13.リーフレット
静かな波の音が聞こえた―――瞼を開けた一同の視界に曇り空が広がった。目覚めれば自宅のベッドの上だった、そんな奇跡を想像してみる。しかし、ここは穏やかな日常とはかけ離れた島。
虚しくなるだけの奇跡を考えないようにした類は、スマートフォンの画面の時間と電波アイコンを確認した。
<圏外 8月1日 火曜日 7:15>
相変わらず圏外。同じ日付。何度見ても日付が変更されることはないので、スマートフォンの画面から波打ち際で拾った鍋に視線を移した。
ずいぶんと雨水が溜まっている……。
一同も類の周囲を取り囲み、訝し気な表情で鍋に溜まった雨水を見つめた。
雨水が溜まるということは雨が降ったという証拠。どうして自分たちは目覚めなかったのか……と全員が同じ疑問をいだく。
居眠りが得意な翔太でさえ、バケツをひっくり返したような雨が降る野外で眠り続けるのは難しい。そしてなぜか、体が濡れていない。
「どうなってるんだ?」乾いた髪を触る類は、首を傾げた。「雨が降ったんだから、ふつうはずぶ濡れになるよな」
明彦も自分の髪に触れた。
「ふつうはな。でも濡れてない」
綾香が言った。
「濡れてないのも不思議だけど、みんな一斉に寝起きできるのも不思議だよ。あたし寝つきがいいほうじゃないし、体の疲れはあったとしても、慣れない環境で朝まで爆睡だなんてありえないもん」
結菜が言う。
「この島自体が摩訶不思議なんだから、あたしたちの常識で真剣に考えても埒が明かないと思うよ」
綾香は呟くように言った。
「何もかもがカラクリの謎の一部か……」
「きっと、そのうちはっきりしてくる」結菜はコップを手にした。「飲もうよ」
結菜が言うとおり、考えても埒が明かない。疑問は頭の隅に追いやって喉を潤した
類は、疑問を考えながら海を眺めた。
水平線の向こう側はどうなっているのだろう?
海は宇宙のように渺茫なのだろうか?
だったら流木はどこから来た? 鍋は? コップは? やはり、この島の海と現実世界が繋がっているとしか思えない。生活感のある漂流物はどこから来た?
謎の漂流物と、空にあるゲート。だが小夜子はゲートは常に存在すると言っていた。七人の目に映らないだけで海にもあるのかもしれない。
雲に覆われた空を見上げても、カラクリが解けていない自分には、島から脱出するためのゲートが放つ光は見えない。
小夜子と一緒にいたアメリカ人は、島に隠されたカラクリをどのようして解いたのだろう? 答えを導き出すために必要な具体的なヒントくらい欲しかった。
明彦が類と同じ疑問を口にする。
「漂流物があるっていうことは、海のどこかにゲートがある。俺たちに見えないだけでどこにでも存在する。だけれど、ゲートが見えなければこの島に永遠に滞在する羽目になる」
類は青い水平線を眺めた。
「永遠にここなんて絶対やだ」
純希が目の前のジャングルに生い茂る椰子の木を指した。腹を満たさなければ、ゲームオーバーだ。自分たちが生体で不死身なら空腹を感じない。でも何故か、おなかが空いている。
「椰子の実落ちてないかな?」
全員おなかが空いていたので椰子の実を探しにジャングルへと入った。大地に落ちていた椰子の実をふたつ見つけた。前回同様に熟しているはず。いましがた雨水を飲んだので、固形物のほうが都合がよい。
鉄屑を突き刺し、椰子の実を解体して、中身を食した。食べ終わった椰子の実は一カ所に集めた。彼らがそこから場所を移動し、砂浜に腰を下ろした。
彼らは気づいていないが、食したはずの椰子の実は、ひとくちも食されていない。だが、彼らは腹が満たされている……
天気が穏やかなうちに出発したい三人は、ミーティングを手短に済ませた。その内容は至ってシンプル。正午と十六時と二十一時に必ず眠り、倉庫で落ち合う。どんな些細なことも逐一報告し合うこと。それらを決まりにして、三人は濡れたジーンズとスニーカー足をとおした。
