」

 席を立ち、身体の向きを反転させて立ち去ろうとするパドロの腕をシモンが掴む。

「何しれっと出ようとしてんだ。食い逃げならぬ飲み逃げか? 金払ってから帰れっての、最後だからって俺はその辺——」

 パドロが意味深長に笑みを浮かべた瞬間、酒場の壁が轟音と共に破壊された。凄まじい風圧によって、シモンがパドロ諸共吹き飛ばされた。パドロは受け身を取る事に成功し、すぐにシモンの手を振り払う。シモンにとっては突然の状況であったために、反応できず床に頭を打ちつけてしまった。意識が朦朧もうろうとして、パドロを掴んでいた手を離してしまった。

 シモンがおぼろげな視界で、パドロと思しき人物を視界に捉える。パドロは嘲笑う表情で床に倒れたシモンを見下ろしている。次第に視界のぼやけが改善されていき、耳鳴りが静まる。未だ頭の中にもやがかかっているような感覚の中で、シモンが今出せる精一杯の力で踏ん張りながら、パドロを睨む。

「お前……何を……」

「もう用はない。お前に話した事は全て忘れてもらう」

「お前——最初から、殺す気、だったな……!」

 破壊された壁の奥から3人の人影が現れた。店内の照明が全て破壊されているのもあり、雨が降り続けている景色がはっきりと見える。代わりにそれらの人影は真っ暗で何も見えなかった。シモンには立ち上がる力が足りず、床に這いつくばりながら顔を上げる。その時、人影の中の先頭から、年老いた男の声がシモンに向けられる。

「……すまないな。我々に敵対心を示した時点で、我々の目的を知る可能性のある君を生かしておけない。……私の名はランス。その命、私が貰い受けよう」

 男達がどこからともなく杖を出し、それらがシモンに向けられた。自分の死を悟ったシモンが歯を食いしばる。先頭に立つランスが持つ杖の先から光が溢れ出す。1人を殺すには十分な魔力量だ。シモンが諦めかけた頃、カウンターの影から何かが飛び出した。

 ジェノの雄叫おたけびが響く。反射的にシモン以外の4人の人影の視線が全てジェノに向けられる。パドロとランス以外の2人が反射的に魔法を構えたが、その光がジェノを捉える前にジェノは先頭の男の杖を蹴り上げた。同時に溜められていた光が放たれ、天井に雷鳴のような音と共に大穴を開ける。

 同時にそれぞれの顔が一瞬だけ、それぞれの瞳に映し出される。ランスは声から予想できる通りの男の老人だった。それ以外の男は、全員が若々しい人だった。シモン達はそれにわずかに動揺して動きを止めた。

「……お前」

 シモンがジェノを見る。ようやく自分を立ち上がらせる力が取り戻せてきたと感じると、すぐに力を振り絞って両足で身体を支えた。ジェノは焦ったようにシモンに声をかける。

「よしシモン、立てるんだな! 逃げろ! そこだと巻き込まれる!」

「バカ言え……あんた一人で、4人相手に勝てるわけがあるかよ……!」

 ジェノが身構え、シモンも息を絶え絶えとさせながらも拳を構えた。戦えるのか、ジェノは疑問に思ったがそれを口にする暇はない。逃げろと言っても聞かないのだから、その先の責任は本人に取ってもらうしかないと、即座に判断した。

 ランスが咄嗟に伏せるような体勢で杖を取りに向かうと同時に、一人の男が向ける杖からまた魔法が放たれた。ジェノは身体を横に逸らし、シモンは転がるようにして回避する。通過した光がカウンターに置いてある酒瓶を次々と一瞬の内に粉砕していき、また一つ壁に風穴を増やした。

(まずい。レインは保蔵庫にいるのに、このまま魔法を撃たせるのは……)

 それを思考した一瞬の間に、また追撃となる魔法がジェノに向かって飛ぶ。反応が遅れたジェノはシモンに突き飛ばされることで、間一髪かわすことができた。

 シモンが横に退くと同時にもう1発、魔法が何もない空間を突き抜けた。ジェノが慌てて飛び起きる。不意に体勢を崩したシモンの頭部目掛けて、今度はパドロの足が向けられる。シモンは近場にあった割れた瓶に残っていた取っ手を掴み、その破片をパドロの靴底に突き刺した。踏みつける勢いも相まってガラスが深く足に食い込み、パドロが苦悶の声を上げて動きを鈍らせる。反射反応で滲む涙を目に溜めながら、シモンを再び視界に捉える。

