トシュカの町へ

 ザルツブルク家の領地であるブルーメ領から馬を数時間ほど走らせ、ブライスガウの領地内へとたどり着いたころには、フローレンシアは久々の長時間の乗馬によって足ががくがくになっていた。やはり馬車で来ればよかったかもしれないと若干の後悔をしつつ、そこからさらにブライスガウ家の館があるトシュカの町へと向かう。


 町に足を踏み入れると、いつもならばのどかな町がなんだか騒々しかった。武装した兵達があちこちにいて、それがどうやらこの物々しい雰囲気の原因だろう。


「どうして兵士が……まさか、本当に……」 


 フローレンシアの顔色が悪くなっていく。ディ-ドリヒも、なんとも異様な雰囲気を感じて押し黙った。

 

 トシュカの北の外れにある丘の上にブライスガウ家の屋敷は建っている。赤レンガでできた建物に緑色のツタが絡みついた由緒正しいお屋敷だ。庭も美しく、普段ならば鳥の鳴き声しか聞こえないような場所だというのに、今日は屋敷の周りに兵隊達がたむろしていて随分と騒がしい。


「この兵は皆、ノルデンドルフ家の兵のようですね」


 兵士の身に着けている武具を観察してディードリヒは言った。兵士達の防具には、ノルデンドルフ家を表す熊の紋章が彫り込んである。

 兵士達はフローレンシアを見ると、にやにやと下卑た笑みを浮かべていた。フローレンシアは外套のフードをさらに深く被り直した。

 

 玄関にたどり着き、フローレンシアは大ぶりなノッカーを掴んでガンガンと扉に叩きつけた。しばらくすると、重たそうな木の扉が開き、中から出てきたのはアロイスが顔を出した。

 頭には包帯が巻かれ、あちこちを怪我している。特に目の所は大きく腫れあがり、美しい顔が台無しだ。


「アロイス?!」

「フローレンシア様……。な、なぜここに?」

「貴方こそ、その怪我はどうしたのよ。私はリディアが事故に遭ったというから急いで駆け付けたの。生きているのよね?彼女は無事なんでしょう?!」


 アロイスはフローレンシアがここにいる事に驚いているようだった。青白い顔で随分と動揺している。


「今すぐお帰り下さい。お父上も心配されます」

「嫌よ!リディアの安全を確かめるまで帰らないわ。アロイス•フォン•ヴァーグナー、貴方は彼女の騎士でしょう?彼女はどうしたのよ!今すぐに会わせてちょうだい!」

「それは……」

「一体何事だ、アロイス」


 アロイスがびくりと身体を震わせた。

 屋敷の奥から現れたのはノルデンドルフ家の長男であるドレイク•イスタ•ツー•ノルデンドルフだった。ドレイクは乱暴にアロイスを押しのけ、彼を屋敷の奥へと下がらせると、フローレンシアの目の前に立ちふさがる。


「ドレイク殿?!」

「おや、フローレンシア様。なぜあなたがこんなところに?」

「それはこちらの台詞です!私はリディアが事故にあったと聞いて、確かめに来たのです。親友である私が、彼女のもとに駆けつけて何かおかしいことでもあるかしら?それより、貴方こそどうしてここにいるの?ノルデンドルフの兵なんか連れてきて、一体どういうつもり?ここはブライスガウ家の土地、これは立派な領土への侵入ですわ」


 フローレンシアはドレイクを睨みつけた。

 以前、ドレイクがフローレンシアの所に求婚をしに来てから、フローレンシアはどうにもこの男が苦手だった。黒い髪に真っ青な目で美しい顔立ちをしており、見目麗しいのは間違いない。しかし、笑顔を絶やさないくせに目の奥が笑っていないのだ。しかもあちこちで女遊びの噂が絶えず、そのくせ結婚するなら家柄の良い、金を持っている女でなければ嫌だと豪語している。好きになれるわけがなかった。