トランクス一枚のほうが快適だが、生体が完全に守られている保証はない。足元の植物に潜む得体の知れない虫に刺されたときのことを考えると恐怖だ。それに、時間を確認するスマートフォンを収めるためのポケットも必要だ。よって、三人はジーンズとスニーカーに足をとおすことにしたのだ。
出発する準備は整った。二時間ほど歩けば軽飛行機の墜落現場に辿り着ける。ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出した類は時間を確認した。
<8月1日 火曜日 7:55>
類はふたたびジーンズのポケットにスマートフォンを収めた。その後、一同に見送られて、明彦と純希と共に浜辺から鬱蒼としたジャングルへ歩を進めた。
すぐさま、視界を埋め尽くすほど鬱蒼とした植物が茂る大地が広がった。一歩足を踏み出すたびに、スニーカーの中敷きから雨水が上がって気持ち悪い。
だが、それにも増して不快なのが、脚にまとわりつく湿ったジーンズだ。類は蒸れて痒くなる尻を掻いた。続いてふたりも同じ動作をとる。
「尻が痒い」純希が言った。「なんか棲んでそう」
明彦が言った。
「現実世界に戻るころには汗疹(あせも)だらけの尻だな、きっと」
「濡れたスニーカーもジーンズも、そのうち慣れるだろ。どうせ、ずっとずぶ濡れだ」
「風呂に入りたい」類の目の中に汗が入った。「いって……」
明彦が類に顔を向けた。
「どうかしたのか?」
類は明彦に返事した。
「なんでもない。大丈夫だ」
「そっか、それならいいけど」
類は、額を流れる汗が目に入らないように、汗を拭った。この刺激的な痛みに慣れることはない。
出発前に雨水を飲んだ。水分を補給してもすぐに汗になり、体外へ排出されてしまう体質だ。“類は汗っかきだから” と、幼いころから夏の水分補給はこまめにするように母親に言われてきた。
炎天の中を長時間に渡り歩けば、より多くの汗が流れ、体内から水分が失われる。新陳代謝がよすぎるのも善し悪しだと思いながら、汗で湿った前髪をかきあげて空を見上げた。
雲の切れ間から柔らかな光が射している。
太陽とも月ともちがう金色の光が見えたなら、どのような光景が空に広がるのだろう。苦労と努力の末に見るゲートの光は特別で綺麗なはずだ。
早く理沙を安心させてあげたい―――
類は前方に視線を戻した。似たような植物は見飽きた。頻繁に降る雨にも嫌気が差す。
ここが東京の空なら、一日中、晴れているだろう。しかし、この島では旅客機が墜落した初日のように、晴天が続く日は珍しいようだ。あれから毎日のように、雨が降ったり止んだりを繰り返している。
きょうもまた遅かれ早かれずぶ濡れだ。
三人は雑談しながらしばらく歩を進めた。次第に、周囲に根を下ろす高木の数が減っていくと、低木や下草などの植物が足元を覆った。このまままっすぐ進めば、もうすぐ軽飛行機の墜落現場だ。
探し物をするなら、豪雨よりも暑さを我慢したほうがましだ。このままの天気が続いてほしいと思った直後、急に空が曇り出し、雨を伴う突風が吹き始めた。
このタイミングで降るとは……最悪だ。
「異世界スコール大歓迎」そう思うしかないので純希は言った。「おかげで頭がクールダウンしたよ」
降ってほしくなかったのにどうして降るんだよ、と本音を叫びたい類は “ヤケクソ” だ。
「ほんと、頭がすっきり爽快だ。不思議と異世界スコールが好きになってきた」空を見上げた。「愛してるよ」
真剣な面持ちの明彦。作業が困難になるのは厄介だ。
「楽観的なのはいいけど、土砂降りの中、大破した機体から小型金庫を見つけ出すって大変だよ」
類は明彦に言った。
「降ってきちゃったんだから、そんなこと言ったってしかたないじゃん。この際、楽しもうぜ」
口元に笑みを浮かべた。やはり、完全にポジティブにはなれない。
「お前らの性格が羨ましいよ」
雨風に負けじと歩を進め続ける三人の前方に、軽飛行機の上部が見え始めた。ふたりも歩行速度を上げた類についていく。早歩きをしたのち、軽飛行機まで辿り着いた。改めて内部を覗いてみると、すべてが赤褐色だ。
本当に血痕なのだろうか?