 その動きを止めた数秒の間にジェノの拳が顔面に叩き込まれ、パドロが男達の方へ吹き飛んだ。よろめくパドロを杖で殴るようにして無理やり退かし、さらにパドロが吹き飛ばされ、気絶した。男達は再び魔法攻撃の体勢に移る。

「情の欠片かけらも無いのか」

 ジェノが不意に呟く。天井から降り続ける雨がさらに強くなり、局所的にぼやけたような店内の景色が視界に映る。ランスが男達に攻撃を止めるよう合図を出した時、全員が攻撃の手を止めた。そのままランスはジェノに語り始める。

「……その剣は使わないのか? 見掛け倒しか? ハッタリか? それとも、我々には使うまでもないと?」

「いいや、そんな意図はない」

「では、何故?」

 ランスはやや食い気味にジェノに話を持ちかけている。しかし、ずっと隙をうかがっているがそこに攻撃を差し込む時間はない。人数差もある。今仕掛けても蜂の巣になるのは目に見えている。そんな事を考えながら沈黙して、構えを解く事なくジェノは答えた。

「——剣を使って無駄に殺す事は避けたいからだ」

「甘いな。情がないと我々に言うだけはある」

 ランスが再び杖を向ける。男達も続けて杖を構えた。そして次の瞬間、即座に空中を先ほどよりも直径が細くなった魔法が穿つ。これまでの魔法には多少の予備動作があったため、回避は余裕を持って行えた。しかし、この不意打ちを予測し、事前に反応できたのはジェノだけだった。

 反応が遅れたシモンは二の腕の肉を数ミリほど抉られた。肩を抑え、顔を苦痛に歪ませる。それでも動きを止める暇はない。歯を食いしばって足を動かし、追撃を避ける。そのまま割れた酒瓶を手にランスの元へ向かう。

 ジェノがやっとの思いで男の1人の元まで到達し、鞘に納められたままの剣を右に薙ぎ払って杖を弾いた。弾かれた杖に視線を釣られた男の隙を逃さなかったジェノは、男の服のえりを掴み、ジェノに杖を向けるもう一人の男へ投げ飛ばす。

 男の視界は投げ飛ばされた影に遮られ、狙いが定まらなくなる。それを左手で強引に押し除けた次の瞬間には剣の鞘が男の腹部に直撃した。男が崩れ落ち、最後に頭部に回し蹴りを喰らったことで気絶した。

 残された方も、飛ばされた杖を再び握ろうとしたが、ジェノに睨まれている事に気付き、勝機を見出せなくなった。男は壁に開けられた大穴から外へと、まるで熊に出会った一般人のようにジェノを注目しながら、背中を見せずに逃げた。

 ジェノがシモンとランスに注目する。シモンが割れた瓶を握り、それをナイフのようにランスに何度も振るっている。ランスはそれを紙一重で躱しつつ、反撃で魔法を即座に放つ。シモンもその動きを読み、次々と避ける。

 その攻防を繰り返す中、自分だけが取り残された事に気付いたランスが呟いた。

「仕方ない……」

 ジェノがランスの背を蹴り飛ばした。その勢いで、シモンが握る破片にランスの腹部が突っ込み、ランスが鋭い痛みに襲われる。それでも悟ったかのように、そして分かっていたかのように、諦めたような顔をしていた。その表情を歪ませることもなく、静かに目を閉じ、腹部から大量の血を流して絶命した。

 ジェノがシモンを見る。そして報告するように伝えた。

「1人取り逃した。多分だけど、あいつら組織だろ。シモンが話してた、『白い彼岸花』って言う奴。どうする? 俺らの顔は奴らに知れ渡るはず」

 シモンが苦笑しながらその場にへたり込む。

「ったく。店はボロボロ。俺は満身創痍で、さらに組織から狙われるってのか」

 ジェノが保蔵庫まで歩いていく。その奥の方で縮こまっていたレインを連れて、シモンの元まで歩く。そして気絶したパドロともう1人の男に視線を向けた。直後にジェノとシモンが互いの顔を見る。