「そんなに睨まないでください。この前会ったばかりなのに、ずいぶんと嫌われてしまったようだな。私がここに来たのは小議会からの命令です。この度、ブライスガウの管理を任されたものですから」

「貴方が?一体どういう事?」

「おや、ご存知ではないのですか?連絡はもうすでに王都にいっていたと思いますが……。ブライスガウ卿とリディア様はお亡くなりになられたのですよ」


 ドレイクの言葉に、フローレンシアは頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。胸の所がずきずきと痛み、思わずその場にしゃがみ込む。


「お嬢様!!」


 ディードリヒがフローレンシアを支える。

 ドレイクは眉根を下げて残念そうな顔をしていたが、どうにもわざとらしかった。


「嘘よ!そんな筈ないわ!」

「嘘であればどれだけよかったか。昨日の夜の事です。お二人は領土に戻る途中で野盗に襲われ、お亡くなりに。その為ブライスガウの領地は王家の管轄となり、一時的にですが私が派遣され、しばらくはこの地を預かる事になりました」

「昨日二人が亡くなったばかりだというのに、ずいぶんと迅速な対応ですこと。まるで事前に知っていたかのようね」

「人聞きの悪い。こういった重要な事態への対処はある程度用意されているものなのですよ」


 フローレンシアが嫌味を言っても、ドレイクは表情を全く崩さない。むしろどこか少し楽しんでいるようにすら見える。


「……そういえばヨハネスはどうしたの?あの子はブライスガウ家の長子。嫡男がいるのだから、この地を治める資格があるのは彼のはず。貴方が来る必要はないわよ」

「あぁ、その件なのですが……実はヨハネス様は現在行方不明となっておりまして」

「行方不明?あの子が?」

「えぇ、どうやら御父上と姉上を失ったショックで錯乱を起こしてしまったようです。ベッドを抜け出し、一体どこへ行ったものか。我々も今、全力で探しております。もともと、幼いヨハネス様にはまだ領主の立場は重かろうという事で私はお手伝いに来ただけだったのですが、その件もあって、今回は私が管理者という事になったのです」


 先ほどから信じられない事ばかりが起きる。あまりにも受け入れがたい現実だった。


「さて、私はそろそろ失礼します。やることが多いものですから。アロイス、フローレンシア様を送ってさしあげろ」


 ドレイクはアロイスを呼びつけると、そのまま玄関口から去ってしまった。呼ばれたアロイスがフローレンシアに手を差し伸べたが、フローレンシアはその手を叩き落とす。


「アロイス、何か言ったらどうなのよ。私が貴方をリディアに紹介したのよ!彼は素晴らしい騎士だからって!貴方がリディアの事を守ってくれるって信じてたのに!!」


 フローレンシアが涙を流しながら、アロイスの頭や背中を叩く。アロイスは俯き、非難を受け入れて静かに唇を噛みしめていた。


「……申し訳ありません」

「何よ!役立たず!ヨハネスまでいなくなっちゃったじゃない!どうして、どうしてよ……」

「お嬢様、もう行きましょう。アロイスのせいではありません」


 ディードリヒは泣き崩れるフロ-レンシアを抱き上げると、アロイスに小さく頭を下げた。


「すまなかった、お前も辛いだろうに。……だが、わかってやってくれ」

「いいんだ、フローレンシア様が俺を責めるのは当然の事だ」


 ディードリヒはアロイスの肩を軽く叩いた。主を失った騎士の気持ちはいかほどなのか、ディードリヒには想像もつかない。もし自分がフローレンシアを失ったらと考えると、あまりにも恐ろしくて背筋がゾッとした。


「フローレンシア様、ヨハネス様は俺が必ず見つけだします。それだけは……お約束します」


 アロイスがフローレンシアに声をかけたが、フローレンシアはディードリヒの胸元に顔をうずめて何も答えなかった。

 

 

 


 

 

 

 

 

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