第4話 天使の羽
️「本当に……すみませんでした……!」
手を掴んだまま真剣な顔をして謝るビハールに、気圧されたかのようにその天使は手を振り払い、叫んだ。
「次……失敗したらお前の背から羽を一枚もらうからな!」
天使の羽は力の源。天使の命の結晶と呼んでも過言ではないもの。
受け取った者は幸運を手に入れ、渡した者は運気や生命力が下がるとも言われている。
余程のことがない限り羽は抜け落ちるものではなく、意図的に抜く場合には、気絶してしまう程の痛みを伴い、身体に大きな負担がかかると言われている。
「そ……それはっ……僕の一存では決められないことですよ…………」
遠い昔には、自由にやり取りがされていたという天使の羽。ある時、羽を与えすぎたがために消滅してしまった上天使がいたらしく、その事態を重く見た天使を統括する者たちが『私的な羽の譲渡を禁ずる』というルールを設けたのだと、記録も残っている。
そのルールが作られて以来、自然に抜け落ちることのない天使の羽のやり取りは、全く見られなくなっていた。
「部署の部屋に飾ってやる! そうすれば、お前がまた何か失敗しても、うちの連中が迷惑を被ることも少しは減るだろう……!」
「……!……」
自分の周りの者のためにそう言い出した彼に、ビハールは何も言えず、黙ってしまった。その時──
「なーにやってんだ、お前ら! 羽のやり取りは公に禁止されてるだろー?」
ビハールの背後、計画部署の天使達がたむろしているその向こう側から、仕事を終えたらしい、エドウィンの声が聞こえてくる。
「どいたどいた、俺たちは飯食ったらもう一仕事行かなきゃならないんだから! な、ビハール――」
そこに集まっていた天使たちを遠慮なく押し退け、嬉しそうに駆け寄ってくるエドウィンだったが、水浸しのビハールを見て、はっと心配顔になって話しかけた。
「お前……水かけられたのか……?」
ビハールは一度目を伏せて小さく頷くが、すぐにエドウィンの目を見て言う。
「……僕が自分で被ったのと同じだよ!
僕があんな失敗しなければ彼らだってこんなことしなかっただろ?
だから、これは僕が自分から被った水なんだ……!」
その言葉を聞いて、そこにいた全員が目を丸くしてビハールを見た。
「お前――。しょうがないな、もぅ……」
と、苦笑しながら小さな声でつぶやいたエドウィンは、計画部署の連中を一瞥して言う。
「ここ天界の水は、余すことなく聖なる水。ビハールが清められるのは良いが……なんならお前たちも被ったらどうだ? 詰め寄るより良い案が浮かぶかもしれんぞ」
そしてパチンと右手の指を鳴らすと──どこからか風がやってきて、螺旋状にビハールを包み込む。
それは柔らかくふんわりと良い香りがする春の風のようで……風が去るとそこに残ったのは、すっかり乾いて花のような良い香りのするビハールだった。
「……すごい……! これって中天使の力だよね……⁉︎
エドウィン、いつのまにこんなことが……?」
「みんなのおかげだよ。みんなが俺を頼って仕上げを任せてきてくれたから……沢山の空の仕上げを手伝うことでランクが上がったんだ」
そう言って苦笑すると、くるりと計画部署の天使達の方を見て、エドウィンは言った。
「まぁ、アレだ。俺だって初めの年、散々だったのは皆知ってるだろ? もう少し、待ってやってくれないかな。俺が補償するぜ?
コイツは俺より凄くなるって!」
エドウィンがそういうなら……と口々に言って、計画部署の天使達は昼食を取りに行ったり、席に着いたりしていった。
「ふー……。連中もなぁ、もう少し気長に見てくれると助かるんだがな。
あっちの部署とこっちの部署、やることが違って練習や勉強の仕方も違う。成長の速度だって個人で違うんだからさ」
両手を腰に当て、少し呆れたように言う。
「ところでもう食べ終わったのか? よかったらデザートでもつまんでけ! 奢ってやるから!
糖分もしっかり補給して午後の担当の時間に備えないとな!」
ビハールは、エドウィンが昼食をとる横で始末書を書き上げた。デザートにと渡されたカットフルーツの盛り合わせを食べながら。
そして、仕事おわりに一緒に買い物へ行く約束をして、それぞれ作業へと戻った。
雲絵師の仕事はどんな失敗をしようとも、その日の担当からは外されない。
その理由は人員が足りないからだが……かえってよかったとも、ビハールは思っていた。
初めての失敗の後、震える手で描き上げた空。
とても理想のものにはほど遠かったけれど、それでもちゃんとできたんだという自信につながったから……。
天候通達所にて、次の担当時間の確認をしにきたビハールに、決定部署の天使達が揶揄を飛ばす。
「これ以上仕事を増やすなよー! ビハール!」
「今度は失敗してくれるなよー!」
何を言われても、もっともだと思っているビハールは黙って自分の担当を確認する。
気にはしないと決めても、言われた言葉はビハールの心(なか)に降り積もる。
けれど自分はそれさえも乗り越えていかねばならないのだと、必死に前を向うと筆を背負い、バケツを手にしたその時……
「お前たち! 雲絵師たちの力量を感じ見抜き、仕事を振り分けるのが我々決定部署の仕事!」
天候決定部署の上天使がやってきて言った。
「この度の失敗は、自分たちの負債でもあると心得よ!」
ザワザワと決定部署の天使達が立ち上がり姿勢を正す中、上天使はまっすぐビハールの元に向かってやってきた。
「ビハールよ、気張らず研鑽を積むが良い。お主の内包する能力は確かな物なのだから」
柔らかく光り輝くその笑顔に、降り積もった負の言葉は限りなく消し去られ、ビハールの心は明るくなる。
「……ありがとうございます……!」
その日残り二回の担当は、指示を忠実にこなすことのみに集中し、なんとかこなすことができた。
けれど、ビハールの心にあるのは『これじゃない』という想い……。
何故なら、空の美しさのおかげで生きる気力が湧いたという話を、エンジェルロードを昇ってきた魂達から聞いたこともあり、雲絵師の仕事は指示通りにすることはもちろんのこと、地上の人々が見上げて心癒されるようなものにすることも大切な仕事だと思っていたから。
筆とバケツを片付けたビハールは、エドウィンと一緒に天界で一番大きなショッピングセンターへと向かった。今日は、あれ以上の失敗がなかったことを話しながら。
「後の二回は無事にできたみたいだな?」
「……うん……」
「納得はいってない、か?」
「…………」
こんな、試用期間もまだ十日程度の自分が、納得のいく空を描こうだなんて、烏滸がましいにも程があるということはわかっている。
エドウィンだって、失敗の話こそ聞いたことがなかったけれど、慣れるのに数ヶ月はかかったというのは聞いていたから。
「なんでだろうね……僕はきっと欲張りなのかな……もっと素敵な空を描きたいって思ってしまうんだ…………」
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