第7話 描きたい空を描くのはもっと先

 翌日、ビハールはエドウィンと元雲絵師の天使たちと話をしたおかげか心は落ち着き、いつも通りに仕事場へと向かうことができた。


 昨日は、少しでも理想の雲が描きたくて、エドウィンと一緒に、楽しく描いていた頃を思い出しながら、ビハールは筆を運んだ。決められた範囲もなく、道端やいたる所の壁に、踊るようにして────


 その方がスピードも上がり、理想の空が描けるし、それが自分の『得意な描き方』なのだろうとビハールは思う。

 けれど、エドウィンのように、得意を伸ばすようにはできないな、とも感じていた。


 踊りながら描いていたら、それこそまた、我を忘れてバケツに筆を当ててしまったり、蹴り飛ばしてしまったりしてしまうかもしれない。


 そう考えると、とても『得意な描き方の練習をしていこう』とは思えなかった。


「思うように、描くのはまたしばらく先だな……」


 今日はとにかく、再び分量と時間に気をつけて描こう、そうビハールは心に決めた。天候通達所へと到着すると、いつものように雲絵師達が担当を記す大きな掲示板の前に集まっている。


 掲示板には、名前順にネームプレートが貼られ、その下に本日担当の時間と部屋がわかるように書き込まれている。


 他の天使達より頭一つ分大きいビハールは、何名かにぶつかりそうになり「すみません」と言いながら担当の空(へや)を確認する。


「今日の担当は六回……?」


 ビハールに当てられた担当は、午前の部、一、三、四番目と、午後の部、一、四、六番目。


 ビハールは、まさか失敗した次の日に、ベテランでも大変だという連番を任せられるとは思っていなかった。けれど、連番の空は雲の割合が三十と四十%となっており、百%の曇りが二回続くよりはマシだろう、と思うこととして、


「……よし……!」


 気合いを入れて、ペンキと筆を持ち、担当の部屋へと向かった。


 ビハールが向かったのは、通達所のすぐ横に浮かぶ卵型の建物。

 その内部中央には大きな球体の時計が浮かび、どの角度から見ても時間がわかるようになっていた。そして、その時計を囲むように、卵型の壁に沿って扉が付いている。


 入り口は時計の真下にあり、入ってすぐの階をゼロ階と呼び、そこは休憩所となっていて仮眠室も完備されていた。


 一階から二十四階まであり、ビハールは指定されていた十七階、Fの扉へと飛んで向かう。


 部屋の空の色は、その土地の時間によって色が変わる。青い空に描く時はまだ良いのだけれど、夜の空となると少し難しい。何せ部屋全体も暗くなり、頼りにできるのは月明かりと星明かりのみだから。