「もしかして、俺の考えてる事が分かるのか?」

「おうよ。何で最初にお前を信用したのか、やっと分かった気がするぜ」

 レインは何が起ころうとしているのか、全く分からない様子で二人を見る。そんな目で見られている二人が声を揃えて、その案を口にした。

「「尋問だな」」


  * * *


 パドロが次に目を覚ました時、すぐに自身の身体が縛り付けられている事を自覚した。暴れようとするが、きっちりと椅子にロープで固定されているおかげで文字通り手も足も出ない状況に陥っていた。少し慌てて周辺を見ると、段ボールが敷き詰められた棚が色々と並んでいる物置のような場所にいた。自分の隣には仲間の男が同様にして縛り付けられたまま意識を失っている。

 ここはシモンの店の保蔵庫だ。ジェノは念の為レインを棚の裏に隠して、シモンと共にパドロ達に詰め寄る。

「よぉパドロ。随分と滅茶苦茶やってくれたじゃねぇか、なぁ?」

 シモンが凄む。パドロには効果がないようで、逆に睨み返している。

「見逃してくれなんて言うと思うか? お前らからすれば許せる事じゃないだろう」

「それを分かった上で寸分の謝意も無いのかよ、全く。——本題に入るが、お前らは何を目的として俺に近づいた? 協力を拒否したからって殺す必要があるのは何故だ?」

 パドロは軽く笑った。

「答えたところで、お前らは俺をどうする? 殺すんだろう?」

「それはあんたの返答による」

「……少なくともお前らが生きてるなら、俺らは負けたって事だ。そしてここにいるのは俺とコイツだけ。多分、ランスともう1人は殺したんだろう」

 ジェノとレインは既に全貌をシモンから聞いている。ジェノは言葉を詰まらせたシモンに代わって話した。そして、身動きの取れないパドロと男の目の前で、特に深く考える事なくあの商人から貰った干し肉を食べ始める。

「殺したのはランスだけで、若い奴は取り逃した。できれば、全員お前らみたいに捕まえておきたかったんだが、こうするしか無かった」

 パドロが若干恨めしそうにジェノを見る。ジェノは一瞬何故そんな目を向けるのか不思議に思ったが、すぐに干し肉が原因だろうと理解した。しまうにも、食べかけの物を袋に戻すのも気が引けるので、できるだけ素早く食べ切ろうとする。

 それを見せつけているように感じられたパドロが視線にわずかな敵意を滲ませる。その一方でシモンは感心の目を向けていた。ジェノがシモンの視線に気づくと、シモンは悪どい何かを含んだ笑顔を見せた。ジェノはそれを不審に感じたが、それ以上に優先すべき事があるので今は気にしないよう自分に言い聞かせた。

「俺とシモンは、別に拷問する趣味はないんだ。そうせずに済むのなら、それが一番良いと考えている……本当だ。だから、できれば正直に話してくれないか?」

「そうかい。この場にいるのがお前だけだったら、俺は信じてたかもしれないがな。生憎、ここにはシモンがいる」

「おい、何で俺がいちゃダメなんだよ」

 シモンが不満そうな顔を見せる。

「お前は口止めの大事さをよーく知ってるだろう。情報を吐いたとて、利用するだけして結局は殺す気だ。違うか?」

「……1人取り逃したってジェノが言ったろうが。俺らの事はとっくにお前らの上にバレてんだよ。だから現状は今更お前を殺そうが何も変わらねえ。多分だけどな」

 シモンが呆れたように溜め息を吐く。嘘をついている様子はなく、パドロの絶対に話さないという意志が揺らぐ。

「あ。一番大事な事聞き忘れてた」

 シモンが突然、雰囲気をガラリと一変させてパドロに顔を近づけた。

「お前、何であの写真の子を狙ってる?」

 パドロが顔をしかめる。シモンから異常なほどの威圧感を感じられる。パドロは答えるべきか迷った末に、渋々で口を開く。

「あの子は……あの子は、特別だからだそうだ」

 物陰から会話を聞いていたレインの肩が震える。誰もそれに気付く事は無かった。パドロは語り始めると、次第に夢中になったように、取り憑かれたように発話の速度が向上する。さらには、話し方までもが変化しているように感じられた。

「あの子は何もかもが違った。お前は見た事がないだろう? まあ、知るはずもないか。あの子を一目見ると、心が、魂が、一瞬にして全て吸い込まれてしまうような異様さを感じるんだ。美しい? 蠱惑こわく的? 違う。そんなものじゃない。まるで、神話だ。本当の姿がそこにあると感じた瞬間に、その真理を追いかけずにはいられなくなってしまう無限の恐ろしさだ。そんな非合理的なものを感じた時——研究機関の奴らは何を考える? 言わなくてもわかるよな。捕まえて、真理を掴もうとするんだ。何があろうと」

