16.謎の漂流物

 雨が上がった。太陽の光が反映した海は煌びやかで綺麗だが、環境は相変わらず厳しい。


 一同は、大きな流木を三本寄せ合い、ベンチの代わりにして、そこに腰を下ろしていた。


 汗を拭った綾香は、不安げな表情を浮かべて、ジャングルに目をやった。

 「類たち、大丈夫なのかな?」


 結菜が綾香に言った。

 「明彦がいるから大丈夫だよ」


 結菜の眼差しから明彦への想いを感じた。

 「本当に好きなんだね」


 言われている意味がわからなかった。

 「え?」


 口元に笑みを浮かべた。

 「明彦のこと」


 言われた意味を理解したので微笑んだ。

 「当たり前でしょ」


 道子が悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 「ただでさえ暑いのに余計に暑くなるじゃん」


 純希の不安を知る由もない四人は笑った。


 波打ち際に目をやった翔太が腰を上げて言った。

 「あいつらが戻ってくるまでのあいだ、俺たちにできることをしようぜ」


 綾香は訊いた。

 「何するの?」


 「漂流物を探してみるんだ。もしかしたら鍋とコップ以外にも何かあるかもしれない」

 

 翔太の意見に頷き、一斉に立ち上がった。


 「みんな同じところを探しても能がないよね。翔太と道子はあっちを探して」綾香は遠くを指さしたあと、反対方向を指さした。「あたしたちはこっちを探すから」


 「わかったよ」と、返事した翔太と道子がこの場を離れると、ふたりも歩を進めた。


 歩き始めて間もなく、結菜が前方を指さした。

 「ねぇ、あれ見てよ」


 「何か見つけたの?」綾香は目を凝らして見る。「何も見えないけど……」

 

 「砂浜に何かある」


 視力のちがいのせいだろう、と考えて、結菜について行く。すると、砂浜に埋もれたかたちで白い物体が見えた。それがいったいなんなのかはわからない。


 謎の物体の前に屈み込んで掘ってみた。爪のあいだに砂が入るので、スコップが欲しいところだがしかたない。


 掘り進めると、やや大きめなプラスティック製のジャータイプの容器だということがわかった。逆さになって埋もれていた容器の蓋は黄緑色。特大サイズのクリームの容器のようだ。明彦が発見したふたつの漂流物に比べれば、それほど古いものではなさそうだ。


 綾香が持ち上げみた。けっこうな重量感だ。


 蓋が閉まっているというのに、海水が入り込んだのだろうか? 


 砂まみれの容器を海水で濯ぎ、綺麗にしてから、軽く横に振ってみた。海水が入っていれば、内部で揺れ動く水の音が聞こえるはずだが無音。


 「何が入っているんだろう?」


 容器に手を伸ばした。

 「ちょっと貸して」


 容器を差し出す。

 「わりとずっしりしてるよ」


 容器を受け取り、不思議そうな表情を浮かべた。

 「なんか……これ、どこかで見たことあるような……」

 

 「ありふれた容器ってかんじ。ただ、ちょっとデカすぎ。コストコとかにありそう」


 「現実世界の物ならたしかにアメリカンサイズだね。だけど形はふつう」


 「コップも鍋もそうじゃん。どの家庭にでもあるふつうのものだよ。とりあえず、容器を開けてみようよ」


 容器を突き返した。何が入っているのかわからないので、開ける勇気はない。

 「綾香の出番がきた!」


 最初から自分で開けるつもりでいたので冷静に容器を受け取った。綾香が容器の蓋を掴んだ瞬間、結菜はその場から少し離れた。固く閉まっていると思いきや、簡単に蓋が回った。


 容器の蓋をはずした綾香は、内部を覗き込んで目を見開いた。容器の中には、白いクリーム状の物質が入っていたのだ。

 