軽飛行機が墜落したのは三十年前だ。長年にわたり雨風にさらされ蓄積された汚れが血痕に見えていただけなのではないだろうか?
もし……これが血痕だとしたら、どう考えても操縦士のみの血ではない……。
「なぁ……」明彦も、類と同じことを考えていた。「これが全部が血だったらみんな死んでるよ。俺たちは墜落した飛行機の中で血塗れの死体を見てきた。だから戦慄の記憶と重なって、血に見えただけだったのかも……」
下草の葉を捲り上げた類は、髑髏を見る。
「操縦士だけが死んだと小夜子に聞かされたときは、機内についた赤褐色の汚れが、ひとりの人間から噴き出した血だと思って恐怖を感じた。でも、冷静に見てみると長年の汚れに見えなくもない」
純希は、擦り切れた座席をまじまじと見る。
「つまり、三十年分の汚れってことか……」
髑髏に視線を下ろしたまま疑問を口にした。
「小夜子は一体どこにいるんだろう? 魔鏡の世界にいるってことはどこかで眠っているってことだよな」
純希が言った。
「俺たちは椰子の実を食べた。おなか空いてたし、食べないと餓死しそう。それなのに寝たきりで三十年もいれるわけない。骨になる」
「この髑髏ってもしかして小夜子の?」
「生体は守られているんじゃないの?」
明彦が言った。
「鏡の世界に幽閉された時点で、肉体と精神が分離してしまうのかも。肉体から精神が分離されたら抜け殻だ。寝たままの肉体は、肉食動物からしてみれば餌でしかない。彼女がここで寝たままだったら、肉食獣の餌となった可能性もある」
類は、悲しみの表情を浮かべていた。魔鏡の世界から学校の家庭科室に引き戻される直前に、死神屋敷に訪れた若者ふたりは殺される。小夜子は永遠に殺戮を繰り返す魔物になってしまった。
「小夜子を救ってあげたい」自分たちと同じ状況に置かれて死んでしまった彼女に同情する。「魂だけでもなんとかならないのかな?」
魂だけでも救ってあげられるなら、と純希は思った。
「俺たちが無事にゲートを通り抜けて元の世界に戻ったら、その方法を探してみよう」
明彦は拒否する。
「わるいけど俺はもう関わりたくない。殺人を犯せば鏡の世界は牢屋になるんだろ? たとえ殺人を犯したわけではなかったとしても、何か理由があって幽閉されている。正直言って、怖いよ」
たしかに明彦の言うとおりだ。だけれど、じっさいに小夜子と会話した類には、殺人を犯すような女の子に見えなかった。
「かもしれないけど……」
「いまはやるべきことに集中しよう。探すものを探さないと」
うつむいて返事した。
「そうだな……」
三人は、まず初めに機内を確認しようとした。軽飛行機を発見したときは、探し物をする予定はなかった。そのため、血に染まっていると思い込んでいた機内に侵入しようとはしなかった。しかし、類が魔鏡の世界へ行ったことで状況が一変した。
機内への侵入は、乗降口が大破しているので容易い。だが、不安要素がふたつ。機体の底が墜落の衝撃により湾曲していること、そして、いまにも崩れ落ちそうな劣化した天井だ。機内に足を踏み入れた瞬間、体重によって機体が崩れてしまう危険性がある。なので、三人の中で最も体重が軽い純希が機内を確かめることになった。
類が純希に声を掛ける。
「気をつけろよ」
明彦も純希に声を掛けた。
