17.衰弱

 三人は大地に腰を下ろした。ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、画面に表示されている時間を見た。


 <8月1日 火曜日 20:55>


 純希はふたりの異変を誰かに伝えようとした。だが、浜辺で待機している四人はまともなのだろうか……正常ではない者に話したとしても意味がない。

 「もうそろそろ落ち合う時間だ。引き返すのはあしたにしよう」


 今夜は晴天。簡単に意識を集中できる。三人は膝を抱えて瞼を閉じた。数秒後、瞼を開けると、真っ暗な倉庫の鏡に手をついて、こちら側を見つめる理沙の姿が見えた。


 鏡に歩み寄った三人は床に腰を下ろした。


 類が理沙に到着を知らせた。

 《おまたせ!》


 理沙は、目の前に現れた類の文字に笑みを浮かべた。

 「類! やっと来た」


 《あいたかったよ》


 「あたしも」


 「元気だったか?」と、後方から翔太の声が聞こえた。振り向くと、浜辺で待機している四人が立っていた。


 「久し振り」


 類が冗談を言った直後、道子が翔太を押し除け、床に膝をついた。鏡に両手をついて、理沙の顔を覗き込む。


 理沙に生気が感じられない―――


 蒼白な顔。いまにも倒れそう。


 いったい何が起きたのか―――


 ひどく衰弱した理沙の顔に衝撃を受けたあと、室内が異様に暑いことに気づく。窓もドアも閉めっぱなし。室内は蒸し風呂状態。だが、正午に訪れたときは適温だった。


 驚いた道子は、冷静になろうとした。ゆっくりとまばたきして、もう一度、理沙を見た。不思議なことに、いつもどおり元気な表情だった。室温もとくに気にするほどではない。

  

 「………」

 (あたし……疲れてるのかな?)


 翔太が道子に訊く。

 「どうしたんだよ?」


 いま見えた信じ難い光景を伝えた。

 「理沙がびっくりするくらい衰弱して見えたの。生気がない幽霊みたいだった。それに、ここもすごく暑かったの」


 鏡に映る理沙は元気そのものだ。室内も適温。


 翔太は道子の体調を気遣う。

 「大丈夫なのか?」


 道子は理沙を見つめながら返事する。

 「あたしは大丈夫……だと思う……」

 (いまのはいったい、なんだったんだろう……)