 ジェノもシモンも、黙って険しい顔をしていた。レインは人知れず震えていた。

 ジェノが嫌悪感を露わにしてパドロと気絶している男を睨む。

「……やっぱり、生かすのは危険だ。あの子だけじゃない……いずれは、他の人らも危険に晒すつもりだろう。あの子は普通の人間だ。神話じゃない。お前らのイカれたカルト信仰にこれ以上付き合う事になるのも面倒だ」

 ジェノの事を、パドロはまるで憐れむような目で見ていた。そして静かに笑みを浮かべると、ジェノに向かって諭すように言った。

「そうか……お前はそれを選ぶんだな。まあ好きにしろ。俺の命運はとっくに尽きていたわけだ」

 パドロは椅子に縛られたまま杖を召喚し、右手でそれを掴む。ジェノが飛び退き、臨戦態勢に入ったがそれは杞憂だった。パドロは気絶した男の頭部を器用に魔法で吹き飛ばして即死させた。最後に自分の顎に杖先を向けて、ジェノとシモンに笑いかける。目が眩むほどの閃光と共に己の頭部も消し炭にした。残された首から下の胴体が倒れ、断面から残った血液を吐き出していく。突き抜けた魔法弾が保蔵庫の天井も破壊し、吹き抜けとなって雨を室内に取り込み始める。血と雨水が混ざり、夜闇も相まって曖昧な色になる。

 その瞬間を直視してしまったシモンがまた険しい表情になる。

「冗談きついぜ、こいつは……ここまで来ればただの頭のネジが飛んだ宗教団体だ」

 シモンがジェノを見る。ジェノはその首から上だけが綺麗に失われた2つの死体を見て、呆然と立ち尽くしていた。ふとレインが隠れていた棚の裏へ目を移したところ、レインが丁度影から出てこようとしていた。ジェノがレインを静止させる。

「見ちゃダメだ。……レインが見るには、少しキツいと思う」

 レインは黙ってただ従うしかなかった。部屋の外で轟音を立てながら戦闘していた事も、気絶した2人をここまで連れてきた事も知っている。そして先ほどまで聞こえていたパドロの声が消えた事と、ジェノに見るなと釘を刺された事から、どのような光景が広がっているのかは容易に想像できた。レインは何とも表現できない感情を抱きながら、無惨な姿になった酒場の光景を見た。そして不意に考えた言葉を呟いた。それはレイン自身を含め、誰にも聞こえなかった。

 シモンがもはや見る影もない惨状の酒場を改めて見回し、溜め息を吐く。夜風が落ち着いて雨も弱まったのが不幸中の幸いで、簡単に凍えることはない。だがそれ以外に悩ましい事が短時間で積み重なり過ぎたのが原因で、立ち直る事は容易ではなかった。考える度に湧き出す不満がついに限界まで達して、次々に口から溢れ始める。

「壁や天井は大穴だらけで、床は血みどろ。んでもって仕入れてきた商品はほとんど木っ端微塵だし、挙げ句の果てには組織に命まで狙われる始末だ。何だよこれ。どうすりゃいいのこれ?」

 そんなシモンの状態を見たジェノは心が痛くなった。励ますべきか、謝るべきか、様々な選択肢が頭をよぎった。思考するうちに、ジェノは謝罪の選択をとった。

「ごめん。俺がもう少し早く飛び出す判断をしていれば——」

 ジェノの謝罪を遮ってシモンが発言する。シモンは不満や怒りで顔を険しくしているが、それはジェノやレインが原因であるわけではなかった。

「ジェノは悪くねぇよ。大体、街中でバシバシ魔法を撃ちまくりやがって。何で誰も通報しねぇんだ? しかも今もまだ衛兵が来る気配がない。店がこんだけボロボロになる有様が広がってるんだぞ? 普通治安維持で巡回に来てる奴らが気付くだろうが」

 ルシェロの内部でこれほど派手な戦闘をすれば、基本的には近隣の住民や治安維持のために巡回している警備兵が気付いてすぐに駆けつける。戦闘が大規模であった場合は仲間を招集する関係で到着が遅れる場合もあるのだが、戦闘が落ち着いてから数十分は経過している今も警備兵が来ないのは非常に疑問に残る事だった。

