気にくわねぇ!
正直だとか、嫌味だとかでは決してない。
あえてこの感覚を言葉にして現すのなら、
『気にくわねぇ』
だ。
あまりに澄んだ音。
アンプから流れ出るそれは、俺の知る限り美しいと言い表せれる音だ。
複数の音が複雑に絡み合っているのにもかかわらず、ひとつに聴こえる。
ゆったりもするし、その正反対に異常に早まったりもする。
楽器が奏でる音楽とはコレだとはっきりと認識させられる。
どうしてこんなものを先輩は俺に聴かせるのか。
「ほんっと気に入らないわね。なんでなの」
そういった先輩の下唇にはくっきりと歯痕が付いていた。
素人でも分かる完成度。
優しく柔軟な演奏。
だからこそ、というべきなのか、確実にその音を観客の耳に、俺の耳に届ける。
これを実感してしまったら考えなくてはいけない。
一発目の、面食らったなんてものではない、面殴られた、そんな弩級の印象。
数曲聴いて思い知らされた確かな技術。
パっと聴いてかっこよく、よく聴いてみてもかっこいい。
どうしようもないなんて逃げてはいけない。
抵抗しうる唯一の武器である、この『気にくわねぇ』で真っ向から立ち向かわなければならない。
派手なアクションを一切しないギターの男。
黙々と、己の技術、センスをこれでもかと聴衆ひとりひとりに指し示す。
そんな男に追随するよう……では決してない。どう聴いても、見ても、勝負を挑むがごとく激しく鍵盤を叩くピアノの女。
そんな演奏を見て俺は、ピアノという楽器が打楽器だとはっきり認識させられた。
「なんだか先輩に似てますね……あのピアノのひと」
多分聴こえないんだろうなと思いながらも、俺はそう言ってしまった。
「はああぁ!? 全然似てないし!」
その先輩の声に、近くに居た数人がこちらを向く。
「どこが!? ねえ、どこが似てるの! 天くん!」
「ちょ、ちょっと待ってください! どうしたんですか!?」
「いいから答えなさいっ!!」
さらにさっき振り向いた客のもうひと周りの範囲の人たちが振り返る。
ジャシャーーーン。
「――今日はどうもありがとう」
前のバンドのボーカルとは完全に違う声色で一言だけ男が言ったことで、二人組のバンドの演奏が終わったことを知らされる。
「出ましょうか」
さっきまでの情緒が嘘のように、落ち着いた声で先輩が俺に言う。
なんの感慨もなさそうにステージに背を向け、入ってきた入口のドアを引く。
あれだけの演奏。
あれほどの表現。
そのあまりもの承認欲求に満ちた音から逃げるように。
俺には、そんな先輩の後ろ姿がすごく嫌に映った。
100パーセントの正体不明な怒り。
そんなものが、どこにも向けられていないようで、空中に浮いたまま、確かな重さを持って漂っている。
気持ち悪い。
それこそが、あのステージで演奏していた人物。
その人物が生む音に向いていたということまで、この時の俺には分からなかった。
ただ。
外に出て。深夜らしい場所に出て。もう一度先輩が言った言葉、
「気にくわねぇ……!」
その言葉を聴いて。
そんな表情を見て。
まったく一緒だと、根拠のない確信だけを確実に持てた。
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