研磨!
『月光』
『Over The Rainbow』
『黄金の嵐』
この三曲が先輩の提示した文化祭でやる曲目だ。
「まずは一番簡単な月光を覚えて」
そういうと先輩が俺に楽譜を渡してきた。
「いい、この曲は月の光なの。スローテンポ、それをさらに深くして、不思議で宙に浮いている。重力や大気、それを感じさせたら駄目。いい?」
俺は頷くしかできない。
「じゃ、早速」
「って、俺はどうしたらいいんですか?」
「なに言ってるの。せっかくそんないいギター借りたじゃない。あとは天くんが弾くだけ。オッケー?」
いやいやいやいやいや。
オッケーといわれても……。
こっちは楽譜なるものを初めて見て、そこに書かれているものの中で知っているものといえばオタマジャクシという曖昧模糊な印象だけなのに。
「もーう、時間がないのに、しょうがないわねぇ」
すでに準備万端、ドラムセットを前にして構えていた姿勢を解き、駆け足で俺のところまで先輩が詰め寄ってくる。
「まずは、こう!」
「なっ!?」
その勢いのまま俺の後ろにまわり、抱きつく形で、右手を右手に、左手を左手にあてがう。
「この曲のコードは今回の中でも一番少ない。曲長も短い。だからすぐに覚えられるわ!」
そこに加えて、耳には声だけでなく、息の音、感触が伝わる。
「聞いてるの!」
今のこの密着状態を、先輩はただ感情任せに、少しでも空いている隙間がなくなるようにしてさらにくっつけてくる。
「確かに天くんの嫌いな和音だけど、そこまで拒絶しなくてもいいじゃない。コードは重要よ! それに大切!」
嫌い……?
先輩の口にしたその言葉で、さっきまでの浮ついた俺の意識はすべてそこに集約され、切り替わる。
「そうでしょ? だってあの時、ライブハウスで聴いたギターの音に天くんがした顔。あんな顔初めて見たから」
「ぷっ!」
「なに!?」
「すいません! いや、案外見てないんだなと思って」
俺は、まだ多分という段階だけれど、多分ギターの音ならなんでも好きだ。
俺のスタイルが単音ということに関して、そこには関心もプライドも、ましてやアイデンティティやこだわりなんてものは微塵も無い。
気持ちがいい音。
それが出せるのならなんでもいい。
「ちなみに、コードって何種類あるんですか?」
「いーっぱいよ」
「そうですか。いっぱいですか。それはいいですね!」
そういった途端、先輩は密着していた体勢を、俺の意思に反して解き、不思議そうに首を傾げた。
「ほんと、君って変ね」
やっぱりそうだ。
ギターを弾くということに、いや、もしかしたら、楽器を使うということに練習や努力なんてものがあるわけない。
音を出す。
改めなくては。そのことを。
悩み、苦しみ、そんなものを生んでしまったとき、武器に、道具になるのが自由だと。
「分かりました」
「それってもう覚えたってこと?」
「まあ、はい」
「よし! なら次ね!」
BURSTの閉店は夜の八時。
スタジオ自体は0時まで。
その時間になるころには、提示された三曲はとりあえず完璧な形にはなった。
心地いい疲れというものを生まれて初めて感じた帰り際、
「まだ完成じゃないけどね」
いつもの調子で明るく先輩が、その日曲がりなりにも完成された演奏を一蹴した。
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