第8話 降り積もった負債とビハールの奇策

 午後は、連番ではなかったので、ビハールは体力的にも気持ち的にも楽に担当の空を描くことができた。

 朝一の担当時に気づいた方法も実践してみて、仕上がるタイムが一定して少しづつ早くなっていて、手応えのようなものも感じていた。


「ただなぁ……どうしても単調だと感じちゃうんだよなー…………」


 本日最後の、自分の描いた空を前にビハールはつぶやいた。


 扉を開き時計を確認すると、制限時間まであと十分。


「もう少しタイムが短くできたら……」


 描きたい空が描ける……そう呟こうとして、ビハールは言葉を飲み込む。


「僕がしなきゃいけないのは、とにかく時間までに与えられた指示を守り、正確に仕上げる事。

 描きたい空を描くのはもっと先……」


 言い聞かせるようにそう呟きながら、描いた空をもう一度見つめた。そして部屋の外へ出て、そっと扉を閉じる。


 ふぅ、と一息ついて、ビハールは今日一日を振り返った。

 今日は、朝一は割り振られるはずのないはずの夜の空だったし、午後はパーセンテージが高めの空ばかりで少しキツかったなぁ、と。

 そう思いながら、飛んで時計の下にある出入り口に向かおうとすると、下の方から誰かの叫ぶ声が聞こえてきた。


「俺たちのことをなんだと思ってるんだ!」

「そんなこと今更言われたって無理に決まってるだろう⁉︎」


 雲絵師たちの声だろうか? ビハールは声のしている入り口付近へと急いだ。


「本当に手前勝手で申し訳ない……! だが、こちらも朝からの修正の為に全員がオーバーワーク状態で、その影響は今も続いていて……これ以上の修正が不可能なんだ……!」


 どうやら雲絵師二人と、決定部署の者の声のようだった。


「なんとか近づけてくれないか……? 七十パーセントに……」


 ビハールはその三天使の近くに降り立ち、状況を知ろうと聞いてみる。


「な……何かあったんですか……?」


 ビハールと同じように少し早く終了できた天使数名も、何事かと次々に集まってきた。


「こいつらのミスでな……! 本当は七十パーセントだったんだってよ! オレの担当した空!」

「しかも嵐指定だ。十分やそこらで描けれるわけがない……! あまりの無理難題に彼の次に担当の私にも連絡がもきたんだが……」

「残り十分で七十の嵐の空にするなんて、無理に決まってる……‼︎」


 薄い青い目に涙を溜めながらそう叫ぶ天使は、ビハールより一年前に雲絵師になった先輩天使だった。


「掲示板には十パーセントて書いてあったから、オレはきっちり描いたんだ!

 早めに終わって、休憩室で終業時間までゆっくりしようと思ってたところに、決定部署の奴らが来て……!」


 そう叫ぶ天使を見て、ビハールは思い出した。

 彼は確か、よくエドウィンにも手伝ってもらっている天使だ……


「七十パーセント描かなければならないのにお前は何やってるんだ⁉︎ って……!

 オレはこれまでも時間オーバーのミスが多くてさ……次大きなミスをやったらここに所属してられなくなるかもしれないんだ……!」


 とても他人事とは思えず、ビハールは考えるより先に叫んでいた。


「じゃぁ! とにかく行こう! 僕も手伝うから……‼︎」

「俺たちも手伝うぞ! 急げ!」


 周りにいた数名が協力すると言って、片付けるところだった筆とバケツを持ったまま、その問題の部屋へと向かった。


 バタン! と勢いよく扉が開かれると、そこはとても美しく描かれた十パーセントの雲が目に焼き付くような、夕暮れの部屋だった。


「パーセンテージは七十だな! 嵐指定で間違いないんだな⁉︎」


 一緒にやってきていた決定部署の天使が答える。


「そうだ……!」


 言っている本人もこれは無理だろうと思ってか、苦しそうな表情でそう言うが、


「全体ですか? それとも他に細かい指示は⁉︎」

「南西の方角が濃ければ濃いほど良い!」


 ビハールの問いにもすぐさま答えた。


「とにかく取り掛かるぞ! 少しでも七十に近づけるんだ!」


 一緒にきた天使たちが急ぎバケツを置いて、筆を背から下ろす中、ビハールは一人その方角を見つめていた。


 全員で取り掛かっても普通の方法ではとても間に合わない……何せ七十パーセントのスペースを雲で埋めなければならないのだから……


 何か方法は……と考えていて、ビハールは自分の今日の作業から何かを思いついた。


「皆! 僕のやり方が真似できるならやってみて!」


 ビハールは全員の目の前で、白いペンキと黒いペンキを交互に、弧を描くようにぶち撒けた。


「──⁉︎──」

「お前何やって──⁉︎」


 全員が目を見張る中、ビハールはぶち撒けた白と黒のペンキをその場で混ぜながら見事な雷雲を描き上げていく。


「先輩! 先輩ならこの嵐雲と嵐雲の隙間を埋めていけるでしょう⁈ お願いしても良いですか⁉︎」


 この部屋の担当だった天使にビハールは呼びかけた。


「お……おぉ! 任せとけ!」

「乾くまでに描かないといけないけど……手分けしてこうやって描いていったら多分七十に近いとこまでいけます! お願いします!」


 ビハールの声に数人いた天使たちは、すぐさま別の方向から同じように作業を開始した。


 数分して、自分の担当を終えて話を聞きつけたエドウィンがやってきて、その光景を目にすることとなる。


「俺も手伝うぞ! って…………お前らすごいじゃないか、間に合うぞ? これ!」


 雲絵師数人で取り掛かった空は、部屋の片隅に鮮やかな夕陽を残し、嵐へと続く暗い空────


「……できた……!」

「あぁ……!」

「おい、決定部署の! 時間は⁉︎」


 ぼーっと突っ立ってその様子を伺っていた決定部署の天使は、エドウィンの問いにはっとして扉を開けた。


 全ての空調設備は常に快適温度を保つようになっていたが、全員が汗だくになっていて、開けられた扉から空気が入ってくると、妙に涼しく気持ちよく感じられる。


 中央の時計を確認した天使は、驚愕の表情で言った。


「……修了時刻まで残り二分です……!」


その言葉を聞き、そこにいた全員が歓喜の声を上げた。


 ある者は飛び跳ね、ある者たちは抱き合い、またある者たちは手を握り、互いにやり遂げた喜びを祝福し合った。


 エドウィンに抱きつかれよろけているビハールの元に、その部屋担当の先輩天使がやってきて、言った。


「ビハール! お前のおかげでマイナス点にならずに済んだよ……ありがとう!」


「そんな……僕のおかげじゃないですよ……!

 ここにいる全員のおかげです……!」

「みんなも……本当にありがとう……!」


 その様子を見ていた計画部署の者は


「雲絵師の皆さん! 本当に申し訳なかった! 助かったよ、ありがとう!」


 そう言うと、残りの処理をしにいきます、と大急ぎで部屋から出ていった。


 そうこうしているうちに、あっという間に次の時間がきて、そこの担当だった天使は、助けてもらった分次の空を手伝ってから上がるよ、と言ってそこに残った。


 他の者たちは、ビハールも含め、グッタリとしながらもやり遂げた解放感を胸に、その部屋を後にした。





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