 試用期間、夜からはじまる空を担当することはないと言われていたけれど、ビハールが部屋に入るとそこは星空輝く夜の部屋だった。


「え……夜……?」


 星が瞬き、様々な星座が広がる夜空には、前任天使の描いた雲が薄く残っていて、月がかろうじて部屋の隅に位置していて、部屋全体を優しい光で包んでいた。


 夜空に見とれている場合じゃない! と、ビハールは部屋から出て扉の確認をする。


 木製の扉には荘厳な彫りでFの文字が刻まれている。


「部屋は間違ってない……」


 階数は、と自分の立つ廊下の床を見ると、一定の間隔で十七と、数字が入っている。扉と扉の間の壁にも。


 階数も間違っていない。


 じゃぁ自分が掲示板を見間違えた? そう思って急ぎ戻ろうとすると、


「よ、ビハール。掲示板見たぞー! 今日、午前は隣の部屋だな!」


 エドウィンがやってきて隣の部屋の前に降り立った。


「エドウィン……掲示板で僕の担当の部屋を……?」

「ん? あぁ。もう日課だな」


 そう言って苦笑すると、照れるような仕草で人差し指で頬をポリポリかきながら言う。


「泣き虫なお前が、助けてって言ってきたらすぐに行けれるように担当の場所だけはいつも把握してるぞ……?」


 自分だけならまだしも、エドウィンもまでが見間違えるはずはない。すると──僕の担当の部屋はここで間違いない。


「ん? どうかしたのか?」


 ドアの文字を眺めて止まってしまっているビハールを心配してか、声をかけてきた。


「部屋を間違えたかと思ってたんだけど、エドウィンも見たなら大丈夫だね」


 これ以上心配はかけたくないし、昨日の最後の担当は後半が夜になる空だった。だからきっと大丈夫。そう自分に言い聞かせてビハールは言った。


「エドウィンはこの時間の後、休憩?」

「いいや。今日は朝一から連番で、しかも六十、七十の割合。アイツらの采配には、時々超不満だ」


 気持ちゲッソリとしている風のエドウィンは続けてぼやく。


「俺は朝一が苦手だって何度も言ってるのに」

「それは、それだけエドウィンが信頼されてるからだよ!」


 ビハールは、エドウィンなら絶対にできると疑いもせず思ったので、そう言った。するとエドウィンは、荷物を持ったまま、肩をすくめて「さぁ、どうだろうな」と答える。


 担当の空を決めるのには、天候計画部署と雲絵師部署の上の者が関わっている。エドウィンは、間違いなく両部署の期待を受けているだろう。やっぱりカッコイイな、と自慢の幼馴染を思い、ビハールの胸は温かくなった。


「そうだエドウィン、昼休憩は前と後、どっち?」


 また一緒に食事できたら、と思い聞いてみると、


「午前の部の六番目に担当があるから、昼休憩は後だ」

「そっか……僕の昼休憩は前だから、お昼は別々だね、残念……」


 何もなくとも、エドウィンと一緒に過ごせるなら嬉しいビハールは、そう言ってしょんぼりとしてしまう。けれど、昨日のうちに、夕食には誘おうと思い下準備までしていたので、気を取り直してエドウィンに声をかけた。


「それなら……今日仕事終わったら僕の部屋に来てよ。昨日のお礼に晩御飯作るから」

「お、それは嬉しいな! 寄らせてもらうよ」


 笑顔でそう言うエドウィンを見て、ビハールの顔も綻んだ。そしてイレギュラーな夜の空への描き込みに向けて、覚悟を決める。


「約束だよ! じゃあ僕行くね。前任者の描いた空を見ながら、どんな雲を描き込むか考えるよ」

「おぅ、頑張れよー!」

「うん!」


 笑顔で再び部屋に入ったビハールは、美しい夜空を前に気合を入れ直す。


「よし! 描きたい空を描くのはもっと先……」


 バケツを置いて深呼吸をし、今はとにかく指定通りの空を描くんだ。と意識して、筆を走らせた。


 一番目の空はなんとか数パーセントの誤差が出たものの、時間通りに完了した。次の休憩時間では、終わりがけに少しエドウィンの作業を見学させてもらい、その足でビハールにとっては初めての連番の空に取り掛かる。

 連番初めの雲は、少し濃くなりすぎて規定を上回ってしまったものの、時間内には終わることができた。次の空は、先程濃くしてしまった分を調整しながら仕上げると、時間もちょうど、パーセンテージも誤差なしに仕上げることができた。


 昼休憩を取りに食堂へ向かうために吹き抜け部分に向かうと、ビハールは次の部屋に向かうエドウィンと出会った。


「よ、今のところ上手くできてるみたいだな!」

「なんとか、ね」


 ビハールは苦笑しながら答える。


「ところで、なんだか今日は慌ただしいみたいだ。指示間違いか、確認不足かはわからないが。お前も気をつけろよ? しっかり昼休憩取って、午後の担当で何かあったらちゃんとヘルプ呼ぶんだぞ?」

「うん、そうするよ。エドウィンも頑張りすぎないでね!」

「おう!」


 元気よく答えて上階へと向かうエドウィンを見送り、ビハールは食堂へと向かった。


 食堂は通達所のすぐ横にあり、いつもならもう決定部署の天使たちも来ている時間なのだが、今そこにいるのは雲絵師の天使たちだけだった。

 そして通達所の向こう側、決定部署の方からは何やらざわめきが聞こえてきている。


「やっぱり今日の采配は…………」


 何かミスだったのかな、と呟こうとしてビハールは言葉を飲み込んだ。

 自分が昨日した失敗を考えれば、僕が言って良いセリフではない、と。


 自分は次から同じような失敗をしないよう気をつけるだけだし、それは彼らも同じだろうから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る