「慎重にな」
「うん」ふたりに返事し、大地に落ちている乗降口の扉に視線を下ろした。「それにしてもこの状態でよく生きてたよな」
類は言った。
「それが明彦が言った、生き残った者と死んだ者とのちがいってやつだろ? 俺たちも、この機体に乗っていた生存者と同じだ」
明彦は類の言葉にうなずく。
「そういうこと」
純希は機内の操縦席に侵入した。ゆっくりと前へ足を踏み出すと、古びた鉄の床の軋む音が響いた。慎重に足場を選びながら、フロントガラスに目をやった。蜘蛛の巣が張っているかのような罅が入っており、墜落時の衝撃の強さを感じた。
こんどはフロントガラスから操縦席へと視線を移して、周囲を見回し、左右の座席のあいだから身を乗り出して、後方の座席や床もくまなく確認した。しかし小型金庫はない。
乗降口は大破している。墜落時に機体が激しく揺れたさい、小型金庫が外に放り出されたのではないだろうか? と考えた純希はふたたび大地に降り立った。
「どこにもない。軽飛行機の周囲を探そうぜ」
類は返事した。
「そうするか」
明彦は折れた翼を指す。
「重たいかもしれないけど、扉の下とか翼の下も確認してみよう」
雨はまだ上がりそうにない。薄紫色の空を駆ける稲光と激しい轟音が響く。類はずぶ濡れの顔を明彦に向けた。
「お前が言ったとおり、雨の中、小さいものを見つけ出すって一苦労だな」
「だから言っただろ? でも、愚痴ってもしかたない」折れた翼の下に手を入れた。「始めよう」
類と純希も翼の下に手を入れた。三人は「せーの!」と、かけ声を出して、翼を持ち上げようとした。だが、想像以上の重量に驚く。
ポルトランドセメントを背負って歩くような力仕事が日常的な土木作業員なら、一度で持ち上げられるだろう。椰子の実を解体するだけでも腕が疲れてしまう三人にはつらい。それでもこの鉄の塊を持ち上げて大地を確認しなくては、くまなく探したとは言えない。
類がふたりに言った。
「もう一回やるぞ!」
「せーの!」と、ふたたび気合を入れた三人は渾身の力を振り絞った。そのとき、翼と地面とのあいだに隙間ができたので、勢いよく持ち上げた。
類が明彦に声を張った。
「俺たちが支えてる! 早く下を確認しろ!」
純希の腕が小刻みに震える。
「くっそ重い!」
明彦は合図を出す。
「翼から手を放すぞ!」
ずっしりとした翼の重量が類と純希の腕にのしかかる。明彦は、大地に視線を這わせた。小型金庫はどこにも見当たらない。
「駄目だ、ない!」
明彦が翼から離れると、ふたりは腕の力を抜いた。重たい金属製の翼が大地に落されると、泥水の飛沫が上がった。
類が息を切らしながら言った。
「扉の下も確認しないと」
三人は休むことなく、錆びた扉に歩を進ませた。類と純希が扉を持ち上げると、明彦は大地を確認した。やはり、ここにも小型金庫はなかった。
三十年前に放置された遺留品を探そうだなんて無謀な試みだったのだろうか……と考えながらも諦めたわけではない。もう少し粘りたい。姿勢を低くした三人は、大地に視線を這わせて小型金庫を探す。
足下を覆う植物の下も確認する。葉を捲る手は、錆と泥に塗れている。この先も気が遠くなるほど、緑色の大地が延々と続く。
(どの辺りまで探したらいいのか……平地だけでいいのだろうか?)
