作戦は計画的に
「あんな冷血男と結婚するくらいなら死んだほうがマシよーーーーー!!!!」
絶望に塗れた声がテオドアの屋敷に木霊した。
キッチンで料理の下拵えをしていた料理人はその大声に驚いて思わず手元が狂いそうになり、掃除をしていた使用人は危機一髪、拭いていた花瓶を落とす事になりかけた。
リディアが滞在しているテオドアの屋敷の部屋のカウチに突っ伏して先程から泣き喚いているのはフローレンシアだ。ブライスガウまでアロイスに聞き込みに行ってくると言って帰ってきたらこのザマである。フローレンシアを慰める為、テオドアが彼女の隣で必死に通じない言葉で慰めようとしているが、フローレンシアはそれを聞く余裕もないようだった。
「一体何があったの?」
リディアが尋ねると、ディードリヒが呆れた顔で事の顛末を話し出した。
ブライスガウの屋敷を訪ね、アロイスから色々聞き出す為にドレイクの気を引こうとしたのだが、あちら側もこちらに疑惑を向けていた事。そしてそれを誤魔化す為にフローレンシアがドレイクとの婚約を望んでいる為に来たのだと嘘八百を述べたところ、なんやかんやで上手くいってしまい、次の週も家を訪ねなければいけなくなった事。
「どうしてディードリヒも止めないのよ!これで私が本当にあの男のところに嫁ぐ事になってしまったら一体どうやって責任を取るつもり?!」
「えっ、俺のせいですか?!お嬢様が勝手に話を進めてしまったんでしょう!随分とノリノリだったじゃないですか。だからてっきり、とっておきの作戦とはこういうことかと見守っていたんです」
「そんなわけないじゃない!まさか次のデートの約束まで取り付けられるなんて想定外だわ。私、愛のない結婚なんて論外よ論外!言っておきますけどね、私はプロポーズだって、百八本の薔薇と指輪を跪いて差し出してもらうって決めてるのよ。なのにあんな冷血男と結婚だなんて、考えるだけでおぞましい!絶対に嫌よ」
「えぇ……、自分で蒔いた種じゃないですか」
「お黙り!」
フローレンシアはディードリヒを一喝すると、リディアに泣きついた。
正直、こんなことになってしまったのはフローレンシアのミスに他ならないのだが、自分たちの都合に巻き込んでしまっているのはリディアなので、申し訳なさが先に立ってしまう。
「と、とにかく。こうなったら、フローレンシアがドレイクに結婚を申し込まれる前に、迅速に事を解決するしかないわ。ディードリヒ、アロイスから話は聞き出せた?」
リディアは話を切り替えた。
「はい。アロイスとの接触には成功しました。ヨハネス様の行方を教えてくれと言ったら、この場所を教えてくれましたよ」
ディードリヒは手に持っていたメモをリディアに手渡した。
「トゥンガ地区、それとギルビーズ•ハーパー?」
トゥンガ地区、と口に出した瞬間、リディアの顔が険しくなる。
トゥンガ地区というのは、ブライスガウ領のトシュカの街にある、とある地区の事だ。街の中心部にある一画なのだが、その区域は貧しい人々が住む集合住宅地が数多くあり、治安が悪い。観光客はもちろん、地元民もよっぽどの事がない限り足を踏み入れる事はない場所である。
「アロイスはトゥンガ地区に住む、このギルビーズという者にヨハネス様の身柄を預けたそうです。その時は急いでいたので、それ以上はわからないと。まぁ、どこまで本当かは正直わかりかねますが……」
「トゥンガ地区……、あそこは確か貧民街よね?治安が相当悪かったはず。まぁいいわ、とりあえず一つ大きな手掛かりができたのだから良い事よ」
「ギルビーズ•ハーパー、なるほどな」
リディアとディードリヒの会話にクルトが入り込んできた。
「知っているの?」
「ギルビーズはトゥンガ地区を取り仕切ってる奴らの一人だよ。金貸しなんだけど、ギルビーズは仕事の無い奴らに日雇いの仕事を斡旋したりもしてる。孤児を集めて仕事させてるって聞いたこともある」
「なんて事なの。子供に仕事をさせるなんて……」
「ギルビーズは悪い奴じゃないぜ。むしろあのトゥンガ地区にいる奴の中ではかなり良心的だ。あいつが孤児達に安全な仕事を割り当てて、むしろ保護してるんだ。そうじゃなきゃ、孤児なんてもっとやばい人買いに買われたりするからな」
目眩がしそうなほど恐ろしい話だ。リディアには想像もつかない世界だった。
「あと、こっちも情報を入手したぜ。トゥンガ地区付近のマーケットでこのシャツが売りに出されてた」
クルトが手にしていたのは男児用のブラウスだった。随分と汚れてしまっているが、細かい刺繍と服自体の質は良かったのだろうとわかる代物だ。
「これはあの子が着ていたものよ」
「やっぱりな。着ていたものを古着屋に売り飛ばしたんだろうぜ。そいつの話と合わせれば、トゥンガ地区に身を寄せてるってはおそらく事実だ。ギルビーズって奴に話を聞きに行こう。タリヤが準備してくれてる」
「ありがたいわ。トゥンガ地区にはあまり行ったことが無かったから」
「だろうな。まぁ、ここはオレたちに任せなよ」
「何言ってるの、もちろん私も一緒に行くわよ」
「アンタが?この前の酒場ですら汚い〜ってあんなに嫌がってたくせに」
「それは……あぁいうところに行くのは初めてだったんだもの。でももう平気。それに、弟がいるかもしれないのに、ただ待ってるなんてできないわよ」
「まぁ、別に構わないけど……。足手纏いになるなよな」
「頑張るわ。ところでディードリヒ、アロイスの様子はどうだったの?……元気にしていた?」
リディアはディードリヒに尋ねた。
「元気とは言い難いですが、今のところは大丈夫でしょう。時間がなかったので詳しくは聞き出せなかったのですが、やはりアロイスはノルデンドルフ家に繋がりがあったようです。彼の母親がノルデンドルフ卿の妾だったらしく、アロイスは幼いころにノルデンドルフ家に引き取られた。今はあいつの妹がノルデンドルフの家にいるらしく――おそらくこれは人質のようなものですね。それで今回の作戦に参加する他なかったと。リディア様が生きている事はアロイスに伝えました。自分が刺した相手に心配されていると知って、驚いていましたよ」
「……そういうことだったのね。そんなのを聞いたらますます恨めなくなっちゃうじゃないの」
「リディア様はお優しいですね。フローレンシア様ならおそらく、そんなの関係ないわって言うと思います」
リディアは小さく笑った。
「しかしこれで状況はだいぶはっきりしました。アロイスは妹が人質に取られているが故にノルデンドルフ家の言うなりになるしかない。ということは、アロイスの妹をノルデンドルフ家から引き離す事さえできれば、事態は好転する可能性があります」
「アロイスの妹さんのお名前はなんて言うの?」
「クロエ、だそうです。しかし、今までノルデンドルフの家にヒルデガルド様とカサンドラ様以外の令嬢がいたなんて話は聞いた事が――」
「クロエ?今、クロエって言ったのか?」
突如ディードリヒの話にクルトが割って入ってきた。
「俺、この前舞踏会でその女に会ったかもしれない」
クルトの口から出てきたのは誰も予期していない言葉だった。
婚約破棄されても初恋は実らせます 茶々丸 @beansmameko
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