どんっ!!

昼の時報が鳴ってしばらく経った。


やっぱり少しだけだけど、怖い。

妙に頭が回りすぎていて、それに意識がついていかない。


『違ってるから、”それ”は』

母さんに、それに、母さんがそう父さんから言われた言葉。

「違ってるから、”それ”は」

思い出して口にすると、いい具合にブレーキがかかってちょうどよくなった。


この二ヶ月。

高校生になってから経験したことは全部本物だった。そう思う。

だから今はコントロールしなくては、感情も、感覚も。


「違ってるから、”それ”は」

自分の中にある以上、吸収することができているのなら、簡単なことだ。

考えなくても、意識しなくてもいい。

頭が、体が覚えてる。


相手は関係ない。

俺はそうだったじゃないか。

経験して、吸収した。

でも、俺は俺。

当たり前で絶対だ。

ナンセンスなんてこと自体が違う。

安く言葉を使うな。

本物だとしてもそれをどうするかは俺が決める。


「天くーん!」


先輩の声が聴こえてきた。


さあ時間だ。

音を使って、音を楽しもう。

俺も先輩も。

顧問も、環さんも、店長も、奏さんも、そして母さんも。

きっと全員『気持ちよくなる』。

そして『嬉しくなる』。

こんなに幸せなことはない。


「遅いですよ、先輩」


この人に会えてよかった。


「ええっ!? まだ、時間ある、でしょ」


息切れした先輩を初めてみる。

肩で息をするたび、髪を結んでいる水色のリボンが揺れる。


「はい。これ!」

「え?」

「付けて」

「でも俺、先輩みたいには……」

「頭にじゃなくていいの! そうねぇ……あ! じゃあ、ここは?」

先輩が俺の右手を取って、その手首に同じ、水色のバンダナを巻き付ける。

「ギター弾くときにジャマになるかな? でも、まいっか!――よし! これでオッケー!」

「……ありがとうございます」

「しししっ! どういたしましてっ!」


『只今より、本校の吹奏楽部によるコンサートを執り行います。ご来場の皆様、どうかふるってお越しください』


起伏のない平坦な音が、把握している空間全部に響き渡る。


「見て」

先輩が空を指差す。

「どうかしら? 今日の天気は」

「聴かなくてもわかるでしょ」

「しししっ! そうね」


向か合っていた俺と先輩は同時に同じ方向に向き直る。

同じタイミングで一歩踏み出す。

息を合わせる必要なんてない。だって今から俺と先輩は同じことをするから。

「集まりますかね? 観客」

もう一度言って、訊く。

「そうねぇ……私たち次第といったところね」

先輩が、俺の顔を見ないままで答える。


今の俺には道具が全て揃っている。

だから逃げ道なんてない。あとはすべて俺自身。


先輩はどうなんだろうか?

「先輩は……」

「なに?」

「……いえ、なんでもないです」

「……私にもないわ。逃げ道」

一瞬驚いたけれど、すぐに納得する。

「でもそれは道具に関してってことじゃないわよ」

「……なんですか?」

「……」

そう訊いた俺のことを直視し、なんともいえない表情で黙り込んでしまう。


「――もしかして、俺、ですか?」

ゆっくり先輩の口角が上がっていく。

「そうなんですね」

「決まってるじゃない。今日で一緒になるのよ! 本当に! こんなに嬉しいことはないわ」


そんなことを平気に、まっすぐ俺のことを見ながら、恥ずかしがることなんて決してなく、意気揚々と言えてしまう。


「ひとつ、お願いしてもいいですか?」

「珍しい……じゃなかった。初めて、ね」

「はい」

「なに?」

「今日、これから、ここで演奏して、それが先輩の満足できる結果だったとき、そうしたら……」

「そしたら?」


どこからか大げさで、豪勢な音の群れを感じる。

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