 地域によっては下手にトラブルを起こしたとしても、仲裁や牽制を行う人員を用意できないほど少人数国家である場所もある。ジェノはルシェロがそれに該当する地域であるのだと思っていた。しかし、長く定住しているシモンがそのように言うのであれば、この認識は間違いであったのだろう。

 不意にレインの事が気になったジェノが立ち尽くしているレインに向き直る。その後ろ姿は、初めて会った時のような違和感はもう消えていた。至って普通の少女だ。パドロが言っていた神話的な魅力などは感じられない。ただ、その代わりに物静かな佇まいが重い雰囲気を放っている。

「レイン。何かあったのか?」

 レインがジェノに反応して、振り返ってその顔を見せた。とても暗い表情だった。ジェノが思わずたじろぐ。シモンがすぐに異常を察知して2人の元に早足で向かい、レインに尋ねる。

「どうした? もう敵は居ない。少しは落ち着いたらどうだ?」

「何もないよ。私は大丈夫」

 レインが雨にかき消されてしまいそうな弱々しい声で答える。咄嗟に笑顔を作ろうとするも暗い感情を隠しきれていなかったレインに対して、ジェノは一度溜め息を吐いてから戒めるように言う。

「できればでいい。正直に言ってくれないか」

 レインが黙る。ジェノもシモンも黙って返答を待つ。レインは答えようとしていたのだが、どのように言語化して話すべきかを考えていた。それを2人はどうしても答えたくないという意思だと捉えてしまった。

「……無理に話さなくても大丈夫だから」

 気まずそうにジェノがそう加えると、レインがしゅんと肩を落とした。先ほどよりも落ち込んでいるようで、その原因がどういうものなのか、どうして今さらに落ち込んだのか、ジェノには予想しようがなかった。

 ジェノの言葉にシモンが補足するように繋げて言った。

「話したくなったら、言ってくれ。俺は在庫の整理をしてくる」

 レインは頷いたが、表情が和らぐ事はなかった。シモンはそれに興味を深く示す事もなく、破壊し尽くされたカウンターから保蔵庫へと足を運ぶ。

「ジェノ……その——」

 レインが恐る恐るで、軽く怯えながらでジェノを呼んだが、ジェノの目を見た瞬間に、元々小さかった声がさらに消えてしまいそうなほど聞こえにくくなった。最終的には喉に力が入らなくなり、声が出せなくなった。なぜかとても緊張してしまう。いや、緊張というよりも恐怖しているという表現が正しいだろうか。そんなレインの様子を見て、ジェノができるだけ優しく声をかけた。

「……落ち着いて。無理に話そうとしても辛いだろ?」

 レインは複雑な表情をした。そしてさらに泣きそうになった。返答を間違えたのかとジェノは焦った。助けを求めるようにシモンに視線を送ろうとしたが、とっくにシモンの姿は消えていた。ジェノは溜め息を吐こうとしたが、レインが傷ついてしまうだろうと考えてそれをこらえた。

「ジェノ……」

 レインがまたその名を呼ぶ。

「ん? ……?」

 レインが俯き、ジェノの左手を右手で握った。驚きのあまりジェノの動きが完全に停止した。何の意図があるかは分からない。手に何かをされているわけでもない。ただ握られているだけだ。危害もないのでジェノは特に抵抗することもなかった。

「……その、何だ、どうしたんだ?」

 レインがようやく口を開いた。

「……怖い」

 ——そうとだけ答えた。レインがジェノの手を握る力を強める。それでもなお、その力はか弱いものだった。

「……そうか。……何が怖いんだ?」

 レインはやっとの思いで自身の恐怖心の所以を頭の中で整理し終えた。ジェノに対してなら、話しても良いと感じた。声は相変わらず小さいものの、ジェノと目を合わせてゆっくりと語り始めた。


 ——自分のせいで、自分と関わったせいで周りの人が傷つく事。

 ——自分が関われば危険になるとわかっているのに、自分1人ではとても生きていける自信が持てない事。

 ——信じていると思い込んでいるだけで、心のどこかでは疑ってしまっていた事。

 ——そう自覚しても改善せずにいる事。


 レインは様々な方面に対しての恐怖を全て語った。ジェノは終始黙って、時折頷きながらその話を聞いていた。かけるべき声が分からない。下手に同情を示しても相手を傷つけてしまうだろう。かと言って非難するのは論外だ。ジェノはかける言葉を迷い、シモンも難しい顔をしながら黙っていた。レインもそれに対する答えを急かしたり、静まり返ったこの空間を嫌がっている様子もない。微妙な沈黙だけが雨水と共に流れていく。