 鏡に文字が現れないので、寂しくなった理沙がこちらに話しかけてきた。

 「みんなだけでずるい。仲間に入れて」


 類はこちら側の会話を理沙に教えた。

 《おまえの顔が幽霊に見えたって、それにくそ暑いって》


 理沙は笑う。

 「あたしの顔が幽霊? 最悪じゃん」


 道子は念のために理沙に訊いてみた。

 《大丈夫? 暑くない?》


 笑顔で答えた。

 「大丈夫だよ。ぜんぜん暑くない」


 《具合悪くない?》


 「あたしの取り柄は体が丈夫なこと。風邪を引いても、お祖母ちゃんに教えてもらった特製のお茶を飲めば治っちゃうんだから」


 類は苦笑いする。

 「緑茶に梅干しを入れる、ばばくさいお茶ね」


 元気そうなので安心した。

 「やっぱり、あたしの目の錯覚だったのかも」


 類が道子に顔を向ける。

 「だから理沙は元気だって言ってるじゃん」


 「でもやっぱり気になる」


 そのとき純希にも衰弱している理沙が見えた。顔面蒼白、目は虚ろでどこを見ているのかわからない。これが現実世界なら救急車を呼んだほうがよさそうなくらいだ。


 驚いた純希は明彦に目をやった。彼も理沙の顔を凝視している。おそらく衰弱して見えているに違いない。まるで熱中症や脱水症状を起こしているかのようだ。


 「いったん家に帰らせたほうがいいじゃないか?」


 類の顔つきが変る。

 「なんのために?」


 「だって昨日からここにいる」


 「そんな必要ない」


 純希はまともなのだろうと、思った道子は、理沙を心配する。

 「でも……倒れたら大変だよ」


 語気を強めて言ったあと、道子を睨みつけた。

 「しつこい! 理沙は俺が連れて行く」


 連れて行く? どこに? その疑問よりも、全員の顔が怖い。みんなこちらを睨んでいる。その異様な光景と、全員の表情に恐怖を感じ、身を強張らせた。


 いったいどうしたというのだろうか……


 そのとき、純希が道子に目で合図した。廊下をちらりと見る。


 純希だけでもまともでよかったと思った。


 脅すような目つきで道子を睨みつけていた類は、突然、いつもどおりの笑みを浮かべた。

 「理沙は大丈夫だ」


 結菜も微笑む。

 「心配しすぎ」


 浜辺にいるときから態度や表情がコロコロと変る。まるで二重人格みたいだ。

 「理沙が衰弱して見えたのは目の錯覚かもしれない。なんか体調がよくない。廊下に出て冷静になりたい」と言った道子は、廊下にワープした。


 「心配だから俺がつきそう」と、純希も廊下にワープする。


 二人は非常灯と火災報知機の赤ランプの光が漂う廊下へ瞬時に降り立った。


 道子は純希に顔を向ける。

 「みんな変になってる。どうしちゃったの?」

 

 全員の頭の中に、本来取らなければならない言動とは真逆のことを囁いてくる奇妙な声が聞こえている。それに抗うことができなければその声に支配されることになる。もし支配された場合は一生この島に滞在する可能性があることを説明した。


 「類も別人だ」


 浜辺で見つけた漂流物について話したい。

 「砂浜に埋もれた大きな容器を見つけたの。みんなには口止めされていたんだけど……」


 そのとき、明彦が廊下に現われた。

 「ここだと、距離が近いから教室に行こう」


 一番のしっかり者がまともだったので道子は安心する。

 「よかった……明彦は普通だったんだね」


 「囁き声が聞こえたけど、絶対に支配されない。俺はこんな場所にいたくない」尋ねた。「道子は何か奇妙な声は聞こえた?」


 「何も聞こえない」


 「あの綾香まで支配されるなんて信じられないよ」


 意識を集中させた三人は、二年三組の教室内にワープした。窓に歩み寄った明彦は、窓越しに広がる夜景を眺めた。島では見ることがない煌びやかなネオンの光が恋しい。


 「いつになったら現実世界に戻れるんだろうか……」と呟いてから道子に顔を向けた。「話を聞かせてよ」


 一同に口止めされている内容を、真剣な面持ちで伝えた。

 「浜辺で漂流物を見つけたの」


 「また?」明彦は驚く。「どんな漂流物を見つけたの?」


 「クリーム入りの容器だよ。それもかなり大きい」


 「ずいぶんと変わった漂流物があったね」


 「それをツアー会社が置いたもので漂流物じゃないって綾香が言うの」


 明彦と純希は顔を見合わせた。


 明彦は言う。

 「綾香らしくない」


 「あたしは釈然としない」


 明彦の頭の中にふたたび囁き声が聞こえた。


 駄目だ、カラクリを解くな、危険な終焉―――


 頭痛がしたので頭を押さえた。

 「駄目だ、カラクリを解くな、危険な終焉、そう囁いている。頭が痛い……」


 ふたりは目を見開く。


 純希は言う。

 「本来とは真逆の感情や物事だ。だって、この島に一生いることを望んでいない」


 明彦ははっとした。

 「表層意識のほうじゃなくて、潜在意識のほうが何か知っているのかも……危険な終焉って、ゲートの中は危険なのか?」


 「俺たちはゲートを通らないと現実世界に戻れないんだ。島のほうがよっぽど危険だ」


 道子は涙を拭った。

 「新学期を迎えたいだけなのに……」

 

 「島にいたほうがいい!」と、この場に突然、類たちが現われた。


 綾香、結菜、翔太も別人のような顔つきで立っていた。明彦たちは恐怖を感じた。本当に殺されるのではないかと思った。

 

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