よーい
用意完了。
普段とは違って、駐輪場には半分も自転車が停められなかった。
それでも、自転車を停めた連中からは、もれなく、訝しげで、中には凝視し、なにをしているのかと聞いてくる校生もいた。
完全無視で作業をする俺と違って、先輩や環さんが上手くそのへんを受け流し、対処していた。
「さてさて、っと。ここから私は観客になるから」
「うん! ありがとう、たまちゃん! すごく助かったわ」
「……ありがとうございました」
観客。
「ん? どうかした」
「いえ、本当にありがとうございました」
「……」
そうだ。
今日俺は初めて第三者、それも不特定多数の人間の前で、無差別にギターを弾く。
「クラス展ってもうやってる? 鳴」
「……」
「鳴?」
「あ、うん。九時には正門が開くから。今からならちょうどいいんじゃないかな」
「そっか! よし、いっちょ全店制覇してきますか」
じゃ! っと、俺達に言って環さんが校舎のほうに意気揚々と走り去っていった。
私服で。
その格好は環さんの背格好じゃ中学生、もしかしたら小学生に見間違われてしまうかもしれない。
でも、今日はそれが成立する特別な日だ。
「大丈夫、天くん」
能天気丸出しで走り去っていった環さんには気づかれなかった。
でも、駄目だった。
先輩にはすぐに気づかれてしまった。全部。
「どのくらい集まりますかね、観客って」
考えなしに聞く。
「……どうだろう」
困った顔を先輩がする。
だから俺はすぐに気づいた。
聞いてはいけないことを聞いてしまったことに。そして、この質問は、今日、今から自分たちがやろうとしていることを真正面から否定してしまっていることに。
「ごめんなさい」
謝罪の言葉が響く。二人しかいない。ドラムセット、アンプらがセッティングされたこの空間に……。
「……ねえ、天くん。それって緊張? それとも不安? もしかしたら、恐怖かな?」
「え?」
先輩は笑っていた。
「落ち着いて。それに、よく考えて。今、天くんの感じているものが何か」
静かな笑顔。
余裕のあるゆったりとした口調。
こんな表情を、こんな声を、人間がすることが、出すことができたのか。
「胸に手を当てて、慎重に、用心深く、しっかり聴いて。自分を」
俺は目を閉じ、先輩に言われたままにそうする。
そうするうちに、自分でも知らず知らずのうちに、用心深く、慎重にゆっくりと、まるで、目いっぱいに膨らんでいる風船にさらに空気を吹き込むように、細心の注意でそれを行っていることに気づく。
「どう? どんな感じ?」
「ふふっ、むず痒いですね、この感じは」
先輩のおかげで、その風船に触れた指の感触をしっかり感じることができた。
「好きです」
「え?」
「これ。この感じ」
「あ、うん」
「先輩」
「な、なに?」
「先輩も感じますか、コレを。俺と同じように、俺と一緒に」
よーい。
その音が聴こえてくる。
けれど、それはまだ頭の中でだけだ。
ゆっくり、閉じていた目を開く。
目の前には金色のドラム。
右手には赭色のケースに入ったゴールドのギター。
大丈夫だ。
「うん。感じるよ。天くんと同じ感触を」
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