第29話 馬車

 市場の喧騒が徐々に高まる中、リサリアと健斗はエレナを安全な宿に残し、朝早くから馬車探しに出かけた。健斗は異世界から来たばかりの新鮮な視点で、リサリアは侍女としての経験を活かし、二人は馬車屋を渡り歩いていた。


 リサリアの顔には緊張の色が浮かび、健斗も焦りを感じていた。エレナの体力のなさから徒歩や馬での移動は無理だと判断し、安全を確保するためにどうしても馬車が必要だった。「これはどうですか?」健斗が指差したのは、緑色の塗装が剥げかけた古めかしい馬車だった。屋根はあるが、扉はなく、内装も見るからに古びている。


 リサリアは首を横に振った。「いえ、これではダメです。エレナ様が狙われていることを考えると、もっと隠れられる馬車が必要です。」健斗は深く息をつき、次の馬車屋へと足を運んだ。


 次に目にしたのは、赤と白のストライプが目を引く馬車。扉はないが、屋根とカーテンがあり、内装もそこそこに保たれていた。「これなら、少し手を加えれば…」健斗が値段を聞くと、金貨150枚という値がついていた。買えるかもしれないと思ったが、リサリアが扉付きの方が良いと却下になった。


 その後も色々な馬車を見て回るが、なかなか満足のいくものが見つからない。健斗が「あれはどうですか?」と指を差すと、リサリアは首を振った。「いいえ、それでは目立ちすぎます。」


 次に見つけたのは、色あせた青の塗装が施された小さな乗用馬車だった。健斗は売り手に近づき、値段を聞いた。金貨200枚という答えに、彼は顔をしかめた。「もう少し安くできませんか?」と試みるも、売り手は頑として譲らない様子だった。そこでリサリアが前に出た。彼女は胸元をわずかに開け、商人の目を捉えながら、甘い声で言った。「私たちにとっては大切な旅なのです。どうかご検討くださいませんか?」


 商人は一瞬ためらった後、リサリアの瞳に見入った。そして、金貨190枚での取引を提示した。リサリアはさらに、「高級クッションを付けてくれたら」と懇願し、商人はついに折れた。


 取引が終わると、リサリアは健斗に向かってドヤ顔をした。健斗は彼女の頭を撫で、「よくやった」と褒めた。一瞬、やっちゃったかと思ったが、その手を握り、彼女の手の温かさに満足していた。


 二人はエレナの待つ宿へと急いだ。馬車は中古で内装が傷んでいたが、屋根付きでエレナを隠すには十分だった。宿に戻ると、健斗はエレナに報告した。「エレナ、これで安心して旅を続けられるよ。」エレナはほっとした表情を浮かべ、「ありがとう、健斗様。そしてリサリア、ありがとう。」と感謝の言葉を述べた。


 その夜、宿での食事が終わり、三人は部屋でくつろいでいた。健斗はふと、エレナがいつの間にか自分を「健斗様」と呼ぶようになったことに気づき、心の中で寂しさを感じていた。リサリアとの距離も縮まらないまま、彼女が侍女として距離を置いて健斗に接してくることに違和感を抱いていた。


 その夜、健斗は再び二人に向かって提案した。「ねえ、エレナ、リサリア。様付けをやめないか?」エレナは驚いた表情を浮かべ、「どうしてですか?」と尋ねた。健斗は微笑んで答えた。「エレナが最初に僕のことを健斗と呼んでくれてたのが嬉しかったんだ。それに、リサリアとももっと対等に話したい。僕たちは仲間だろう?」


 これまでと違い【僕】と言って反応を見た。


 エレナは一瞬戸惑い、そして微笑んだ。「わかった、健斗。でも、それはリサリアがどう思うかにもよるわ。」


 リサリアは少しの間沈黙した後、健斗の目を見つめて言った。「…わかりました、健斗様。私も、いえ、これからは健斗と呼ばせていただきます。」


 健斗は満足げに頷き、三人の間に新たな絆が生まれたことを感じた。これからの旅がどんな困難に満ちていても、彼らは一緒に乗り越えられる。そう信じて、夜は更けていった。

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