背を起こした類は、急勾配に目をやった。
「向こう側も見てくる」
純希が類に言った。
「俺らはこの一帯を探す。雨水で斜面が滑りやすくなってるから気をつけるんだぞ」
「わかってる。じゃあ、行ってくる」
道子を抱えたまま滑り落ちたのだ。危険だとわかっている。周囲に根を下ろす植物を掴んで慎重に足を踏み出した。急勾配の大地を確認し始めた、そのとき、ふと転倒時を思い出した。
あのとき、後頭部に強い衝撃を感じたあと意識が落ちた。あれは大地の質感ではなく、もっと硬かったような気がする……。
急勾配から平地に戻り、転倒した位置を確認してみた。
(石だったかもしれないけど……もしかしたら……)
何をしているのだろう? と、類を見て同じことを考えたふたりは首を傾げた。
明彦が類に訊いた。
「どうしたんだよ?」
滑り落ちたときの状況を説明する。
「道子と一緒にここを滑り落ちたとき、何かに頭をぶつけて気絶したんだ」
目を見開いた。期待できるかもしれない。
「それって小型金庫かもしれないってこと?」
首を横に振る。
「わからない。だから確かめてみたいんだ」
純希が明彦に言った。
「俺たちも一緒に見てみようぜ」
「そうだな」
ふたりも類に駆け寄り、急勾配を探すことにした。足元が滑りやすいので、周囲の植物を掴んでバランスを取りながら下っていく。そのさい大地も確認した。すると、土の中に半分埋もれている古びた小型金庫を類が発見した。
「あった! あったぞ!」
驚いた明彦と純希は、類に目をやった。
緊張を孕んだ面持ちの明彦が言った。
「すごい……本当に見つかるなんて信じられないよ」
せっかちな純希は、類を急かす。
「早く中身を見てみようぜ」
「わかってる」
類は小型金庫を掘り起こし、取っ手を握って引き上げた。外観は錆びている。中身は大丈夫なのだろうか、と心配しながら急勾配を上った。
息を切らして平地に戻った三人は、折れた翼に歩み寄った。大地に茂った植物が邪魔をしない翼の上に小型金庫を置いた。
工具がないと無理かも……と、明彦は心配になる。
「錆がひどい。もしかしたら簡単に開かないかもしれない」
「ちょっと貸してみろ」手提小型金庫を手にした純希は、開けようとした。だが開かない。諦めてふたりに訊いた。「ビクともしない。どうする?」
類は言った。
「無理矢理にでも」
「無理矢理ってどうやって?」
「俺たちはリーフレットさえ確認できたらそれでいいんだ。つまり、金庫をぶっ壊せばいいってこと」手提小型金庫を持ち上げ、注意を促す。「危ないから離れてろ」
ふたりは後ろに下がった。
純希は明彦に顔を向けた。
「あいつどうするつもりなんだ?」
明彦は首を傾げる。
「さぁ?」
類は、持ち上げた小型金庫を翼に向かっておもいっきり叩き落した。その衝撃で錆びついた蓋がはずれて、内部に収められていた遺留品が周囲に散乱した。
「やった! 開いたってゆうか、ぶっ壊れただろ?」
「さすがは類、強引だね」純希は笑う。「早速、リーフレットを探そうか」
明彦が一枚の写真を拾い上げた。そこには仲睦まじそうな六十代前半の西洋人の男女が映っていた。
「この男のひと操縦士だな」
類が写真を見る。
「たぶん、そうだと思う」
不慮の死を遂げたひとの生前の写真。胸を締めつけられる思いがした純希は、写真は見ずにリーフレットを探した。
「写真はいいから目当てのものを探そう」
明彦も手にしていた写真を翼の上に置いて、類と共に一歩踏み出した。
そのとき、青褪めた顔の純希が、「見ろよ……」と、ふたりに右手を突き出した。手にしていたのは、『NEVER LAND』と文字がプリントアウトされたリーフレットだったのだ。
驚いたふたりは純希に近寄った。
純希の手からリーフレットを取った類は、表紙に掲載されている写真を見た。
先端を切り取った椰子の実に二本のストローが挿されており、それを美味しそうに飲むカップルが映っていた。
