仮面舞踏会への潜入
「どうして俺がこんな格好をしなくちゃいけないんだよ」
ガタガタと揺れる豪勢な馬車の中で、不服そうにぼやいたのはクルトだ。
しかし、その姿はいつもと随分と違っている。
クセのある赤毛は綺麗にまとめられ、シルクのシャツにブラウンのウェストコート、そしてその上に上品な刺しゅう入りの深緑のコートを着ている。ブリーチズと呼ばれる膝丈までのゆったりとしたズボンを履き、見た目だけであれば、どこかの貴族の子息にしか見えない。
「いいじゃない、似合ってるわよ。舞踏会に行くのだから、それなりの服を着ていかないと。貴方まさか、いつもの服を着ていくつもり?」
「そういう事じゃない、なんで俺がこんな馬鹿げた格好しで舞踏会なんかに行かなきゃいけないのかって聞いてるんだ。大体、あんただってこんな時に舞踏会なんて行ってるほど暇じゃないだろ!」
クルトが叫んだ。
クルトの言う通り、この馬車は王都にあるノルデンドルフ家の邸宅で開かれる仮面舞踏会へと向かっていた。
先ほどから何台も、貴族の馬車が同じ方面へと向かっているのが窓から確認できる。今夜は随分と大勢が招待されているようだ。
「何を言ってるの。舞踏会は貴族達にとって非常に重要な情報交換の場所なのよ。今日ノルデンドルフ家が舞踏会を主催するのは何か意味があるはず。それに、もしかしたら会場にはエドマンドがいるかもしれない。彼に直接会えるかもしれない機会を逃す手は無いわ」
そう答えたリディアの姿も、いつもと随分雰囲気が違っていた。
誰が信用できるのかわからないうちは変装をした方が良いとテオドアに言われた為、くるくると巻かれた髪の色はいつものブルネットではなく、クルトと同じ赤毛に染められている。
ドレスはパフスリーブにプリンセスラインのピンクのドレスという可愛らしいデザインで、普段のリディアならば絶対に選ばない形のドレスである。
『いやー、俺の見立て通りだ。クルトもリディアもとっても素敵じゃないか』
「こいつ、なんだって?」
「思ったとおり素敵だって。褒められてるわよ」
「こんなヒラヒラしたもん、似合っても嬉しくねーよ」
クルトはクラヴァットと呼ばれる首元を飾る布を忌々しそうに掴みながら言った。
『それにしても、まさか本当に提案を受けてくれるとは思わなかったな』
テオドアはちょうどリディアの真向かいに座りながら、満足そうに微笑んでいた。
クルトと同じ、ブラウスにウェストコートを着ている。その上のコートはネイビーで一見質素に見えるが、よく見ると布地と同じ色で細かく刺繍がなされている。ウェストコートはグレーの生地に銀糸で刺繍がしてあり、とてもエレガントな着こなしだった。カレドニア王国の貴族の中でも、ここまで洒落ている男性はそうそういない。思わずリディアも一瞬見惚れてしまうほどだ。
『もしかして、俺の事、少しは良いと思ってくれている?いいんだよ、フリじゃなくて、本当に恋人になってくれても』
『馬鹿言わないでちょうだい。貴方の恋人のふりをするのはこの舞踏会でノルデンドルフ家について探る為。そして貴女は私を、言い寄ってくるご令嬢達の盾にする。お互いに利がある、そういう取引だったはずでしょう?』
『まったく手ごわいなぁ、君は』
容赦ないリディアからの返答にテオドアが苦笑いしながら肩をすくめた。
ノルデンドルフ家からの招待状がテオドアの元に届いたのは数日前。ちょうどリディア達がイグレシオス家の別邸に到着した時だった。
ミセス•トループから渡された招待状には、王都ブランヒルデにあるノルデンドルフ家の別邸にて仮面舞踏会が催されるとの事だった。