 結菜も怖々と容器の内部を覗いてみた。

 「え? 何それ? 軟膏?」と、意外な中身に驚く。


 「異世界の美容クリームだったりして……」


 目が輝く。

 「まさか、十歳若返り系? 大歓迎だよ」


 あんぐりする。

 「うちら七歳じゃん。若返りすぎ」


 綾香はにおいを嗅いでみた。軟膏やクリームのにおいだ。だが、開封したてのような新しいものではなく、成分に含まれている油分が酸化した臭いを感じた。


 ここは気温が高い。そのため、東京の夏の浜辺に放置するよりも劣化が早いはずだ。しかし、いまは物質の鮮度よりも、この奇妙な漂流物について考えるべきだ。


 綾香は容器の中に手を入れた。


 それを見て驚いた結菜は、綾香の行動を止めようとした。得体の知れないものを素手で触るのは危険だ。

 「ちょっと待ってよ! 明彦二号とは思えない! 指が溶けたらどうするの?」


 「マジで明彦二号はやめて」


 「なんかいいかんじの棒があればいいんだけど」


 「棒で掬ってもけっきょくは触って確かめてみるよね? だったら、指を入れても同じだよ」


 「大丈夫なの? 皮膚が溶けたら怖いんだけど」


 危険はないと判断した綾香は、結菜の忠告を無視して、白いクリーム状の物質に軽く触れてみた。思ったとおり指は無事だ。それなら掬い出してみるしかない。


 それを手の甲に塗布して、もう一度においを嗅いでみた。

 「うん……」


 結菜が訊く。

 「どう?」


 綾香は冷静に説明する。

 「油が酸化した臭いがする。でも質感は、病院で処方される軟膏薬よりも柔らかくて伸びがいいかもね」


 結菜も容器の中に手を入れてみた。柔らかいクリームだ。危険なものではなさそうなので手の甲に塗布してみた。


 「この塗り心地、どこかでつけたことがあるような気がするんだけど……」不思議そうな表情を浮かべて、クリームを手の甲に馴染ませた。「どこだったかな……」


 「クリームなんてどれもこれも似たようなものでしょ?」

 

 もう一度、容器をまじまじと見つめた。

 「なんか……」

 (やっぱり、この形……どこかで見たことがあるような……とくに蓋の色とか……)


 しかし、ラベルがない無地の容器などこの世にいくらでもある。百円均一を覗けば種類豊富な容器が所狭しと陳列されている。単純な形だから見覚えがあるような気がしただけだろう。


 容器を手にした綾香は、考えを巡らせる。


 明彦が見つけた鍋とコップも……海上にあるゲートを通り抜けて、この島に流れ着いたのだろうと考えていた。


 海を漂流し続ければ、自分たちは現実世界に帰れるのだろうか? 


 いや……それはないはず……。


 もしそれが可能なら、カラクリを解く必要がない。類たち三人が旅客機の墜落現場に戻る意味がなくなってしまう。だって、海を彷徨うだけで現実世界に戻れてしまうのだから。


 そう……あくまでカラクリの正確な答えは、旅客機の墜落現場にある。その答えを見つけないかぎり、自分たちにゲートは見れない。つまり、海を漂流したところで、この島から脱出できるわけではない。


 だったら……なぜ漂流物が落ちているんだろう?


 考えれば考えるほど不思議だ……。

  

 この容器は何らかの理由で現実世界の海からこの島に流れ着いたとする。だとすれば、ラベルすら貼られていないのはなぜだろう?


 もしラベルが貼られていたとすれば、長いあいだ海を漂流しているうちに剥がれ落ちたのかもしれないけど……どうなんだろう? あとは容器に直接印字されている商品もある。だけど、これにはその痕跡がない。


 ラベルが貼られていないということは、元は空の容器だった可能性もある。だとしたら、クリームを詰め替えたということだ。それしか考えられない。でも、もうしそうなら、容器が必要以上に大きすぎる……。


 ふつうは詰め替えるならもっと小さな容器に入れるはず。毎日、使っている保湿剤は大容量の化粧品だ。旅行に行くときはかさばらないように小さい容器に詰め替えて持っていく。


 不自然だ……。そもそも、この島に漂流物があること自体が不自然なんだ。


 「ねえ」考えごとをしている綾香の顔を覗き込んだ。「どうかしたの?」

 

 真剣な表情で言った。

 「ふたりと合流しよう」


 「急に真顔になっちゃって、何か閃いたの?」


 容器を軽く持ち上げて強調した。

 「これ……漂流物じゃないかも……」


 「漂流物じゃないならなんだっていうの?」


 「それはあたしたちだけじゃなくて、みんなで話し合ったほうがいい。この容器を甘く見ないほうがいいかもしれない……」

 

