14.合流

 雨が降りしきる浜辺で待機する一同は、生体の謎を解くための実験を試みようとしていた。海を泳ぐ生魚を捕獲するのは難しいので、土の中から掘り起こした乳白色の幼虫を使うことにした。日本では見たことがない大きさだ。もしかしたら、田舎の山奥になら同等の体長の幼虫が生息しているかもしれないが、都会育ちの一同は驚くばかり。


 「くそでかい……」と、翔太は呟き、手にした幼虫を浅瀬にゆっくりと沈めた。


 海水に浸かる幼虫は、体を蠢かせたあと静止した。ふつうなら窒息死するはずだ。一同は幼虫の様子を窺う。動かないので死んだのかと思いきや、また体を蠢かせた。


 なぜ生きていられるのだろう? と視線を集中させた。目を凝らしてよく見てみると、幼虫は透明の膜に覆われて、命を守られていたのだ。


 もし、このまま波打ち際に放置したら、波にさらわれたのち、絶命せずにどこまでも流れていくのだろうか……。


 こんどは幼虫を握ってみた。どれだけ力を入れても変形すらしない。この島限定の現象だ。現実世界ではありえないことだ。翔太は砂浜に幼虫を置く。


 綾香は類が言っていた小夜子が行った実験の話を思い出した。

 「火の中に生魚を放り投げても、海水に覆われて生きていたって類が言っていた。さまざまな生体に適した環境で生命を保護しているみたい」


 翔太は首を傾げる。

 「すべての生体は守られているってことなのか……どうなんだろう」


 もうすぐ類たちと鏡の世界で合流する時間だ。一同は一斉に目を瞑り、校内を想像して、倉庫に意識を集中させた。


 まるで滝に打たれているかのような雨に気が散りそうだ。だが次第に、周囲に響く雨音や波音が静かになっていった。ゆっくりと瞼を開けると、倉庫の床が見えた。


 ずぶ濡れの体は乾いており、制服を着ていた。鏡には、こちら側を覗き込むような体勢で座っている理沙の姿が見えた。


 翔太は周囲を見る。

 「類たちはまだみたいだな」


 「理沙に到着を知らせるよ」と、綾香は鏡に息を吐きかけて文字を書いた。


 《来たよ 綾香》


 鏡に綾香の文字が現れると、理沙は満面の笑みを浮かべた。

 「待ってたよ」


 道子が言った。

 「理沙、ひとりで寂しいだろうね」


 綾香は道子に顔を向ける。

 「もう少しの辛抱だよ。多少遅れても新学期を迎えるんだから」


 微笑んだ。

 「そうだね」


 理沙には一同の話し声すら聞こえない。それでも鏡の向こう側にみんながいるとわかっているので、教室にいるときのように明るく振る舞う。


 「類はまだなの?」


 綾香は類たちがいま何をしているのかを伝える。

 《明彦と純希と共に墜落現場に戻ってる》


 文字を見て驚く。

 「どうして?」


 《現実世界へ戻るゲートを知るため》


 ジャングルは渺茫だ。心配になる。

 「大丈夫かな……」


 《しっかり者が一緒だから大丈夫》


 「明彦がいれば問題ないよね」悪戯っぽい笑みを浮かべた。「類と純希だけなら不安だけど」


 思わず笑う。

 《言えてる》


 「ここへの集合時間は決まってるの?」

 

 《正午 16時 21時》


 スマートフォンを確認する。もう少しで正午だ。


 《大丈夫 もう少し待とう》


 「うん。早く類に逢いたいな」と言ったあと、結菜に話しかけた。彼らが想い合っていることは知っている。「結菜も明彦に逢いたいよね?」


 結菜は返事する。

 《もちろんだよ》


 「なんだかダーリンを待つ会みたいで、やだやだ」ふたりのやりとりを見てつまらなさそうに言った綾香は、ひとがひとり通れるくらいの間隔で開いているドアに目を転じた。


 その様子を見た結菜は尋ねる。

 「どうかしたの?」


 ドアを見つめる。

 「ちょっと、気になることが……」


 意識を集中させれば、ジャングルから倉庫への移動が可能だ。しかし、それを聞かされていなかった理沙は、十三人が困らないようにドアを開けっぱなしにしていた。


 もしかしたら、ここなら意識を集中させるだけで異なる教室にワープが可能なのでは? と考えた。


 《ドアを閉めて》


 ドアを閉めたら出入りができない。ジャングルにいる三人を心配する。

 「類たちがここに入れないじゃん」


 綾香は返事を書く。

 《大丈夫》

 

 「鏡の世界だとエスパーになれちゃうかも」


 綾香のことだから何か面白いことを思いついたんだろう、と彼らは様子を見る。


 期待した結菜は冗談を言った。

 「なんだか明彦二号みたい。あたしたちは見物ということで」

 