インターネット広告で見たネバーランド海外のホームページの画像とよく似ている。
類はリーフレットを開いてみた。そこに掲載されていた写真も、ホームページに載っていた画像とよく似ていた。
「なんだか俺が見たホームページをそのまま切り取って貼り付けたみたいだ。ちがいは日本語か英語か、それだけだ」
明彦は慄然とする。目当て物は見つかった。だが実際に目にすると鳥肌が立った。
「常夏の島のツアーは、カップルや新婚向けのプランも多い。だから掲載されている写真が似ていたとしても不思議じゃない。だけど……ツアー会社の名前が同じって……」
純希も身の毛がよだつ。
「これがふつうにサイパンツアーで見つけたものなら、たまたま同じ名前のツアー会社だった、それで話は済むけだろうけど、この状況からして疑う余地はない」
類は声を震わせた。
「小夜子と俺たちは同じツアー会社によって、この島に滞在する羽目になったってことか……」
純希は恐る恐る言った。
「このツアー会社って何なんだ? マジで死神が運営しているって言わないよな? だから小夜子も死神みたいになったとか?」
類は純希に目をやった。
「どういう存在が関係していようと、この世の物じゃないことは確かだな……」
明彦は新たな疑問に気づく。
「ツアーに参加していた四人以外に小夜子が助かっている。ということは……やっぱり生きる者と死ぬ者のちがいがどこかにあるはず」
類は明彦に訊く。
「そのちがいを突き止められたら、俺たちが助かった理由もわかるってことだよな?」
「ああ……たぶんな……」
類は明彦の肩を軽く叩いた。
「期待してるぜ、なんでも博士」
純希も明彦に言った。
「俺も期待してる」
いつもなら期待されてもプレッシャーになるだけだ。けれどもいまは、やる気の原動力にするために、プレッシャーも必要なことだと思ったので、口元に笑みを浮かべて返事した。
「頑張るよ」
ようやく三十年前と現在が繋がった―――
ツアー会社ネバーランドによって、旅客機の墜落というかたちでこの島に送り込まれたのだ、と推理した。このことを浜辺で待つ一同にも伝えなくてはならない。
類はジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認する。約束の正午まであと一時間。
雨が降っていようといまいと、下草や低木などの植物に覆われたここでは、腰を下ろすのも難しい。探し物は見つかったのだ。ここに留まる必要はない。
「行こう」
純希は返事した。
「そうだな」
明彦は、類が持っているリーフレットに目をやった。
「それ、どうするの?」
類はリーフレットを持つ指先を緩めた。大地に落ちたリーフレットの上に激しい雨が降り注ぐ。
自分たちは知りたかった情報を手に入れたのだ。不要なリーフレットなど持っていたくない。
多くの死を招いた旅客機墜落事故。いったいなんの目的で罪もない人々の命を奪ったのか。これが謎のツアー会社の賭けごとだったとしたら……遊戯だったとしたら……。
憤りを感じ、握り拳をつくった。
(なぜこんな目に遭わなきゃいけなかったんだ……)
現実世界の鏡の前で待っていた愛するひと。自分にも愛する理沙がいる。どれだけ逢いたかっただろうか……小夜子の気持ちが痛いほど理解できた。だからこそ切なくて涙が込み上げた。
髑髏に話しかける。
「小夜子……お前のこと救ってやれそうにない。ごめんな」
純希は類の肩に手を乗せた。
「行こうぜ」
どんな理由があったにせよ、この件とは関わりたくない明彦は唇を結ぶ。
「……」
小夜子の髑髏に触れた類は、「さよなら、小夜子……」と別れを告げてから立ち上がり、ふたりに顔を向けた。「前に進もう」
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