「ジェノ……それに、シモンさんも、ごめんなさい。私——私は……」

 ジェノがその様子を見ていられなくなった。ジェノは今までレインの事をどこかで気にかけ続けていたが、その理由の根幹をようやく自覚できた気がした。

「……レインは優しいんだ。出会ってすぐの俺がこんなわかったような言い方をしたら、嫌に思うかもしれないけれど——きっと、今までずっと苦しかったんだろう」

 レインが顔を上げた。言われた事のない言葉だった。

「話を聞く限りだと、レインは今まで自分なりに、1人で背負おうと頑張ってきた。でも自分だけに押し付けないであげて欲しい。限界を無意識の内に悟ったから、助けて欲しいと分かっているから、直したくても直せないんじゃないかって思う。……だから、その。無理はしなくて良いんだ。自分以外にも頼って良いんだぞ」

 レインの目に涙が浮かび始める。何故自分が泣こうとしているのか、レインには理由が分からなかった。ただ、それは精神的な辛さによるものではないのは確かだ。

 人を信じたくない。だが結局1人で抱えられる事には限界がある。レイン自身にも限界が見えていたからこそ、自覚なく誰かを信じたいと願っていた。

 レインは長い間引き留められていた。葛藤という名の沼に足を捕えられ、もう抜け出す事ができないと諦めかけていた。そんなレインに手が差し伸べられたのだ。心のどこかで救いを求めていた彼女には、その手を取る選択肢しか残されていなかった。


  * * *


 保蔵庫の中にまた3人が集まっている。夜は遅く、レインだけが眠りについている。ジェノとシモンは向き合った状態で今後の動向について話し合おうとしている。

「さて、どうする? 逃げるか、それとも戦争するか?」

「戦争ってお前。ただ、逃げ続けてもいずれは戦う事になるよな」

 シモンが保蔵庫から顔を出して、大穴から見える外の様子を見る。やはり人通りはなく、兵士が駆けつける様子もない。大きくため息を吐いて元の位置に戻る。ここでジェノが抱えていた、今回の件でさらに増幅された疑問をやっとシモンに投げかけた。

「そういえば、『白い彼岸花』が助けになるって言ったよな。でもここを襲撃したのも『白い彼岸花』だろ? どういう事だ?」

 シモンが小さく唸り声を上げる。

「あいつらは旅人に資金や案内とかの援助をする代わりに、研究への協力を求めるんだ。どういう事してるかまでは知らなかった……それは俺の落ち度だ。すまねぇ」

 シモンが深々と頭を下げる。シモンの謝罪に嘘はない。

「……そういや、店が潰されたって事はもうシモンとの取引は果たせなくなったな」

「なかった事にしてくれ。結果こうなった挙句、ジェノに命まで助けられちまった。もう面目丸潰れだぜ。何個貸しを作った事か」

 シモンがまた溜め息を吐き、自分の顔面を右手で覆い隠す。ジェノは床の上で眠っているレインを見た。

「レインが狙われている事をいち早く気付けたのは、シモンと会ったお陰だぞ。自覚してないと思うけど、その辺で俺らは既に助かってるんだよ。だから気にするな」

「相殺し切れてねぇだろ、絶対。ジェノが狙われ始めたのも俺のせいだぞ?」

「助けたいから助けたんだ。あの時見捨てていたら、間違いなく全員見つかって殺されていたはずだ。あれはシモンがいたからこそ切り抜けられた」

 シモンはジェノを呆れたような顔で見た。ジェノが首を傾げる。何も理解していないジェノに対して、さらに深い呆れを含んだ視線が向けられる。そしてこれ以上反論してもジェノも反論し続けるだろうと予測したので、大人しく引き下がる事にした。その代わりにジェノに聞こえるように、シモンは独り言を言った。

