再会

 目の前に立つフローレンシアの姿を見た時、リディアは懐かしさのあまり、涙が出そうだった。


 あの悲劇が起きた夜から、まだそんなに日は経っていない。しかし、もう既に何年もの月日が流れてしまったような、そんな気がする。


「貴女、その子のご家族の方かしら?」


 しかし、どうやらフローレンシアは髪色を変えて仮面をつけているせいで、リディアに気がついていないようだった。


「躾が行き届いてないのではなくって?これじゃあこの先困るのはこの子――」

「フローレンシア」


 フローレンシアの言葉を遮り、リディアが声を発した瞬間、フローレンシアの表情が変わった。

 ハッとした顔つきから不安げな表情に変わり、何かを言いあぐねている。今聞こえた声に心当たりはあるが、確証が持てないのだろう。それでも、目はうっすらと涙で潤んでいた。


「……まさか、本当に?」


 こくんとリディアが頷くと、フローレンシアの瞳から涙が一筋静かに流れた。口元を手で覆い、必死に声を押し殺しながら周りを伺うと、リディア達を人気のないベランダの方へと手招く。誰も近くにいないのを確認してから、フローレンシアはやっとそこで言葉を発した。


「……私、信じてたわ。絶対に貴方は生きているって……」


 フローレンシアはハンカチで涙を拭うと、メイクが落ちて目元はすっかり黒くなってしまっていた。リディアがフローレンシアをしっかりと抱きしめると、フローレンシアの泣き声はさらに大きくなる。


「こら、あまり大きな声で泣かないで。ここにはこっそりと来ているんだから」

「ご、ごめんなさい。でも、本当に本当に良かったわ。神様に感謝しなくちゃ!それにしても一体、なにが起きたの?貴方今までどこにいたの?私が一体どれだけ心配したと思って?本当に、食事も喉を通らなかったんだから!」

 

 確かに、フローレンシアが主張する通り、以前よりも顔つきがやつれ、更にほっそりとしたような気もする。

 矢継ぎ早に質問を始めたフローレンシアを制して落ち着かせると、リディアは後ろに立っていたテオドアをフローレンシアへと紹介した。テオドアは片言の言葉で「コンバンハ」と挨拶すると、上品な仕草でフローレンシアの手を取り、紳士らしくキスを落とす。一方で、クルトは不満そうな表情を隠すことなく、軽くお辞儀を返すだけだった。

 

 「まさかイグレシアス家の方と一緒にいるなんて、想像もしてなかった。でも、それなら安心したわ。貴方の事を聞いてからブライスガウのお屋敷へ行ったのだけど、お屋敷はもうすでにノルデンドルフ家の私兵に占拠されてたの。あの腹の立つ男……ドレイクが指揮を執って、小議会からの命で今はあの土地の管理を任されてるみたい。でもね、私は絶対にこの事件全てがノルデンドルフ家の企みに違いないと思ってるの!奴ら、ブライスガウの地を乗っ取ろうとしてる。うまく説明できないけど、これは確実にそういうことだわ!」

「私も、そう考えているわ。それで今日、エドマンドにその事を伝えようと思って、会えればと思ってきたのだけど……」

「リディア、貴女正気なの?あの日彼が貴方にした仕打ちを忘れた?彼に話したところで、信じてくれるわけないじゃない。今エドマンドの周りはノルデンドルフ家の取り巻きでいっぱいなんだから」


 やはり、とリディアは思わずこめかみに手をあてた。

 危惧していた通りの事が起きている。

 舞踏会の夜、ヒルデガルドやカサンドラと行動を供にしていたあたりからなんとなく怪しいとは思っていたが、まさかここまで本格的にブライスガウ家を貶め、王家に取り入ろうとするなんてことは、想像していなかった。


 そもそも、この国でいままでこういった権力争いが起きたことが今までにあまりなかったのである。平和ボケしていた宮廷内があっという間にノルデンドルフ家に掌握されてしまったのは至極当然の事と言えるだろう。


「今日のパーティーの主催はノルデンドルフ家。てっきり何かあるかと思って来てみたけど、ドレイクとヒルデガルド嬢がお客様に挨拶をしていたくらいで、エドマンドの姿は見ていないわ。今日は出席していないのかも」

「そう……。それなら仕方ないわね」


 チャンスだと思って乗り込んでみたが、やはりそううまくいくものでもないらしい。しかし少なくとも、フローレンシアに出逢うことができたのだから、これはリディアにとって大きな助けとなるのは間違いない。


「聞きたい事がたくさんあるわ。でも、ここじゃあまり大きな声で話せないから、私の邸宅へ行ってそこで今後について話し合いましょう」


 リディアはフローレンシアの提案に頷き、一旦二人は別れる事になった。


 足早にホールを出ると、リディア達はあまり一目につかないように薄暗いバルコニーを歩いて玄関の方まで進んでいった。

 

『僕が馬車を呼んでこよう。君はそこで待ってて』


 エントランスに到着すると、テオドアはリディアとクルトを玄関先に残して馬車を呼びに行ってしまった。舞踏会を後にして、後はもう帰るだけ。クルトは待ってましたとばかりに首元のクラヴァットをほどき、ベストの前ボタンを開けて大きく息を吐く。


「あー、窮屈だった」

「クルト、はしたないわよ。もしかしたらまだ人がいるかもしれないんだから、背筋くらいは伸ばしてちょうだい」

「もう限界だって。オレ、これでも随分頑張ったと思わねぇ?」

「何言ってるの。ディードリヒにジュースをかけた後、きちんと謝ったの?」

「う、それは……」

「貴方は服装以前にそう言った態度がまだまだよ。そういうところはきちんとしないと。これは決して貴族だからとか、そんな事は関係ないわ。貴方が商人として大成する為にも必要な当たり前のことよ」


 クルトも今回ばかりはリディアの言っている事に反論できなかったようで、唇を噛み、それ以上の反論はしなかった。

 少し言いすぎたかとリディアは一瞬思案したが、いつかは誰かがクルトに教えなければいけない事だ。教わるのなら、それは早い方がいい。


 気がつくと、クルトはバツが悪かったせいか、ふらりとどこかへ行ってしまっていた。

 おそらく馬車がやってくるまでには戻ってくる筈だと、リディアは特に心配する事もなくその場に留まった。舞踏会はまだまだ続いていて、館の中からは光や人々の笑い声が漏れている。流石にこんな早くに会場を去ろうとする人はほとんどいないようで、中の様子とは対照的に、エントランスには誰もおらず、ずいぶんと静かだった。

 エントランスから見える整えられた庭を月光が照らし、噴水から噴き出る水は反射によってキラキラと輝いている。


 しばらくそのまま佇んでいると、後ろからコツコツと誰かの足音が響いてきた。テオドアがやっと馬車を呼んで戻ってきたか、それかクルトが少しは反省した様子で戻ってきたか。

 リディアは振り向き、長らく待たされた不平を述べてやろうと口を開いた。――が、リディアの言葉が発せられる事はなかった。


 振り向いた先に立っていたのは、エドマンドだった。

 

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