 「綾香がそう言うなら、そうしたほうがいいかもね」


 ふたりがずいぶんと小さく見える。こちらから距離があるので、綾香は声を張り上げてふたりに訊いた。


 「何か見つかった!?」


 声に反応し、こちらに顔を向けた。綾香の質問に答えようとした翔太は、両腕を上げて交差させた。


 結菜は一目瞭然の返事を見る。

 「バッテン。収獲ゼロだって」


 綾香はふたたび声を張り上げ、大きく手招きして、ふたりを呼び戻した。

 「みんな! 流木に集合!」


 ずいぶんと早い集合だ。ふたりが何かを見つけたのだろうと理解したふたりは、流木を寄せた場所に向かって歩き出した。


 男子が服を置いていた流木をベンチの代わりにし、腰を下ろす。


 綾香が抱える容器をふたりは凝視する。


 容器に触れた翔太は、綾香に訊く。

 「何? このデカい容器は?」


 容器の蓋を開けて中身を見せた。

 「なぜかクリーム」


 道子は訊く。

 「触った?」


 「クリームくらい触るよ。においも嗅いだよ。古くなって油臭くなった化粧品のクリームみたいなかんじだった」


 容器の中に手を入れて、指先で掬ってみた。においを嗅いで確かめてみると、綾香が言うように、古くなった化粧品のクリームのにおいがした。


 道子は手の甲に塗布してみる。

 「どこかで塗ったことがあるような……」首を傾げあと、容器を見つめる。「その大きさといい、蓋の色といいどこかで見たことあるような……」


 結菜が道子に言った。

 「あたしもそう思うの。どこかでみたことあるんだよね」


 「でもどこだったかな?」


 翔太は誰もが思う疑問を口にした。

 「でも……どうしてこんな場所にクリーム入りの容器が? 俺たちを呼び戻した理由がこれだろ?」


 綾香は答える。

 「もし、あたしの考えが正解なら超重要かも」


 クリーム入りの容器だなんて不自然だ。しかし、たったこれだけでいったい何が閃いたというのだろうか……。綾香が語ろうとする話の内容が気になる。


 真面目な表情で翔太は言った。

 「話してみろよ」


 綾香は説明する。

 「この島から脱出するためのゲートがあるってことは、まちがいなくここは現実世界と繋がっている。だけど……現実世界の海を漂っていた漂流物がこの島に流れ着くわけないんだよ。

 だって、流れ着くってことは、あたしたちも海を漂流すれば、いつかは現実世界の海に戻れる可能性があるってことでしょ? だったら、頭を悩ませてカラクリの答えを考える必要はないよね」


 「じゃあ漂流物じゃないって言うのか?」


 容器の大きさの違和感を説明する。

 「もしもこの容器が現実世界の物なら、商品名と成分表示があるはず。それがないってことは、この容器にクリームを詰め替えたってことだよ。ラベルが貼られてないなんて、どう考えたってへんだよ」


 道子が鋭い意見を言う。

 「それなら、しばらく水の中に浸すと、ふやけて綺麗に取れるよ。透明ステッカーみたいなかんじだったら、簡単には剥がれないと思うけど」


 綾香は言う。

 「漂流しているあいだに剥がれたのかもしれないって、あたしも同じことを考えた。でも……こんな漂流物は不自然だよ」


 「まぁ……たしかに不自然だけど」


 「容器の側面に商品名が直接印字されていたら、海を漂流しても、そう簡単には剥げ落ちたりしない。だけどそれなら、少しくらい跡が残っているはず。

 最初っから真っ白な容器だった場合、誰かがこの容器に詰め替えた可能性がある。あたしが詰め替えるならもっと小さい容器に入れる。ちょっと大きすぎるよ」


 「だったら、誰がその容器にクリームを入れたっていうの?」


 恐怖を孕ませた面持ちで綾香は答えた。

 「この島にあたしたちを送り込んだネバーランド以外考えられない―――」


 「なんでわざわざネバーランドがそんなことするの? 逆に真実の中にある現実から遠ざかっている気がする」


 綾香は両手を突き出し、道子の口元を手で塞ぎ、睨みつけた。鋭い目つきのまま、声を発さずに唇を動かした。


 黙れ―――

 

 怖くなった道子は、咄嗟に綾香の手を振り払った。そして周囲に座る三人の顔を見た。みんなこちらを睨んでいる。その異様な光景と、全員の表情に恐怖を感じ、身を強張らせた。


 いったいどうしたというのだろうか……


 脅すような目つきで由香里を睨みつけていた綾香は、突然、いつもどおりの笑みを浮かべた。

 「カラクリを解かないとね」


 結菜も微笑む。

 「道子も頑張ろう」


 全員に不審感を覚えた。怖い、それに気味が悪い。

 (みんな、どうしちゃったの?)

 

 翔太は何ごともなかったかのように話を続けた。

 「漂流物は全部、ツアー会社が仕組んだものだ」


 不安を感じた道子は、観察するように三人を見つめた。その様子はいつもと変わらない。いまのはいったいなんだったのか……。

 

 (あたし以外、おかしくなり始めている? それにみんな気づいていない? それともあたしがおかしいの?)


 結菜は道子に声をかけた。

 「顔色が悪いよ」


 戸惑いながら返事した。

 「大丈夫……」


 「見つけた容器は明彦たちには内緒にしよう」と言った綾香は、道子に顔を向けた。「内緒だよ、わかった?」


 「わかったよ……」


 綾香から目を逸らして返事した。何も追及してはいけない。自分にとって恐ろしいことが起きるような気がした。


 たった数分前まで信用できる友達だった。それなのに……いまは身の危険を感じる。この気持ちを悟られたくないので、平常心を保とうとした。


 もう一度、綾香に目をやった。視線を感じた綾香は、こちらに笑みを向けてきた。ぎこちない笑みを返した道子は思う。


 冷静でいようと作り笑いをする自分以上に、全員がふつうを装い、虚構を演じているみたいだ。


 だとしたら、なんのために……。

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