隣国だが、交易を手がけているイグレシアス家はもちろん招待されている。テオドアは忙しい長男の代わりに舞踏会への出席を命じられており、その同伴相手としてリディアを指名したのだった。
『俺は、今のところ結婚願望が一切ない。しかし舞踏会に顔を出せば、確実にたくさんのレディ達が俺に群がってくるだろう。そこで、リディア、君の出番だ。俺と一緒に舞踏会に参加して、隣にいてくれるだけでいい。テオドアにはどうやら現在恋人がいるらしいと見せつけておけば、しばらくは女性達も弁えて俺に言い寄ってくる事はないだろうからね』
開かれる予定の仮面舞踏会は随分盛大な様で、多くの貴族の子息や令嬢が招かれているようだった。そうなると、もちろん多くの令嬢が殿方を射止めようとありとあらゆる手で男性にお近づきになろうとしてくる。特にテオドアの様に、良いところの貴族の子息で未だに独身、見目も良いとなれば、令嬢達が黙っているはずがない。
なんとも贅沢な悩みだが、本人にはおそらく一大事なのだろう。リディアにはもう、幼い頃からエドマンドといった婚約者がいたので、このあたりの苦労がどれほどのものかはわからない。
結局、リディアはテオドアからの頼みを受け入れ、クルトはリディアの弟という形で共に舞踏会にお供する事になった。リディアの正体がバレない様にする為、できるだけ男性に話しかけられる様な事態は避けたい。その為、テオドアが側にいられない時に盾となれる男性が必要だと踏んだからである。
「クルト、今日のあなたは貴族の息子で私の弟という設定なんだから、所作に気を付けること。姿勢をちゃんと正しておくのよ」
「なんであんたの弟役なんか……。タリヤもマジで何考えてんだよ、クソっ」
「言葉遣い!」
手に持っていた扇子でリディアはクルトの手をピシャリと叩いた。クルトは痛みに呻いた後、リディアを睨みつけたが、勝てないと悟ったのか、膨れっ面のまま窓の外を眺め始めた。
◇◇◇
ノルデンドルフ家の邸宅は王都北部にあるベリーの丘の上にある。
門を潜り抜けると、広大な敷地と、美しく手入れされた庭が招待客達を迎えた。真ん中には大きな噴水があり、道に沿って美しい花が咲いた生垣が続いている。
『もうすぐ着くよ』
テオドアはそう言ってリディアとクルトにそれぞれ仮面を手渡した。
仮面は目元が隠れるものになっており、髪の色を変え、ドレスもいつもと違うテイストのものを変えれば、きっと誰もリディアとは気づかないだろう。
『仮初とはいえ、君を連れて歩けるのは気分がいいな』
テオドアは嬉しそうに笑みを浮かべながらリディアの手を取り、その手の甲にキスを落とした。リディアを見つめるハシバミ色の瞳の奥にほんのりとした熱を感じながらも、リディアは気づかないふりをしてそのキスを受け取る。
『ちゃんとエスコートしてね』
『もちろんだとも、さぁ行こうか』
テオドアに導かれるまま、馬車を降りた。
扉の向こうには眩しいほどのシャンデリアの光と、招待客達が身につけた宝石の輝きが瞬いている。まるで夢のような景色で、一度は訪れたいと思うようなそんな社交界の光景だ。
しかし、リディアは知っている。
そんなものは見せかけでしかないことを。
美しく華やかなのは表面だけで、その内部では一体どんな人々の思惑が渦巻いているのかわからない。
恐怖心がのぞき、思わずテオドアの手を強く握ってしまった。テオドアはリディアの不安を察知したのか、握っていたリディアの手を自らの腕に回させる。
『君は一人じゃない、さぁ、胸を張って』
テオドアの優しい声音に、リディアの緊張も徐々に薄れていった。
深呼吸して胸を張り、目の前をしっかりと見据える。
リディアは一歩を踏み出した。
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