 苦笑いする。

 「がり勉なんでも博士ってあだ名だけはやめてよ」


 立ち上がった理沙は、「じゃあ本当に閉めちゃうよ」と確認してからドアを閉めた。


 現実世界のドアを閉めたのと同時に、鏡の世界のドアも閉まった。綾香はドアに歩み寄り、意識を集中させた。その数秒後、綾香の体が透きとおるように忽然と消えたのだ。


 一同が驚きの声を上げた瞬間、「やった! 思ったとおり大成功! みんなもやってみなよ!」と、廊下にいる綾香の明るい声がドア越しに聞こえた。


 結菜は目をぱちくりさせた。

 「すごい。瞬時に廊下にワープしちゃった。マジでエスパーじゃん」


 翔太も綾香の行動に興味を持った。

 「綾香のやつ、面白いこと思いついたな。いまは夏休み中だから生徒は倉庫の前を通らないけど、もし偶然ここを通りかかった先生に理沙が見つかったら怒られちゃうから、ドアはいつも閉めておいたほうがいい」


 道子もその意見にうなずく。

 「ここは俺たちが現実世界に戻るまでのあいだ集合場所に使わせてもらうから、先生に見つかると厄介だもん」

 

 彼らの様子がわからない理沙は訊く。

 「ねぇ、何してるの? あたしにもわかるように説明して。仲間はずれはなしだよ」


 道子はこちらの様子を教えた。

 《廊下に移動してる》


 「ドアを閉めた状態で?」


 《そうだよ》


 鏡の中に別世界がある。十三人とともに鏡の世界を知ったのだ。そこはひとの意識だけが入れる不思議な世界。現実世界から鏡を覗いても、彼らの姿も見えないし、声すら聞こえない。彼らには実体がないのに、鏡に文字が書ける。スピリチュアルを感じた。


 そして、この不思議な生活も、彼らが学校に戻ってきたら思い出話に変わるだろう。それに、自分たちの絆を強くしてれるはずだ。類とも、みんなとも、いままで以上に仲良くなれる。


 「ワープができるなんて楽しそう。あたしは参加したくてもできないから類が来たら教えてね」

 

 《うん》


 三人は目を瞑って廊下に意識を集中させた。数秒後、ゆっくりと目を開けてみると、廊下に移動していた。正面には難しい顔をした綾香が立っていた。


 「本当にエスパーになったみたいだな」翔太は訊く。「眉間に皺なんか寄せて、どうかしたのか?」


 綾香は言った。

 「ジャングルにいても意識を集中させるだけで鏡の世界に移動できる。だから自由自在にどこにでも行けたらいいのにって思ったの。試しに行きつけの美容院に意識を集中させてみたんだけど、やっぱり駄目だった」


 「そりゃそうじゃん。自分たちにとって大事な場所や思い出のある場所限定なんだから」


 倉庫からワープした道子は、実体はここにないとわかっていながらも、超能力者になったかのような気分だ。

 「現実世界でもこんなことができたら超すごいね。想像しただけでわくわくしちゃう」


 綾香は道子に顔を向ける。

 「それを言うならジャングルでも使えたらいいのに。だって類たちが必死に歩かなくても済むもん」


 「俺もジャングルでその能力を使いたいよ。マジで疲れたぁ」と後方から明彦の声が聞こえたので、三人は一斉に振り返った。


 だが、廊下に立っているのは明彦と純希だけ。肝心な類がいない。


 不安になった綾香はふたりに訊く。

 「類は?」

 (まさか集中できなくて、まだジャングルに?)


 ふたりは倉庫のドアを指さし、同時に声を発した。

 「理沙のところ」


 「あっそう」

 (心配して損した)


 なんだ倉庫にいるのか、と一安心した。だがいつもの類なら、まずはみんなの前に顔を出してから理沙の許に行くはずだ。類が魔鏡から抜け出した直後は、精神的に追い詰められた状態から平常心を取り戻すためにも理沙の愛が必要だった。


 あのときの恐怖心は克服できたはずだ。現実世界に戻ったら思う存分に愛し合える。いまはここにいるカップルたちのように、島からの脱出に集中してほしい。そうしなければ現実世界に戻れないのだ。だが、あえてそれを口に出さなかった。


 いますぐ知りたい情報は、類がいなくても訊ける。校外に出る実験も然り。綾香は類の存在を無視して、単刀直入にふたりに質問した。


 「リーフレットは?」


 結菜が緊張を孕ませた表情を浮かべて、明彦を見据えた。

 「どうだったの?」


 明彦は答えた。

 「ネバーランドのリーフレットが手提小型金庫の中に入っていた。つまり偶発的に島にワープしたわけじゃない。ツアー会社が関係している」


 浜辺で待機している四人は息を呑んだ。


 おそらくツアー会社が関係しているだろうと考えていたが、実際にそうなると怖いものがある。


 綾香は鳥肌が立った腕をさすった。

 「やっぱりね。あたしたちはツアー会社によって、意図的に島へ落されたってわけか……」


 結菜は言った。

 「つまり、三十年前からネバーランドは存在していたってことね」


 「案の定だったね」道子が言った。「小夜子と状況が被りすぎてるもの。だけど、それがはっきりしただけでもよかった。これで少しは島の謎が解きやすくなるんじゃない?」


 純希は、会話の途中で倉庫のドアに目をやった。学校に集合するのは現状報告するためだ。もちろん理沙も大事な友達だ。それはわかっている。しかし、いまはやるべきことに集中してほしい。