「甘すぎるぜ。全くよ」

 ジェノは軽く笑うだけで、その独り言に対してはそれ以上の反応を示さなかった。そして表情を真剣なものに切り替えて話す。

「話を戻すけど、やっぱり戦うしかない気がするぞ、俺は。組織の規模がわからないけれどあの戦闘だけで——いや、シモン1人のために4人も派遣されていた事を考えると、全体でそれなりの人数はいるはず。どちらにせよ厳しい事になる。逃げてもジリ貧だし、ルシェロを出られる保証もない。敵が政府に紛れていて、その兼ね合いで政府全体に狙われる事に……なんて事になったら流石に死ぬしな」

「まぁ、そうだろうな。そこに関しては俺も同意見だから……決まりか?」

「ただ、その点だと問題がある」

 シモンには理由が何も思い浮かばないようで、ジェノを不思議そうに見た。

「レインの戦闘能力だよ」

 シモンが口を開けながら大きく頷いた。ジェノはその様子にほんの一瞬だけ恐怖を感じたが、それはすぐに振り払われた。

「いや、ジェノ。それに関しちゃ手っ取り早い方法があるだろ?」

「何?」

 ジェノがいぶかしげにシモンを見る。眉間にしわが寄っていた。

「そのレインって子に戦闘を教えれば良い」

 ジェノは吹き出した。

「いや、無理だろ。あいつらに狙われていて、いつ襲撃を受けるかも分からない状態だぞ。呑気に修行なんて積んでいられないんじゃないか?」

「別に見つかっても実践って事で手助けすりゃ良い。組織側も固まって捜索させるにしても流石に2、3人程度なはず。それ以上増やしても効率が落ちるだけだしな。そいつらを連絡される前に潰せば大丈夫だ」

 ジェノは腕を組み、俯きながら思案する。レインが戦闘訓練を受けるとして、果たして奴らと渡り合えるようにはなるだろうか。少なくとも肉弾戦をさせるわけにもいかない。あの体格では、身体能力を強化する薬や魔法を使わなくてはきっと力で押し負ける。ジェノはそう考えた。

「……戦うとしても、使うのは魔法だろうな。近距離戦で戦える体格じゃない」

「そうだな。だがそれに関しちゃ、良い教師を知ってる。安心して任せてくれよ」

「それ以前に、レインの意思が分からないから何とも——」

 ジェノの後ろに影が伸びる。ジェノがそれに気付いて振り向くと、いつの間に起きていたのか、レインが立っていた。

「私、戦う」

 相変わらずの声の小ささであるが、それにはある種の決意が込められていた。揺らぎのない声だ。シモンが不敵な笑みを浮かべ、ジェノは驚愕で目を見開いた。

「2人を信じる。これ以上、迷惑をかけないために」

「……良し。じゃ、明日連絡取るから覚悟しとけ?」

 レインがぶんぶんと何度も頷いた。シモンの笑みから、どこか不穏な何かを感じたジェノはそれに関して思案し続けていた。嫌な想像をした気がしたが、レインの決意を尊重する意思でそれを取りやめた。

 レインがシモンに色々と質問したが、シモンは詳しい事を何も話さなかった。最初は粘り続けたが、シモンには全く折れる様子がない。やがて聞き出す事を諦めて、再び眠りについた。

「ささ、どっちかは見張りだな。それともどうする? 今から移動して、その教師の元まで押しかけるか?」

 シモンは冗談で言ったつもりだったが、ジェノは唸り声を上げて悩んだ。内心それが一番良い選択肢である気がしてならなかった。シモンが焦ったようにジェノの肩を掴んで揺さぶる。

「おい、まさかとは思うが間に受けてないよな?」

「……正直、それが一番良いんじゃないか? 連絡して、返事待って、移動して……って、時間がかかり過ぎる。それに断られたらまた振り出しだ。第一、相手が受ける保証はあるのか?」

「あー……まぁ、そう言う気持ちもわかるんだが、アポなしで『稽古つけてくれ!』なんて言われたら、まともな人間がまともな反応するとは思えないな。門前払いされる可能性の方が高いだろうよ」

 そう言って若干項垂うなだれた直後、はっとしたように口を開けた。

「……待てよ。あいつなら、むしろそっちの方が——」

「なんだ? やっぱりそれが名案だったのか?」

 シモンは笑顔で答えた。

「ああ。ああ、そうだ! 今から向かうか!」

 シモンの豹変ぶりにジェノが何とも言えない表情で、無言で距離を取った。シモンがジェノに掴み掛かり、ぶんぶんと前後に揺さぶった。ジェノは恐怖と困惑でどうするべきか分からなくなった。

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