 「あいつ、いつまで理沙とイチャついてるんだ? 理沙が恋しいのはわかるけど、もうそろそろこっちに顔を出してもいいころじゃん。みんな真剣なのに」


 同感の綾香も言った。

 「あたしもそう思う」


 倉庫を指さした結菜が、明彦に訊く。

 「本当に類はいるの?」


 「いるよ。類ひとりをジャングルに置き去りにするほど白状者じゃないよ」


 「だって、ぜんぜん顔を出さないから」


 「まあ少しのあいだならいいよ。どうせまだ金色の光は見えなさそうだし」

 

 道子は呟く。

 「金色の光……ゲート」


 明彦は道子に目をやる。

 「どうした?」


 いままで忘れていたのだが、ゲートが金色の光に包まれいると聞いて、過去の記憶が甦ったのだ。だが、過去の体験と、この一件が関係しているとは思っていない。なんとなく言っておきたかった、単純にそれだけのことだ。


 道子は説明した。

 「子供のころ、階段から転倒して意識不明になったの。そのときに不思議な夢を見たんだ。煌々と光り輝く金色の入り口があって、中を覗くと綺麗な花畑があったの。そこには死んだお祖母ちゃんが立っていた。久しぶりの再会が嬉しくて、お祖母ちゃんに抱きついたのを覚えてる。

 そのあと、お祖母ちゃんがあたしに言ったの。さぁ戻りなさい、ここは道子には早すぎる。お母さんが待ってるって。

 気がつくと病院のベッドの上だった。お祖母ちゃんが言ったように、泣きながらあたしの顔を撫でるお母さんが見えたんだ」


 結菜が言った。

 「それって臨死体験ってやつじゃない?」


 変わった夢を見たんだな、明彦はその程度で聞いていた。死神のゲームに巻き込まれる以前は、非科学的なできごとを絶対に信じようとしなかったので、スピリチュアルな話には疎い。

 「臨死体験、それ聞いたことある」


 結菜は尋ねる。

 「生死を彷徨ったひとが見るんだよね?」


 「そうだよ。三日間も意識不明だったんだ」


 「でも、どうして急に思い出したの?」


 「ゲートは金色に光ってるって類が言ってたから思い出したの。あたしが見た光もすごく綺麗だったから、あの不思議な体験が頭に浮かんだんだ」


 翔太が突飛な発言をする。

 「もしかしたら……俺たち臨死体験の中にいるとか……」


 道子は思わず吹き出した。

 「ずいぶんとヘビーな臨死体験だね。言ったでしょ、あたしが見た景色は綺麗な花畑だった。激しい雨風とは無縁の素敵な場所だったよ」夢で見た亡き祖母の朗らかな表情を思い出した。「でもさぁ、天国って神様が創ってくれた本当の楽園なんだと思う。この世にはない楽園。すごく綺麗な場所だったもん」


 綾香は言った。

 「天国が楽園だろうとなんだろうと、まだ逝くわけにはいかない。由香里のお祖母ちゃんが言うように、十七歳のあたしたちには早すぎる」


 「当たり前じゃん。あたしだって、まだまだお祖母ちゃんのところに逝く気ないもん」


 明彦は純希に言う。

 「ジャングルに戻りたい。歩いたほうがいい」


 「いつもの類なら、いい加減みんなの前に顔見せてるよな」


 道子がふたりに言った。

 「でも、類と理沙ってラブラブだから学校でも休憩時間とかふたりでいるじゃん。きっと、触れられないと思えば思うほど恋しくなっちゃうんじゃないの?」


 「かもしれないけど、なんかいつもとちがう」


 明彦が倉庫のドアを強くノックして、類に集合の合図をした。

 「ジャングルに戻るぞ」


 返事がないので、しびれを切らした純希がドアを蹴った。

 「聞こえないのか」


 ドア越しから類が答えた。

 「ごめん! 聞こえてる」


 純希は苛立つ。

 「だったら返事くらいしろよな」


 結菜は明彦を見た。旅客機の墜落現場までの道のりは長いので心配だが、いまの自分には応援しかできない。

 「明彦! 頑張ってね」


 「うん」明彦は返事する。「結菜も怪我するなよ」


 「ありがとう、明彦もね」どんな状況でも気遣ってくれる明彦に感謝した結菜は、浜辺で待機している一同に言った。「うちらも起きよう」


 廊下に腰を下ろして目を瞑った一同は、それぞれが横たわる場所へ意識を集中させた。





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